フェデラーという短針〜LAVER CUP2022

 終わらせ方も、一流だった。

 膝の故障、手術による長期離脱。23年復帰が伝えられる中、7月のウィンブルドンセンターコート100周年記念イベントに登場。来年はここでプレーしたい、と、にこやかにコメントした時は、ほんとうにそう思っていたと思う。

 9月のレイバーカップ参戦表明は今年の2月。復帰に向け様子を見ながら試運転というようなプランだったのかもしれない。しかし開幕を翌週に控えた9月15日、同大会をもっての現役引退を発表。リリースにはこうある。”I also know my body's capacities and limits”

 ロジャー・フェデラー。プロテニスプレイヤー。元世界ナンバーワン。しなやかで力強いグランドストローク。ほとんど優雅ですらあった片手打ちのバックハンド。ビッグサーバーにも引けを取らないサーブの破壊力。テニスファンなら誰もが再びプレーする姿を心待ちにしていたと思うけれど、8月に41歳になり、復帰イコール最後の花道になるだろうことも想像できた。となるとやはりターゲットは来年のウィンブルドン。無敵を誇ったグラスコート、テニスの聖地でということになるか、などと考えつつ、でも同時に、対戦相手はやりづらいことこの上ないな、とか、1回戦負けとかしちゃったらどうしよ! とか。だって、どんなに仕方ないと思っていても、フェデラーが限界を露呈して負けて引退する姿なんて見たくなかったから。

 結果的に、自身も設立に関わったレイバーカップという世界選りすぐりの選手が集う本気と祭り半々の団体対抗戦を舞台に選ぶことで、不世出の元世界王者は、勝っても負けても誰も傷つかず傷つけず、最高最強最愛のライバルとペアでダブルスという離れ業で、全方向に存分に愛を伝え愛を受けながらコートを去ることに成功した。parfect journey、と表現した24年に及ぶキャリア。オチもパーフェクトでした、ホント、さすがでした。

 最初の記憶は03年ウィンブルドン初優勝の時。私はフェデラーのように何をやっても上手なオールラウンダーにはもともとあまり興味がなく、最近でこそどのサーフェスでも戦えるようになったけれど、もともと極端に偏ったクレイ巧者だったナダルが好きでずっと見てきた。でも20年近くナダルを見てきたということは取りも直さずフェデラーを見てきたということでもあるんだよなあ、と、いま、いわゆる「Fedal」の時代を振り返りながらしみじみ思う。

 フェデラー対ナダルのグランドスラム決勝対決は9回あって、全米はいちどもなし、いちばん多いのは全仏の4回。フェデラーが唯一取った09年の全仏タイトルは、ナダルがケガのため4回戦で敗退した時のものなので、最後まで「ローランギャロスでナダルを倒して優勝」することはできなかった。ちなみにこの最初で最後の全仏初制覇により、フェデラーはキャリアグランドスラム(四大大会全制覇)を達成。フェデラーはクレイをあまり得意とせずここ最近はクレイシーズン丸ごとスキップすることも多かったが、とはいえ全仏準優勝4回は立派。05年初優勝して以来17年間で14回優勝しているナダルが得意すぎる、と言う方が正しい。以下は11年の全仏決勝を見て、当時書いたもの。

このふたりが登場し、頂点でしのぎを削り合った時代に居合わせたことに、それを目撃出来た幸せに、ただ心から感謝したいと思った。それくらい美しい昨日の決勝だった。このふたりが、このコンディションで、グランドスラムの決勝を闘うのはあと何回だろうという思いも胸をよぎった。でも、勝ちとか負けじゃない、このふたりが闘うことに意味がある、そんな闘いに出会えた喜びに、極東の感傷的なスポーツバカは、深夜眠い目をこすりながら万歳三唱しかけた。

 もう11年も前なのか、と驚きつつ、いまも全く同じことを思っていることに驚く。このふたりの時代に居合わせた奇跡、目撃できた幸運、テニスの神さま、ありがとう。

 2強からやがてジョコビッチとマレーが追いつき時代はBIG4へ。ジョコビッチに敗れた10年全米準決勝を見て書いたもの。この時フェデラー29歳。

どんなに引き止めようとしても、季節は移り変わっていく。いささか感傷的に過ぎると苦笑しつつ、そんなことを思いながら見ていたので、壮絶な打ち合いに不意に泣きそうになったりしていた。(中略)陽射しが徐々に傾いていくアーサー・アッシュ・スタジアムで、優雅さを失わず、懸命に踏み止まろうとするフェデラーの姿に、王者のしんどさを見た気がした。時差13時間。画面の中は夕暮れが近づくニューヨーク。ふと窓の外を見ると、東京の空は朝焼けに染まっていた。暮れていくのか、明けていくのか、それは、それぞれにしかわからない。そして、そのどちらも、美しい。

 だってあんなに強かったサンプラスが引退したのは32歳。まだこの頃は、テニスプレイヤーで30代に入ったら晩年、という時代だった。ところがどっこい、ケガも不調もあり何度も引退をささやかれながら、全然終わらなかったフェデラー先生。15年、34歳の夏、まだ世界2位。相手のセカンドサーブで極端に前に出てショートバウンドで返球し、焦った相手がコースを考える余裕なく打ち返してきたところをボレーで決める「SABR(セイバー)」なる必殺技(ま、要するにものすごく速いサーブアンドボレー)で話題をさらいながら勝ち進み、新たなナンバーワンジョコビッチに惜しくも敗れた全米決勝。

決勝でのフェデラーは、決して「元チャンピオン」ではなく、前向きに歳を重ね、努力を続けて進化する現在進行形のチャレンジャーだった。何度も鳥肌がたった戦いぶりと、「威厳に満ちた敗北」に、心からの敬意と拍手を。試合後のインタビューで「来年も戻ってくる」と言ってくれて、ほんとうにうれしかった。ジャンルを問わず、こんなふうに時間を味方につけられるひとはすくない。でも、その姿は、勝ちでも負けでもなく、大きな勇気で、ランキング関係なく、このひとやっぱりすごくチャンピオンなんだ、と思った。夏は終わらない。まだ、日は沈まない。

 いろいろあった。でもやっぱり、フェデラーといえばナダル、ナダルといえばフェデラーだったなあと思う。私の中ではその安定感に於いてフェデラーは名人、その鮮烈さに於いてナダルは名作。タイプは違っても20年近く第一線で競い合い、どちらかだけではどちらもここまで強くならなかっただろう。だから、引退試合が終わってナダルがあんなに泣いたのもよくわかるし、会見で言っていた、人生の一部が去ってしまった、という気持ちもわかる。フェデラーの涙にもちろん胸を揺さぶられたけど、ナダルにもらい泣きした人の方が実は多かったんじゃないかと私はひそかに思っている。それくらい、このふたりは特別だった。神さまに選ばれたふたりだった。

 私のSNSのタイムラインは、引退発表以来ひたすらフェデラー賛歌で埋め尽くされており、それはそれでちょっと居心地の悪さを感じさせるくらいの勢い。なんかいろいろ出来過ぎのような気もするけど、かと言って瑕疵を見つけるのは難しい。数々の記録に彩られた輝かしいキャリア。マエストロと称され、紳士で品行方正で誰からも尊敬されて、しっかり者の奥さんと双子×2の4人のかわいい子どもがいて。そんなんありか!? と思わず突っ込みたくなるけど、ホントにそうだから仕方ない。

 フェデラーの試合を見ていると、テニスってなんだか簡単そうだな、と思ってしまうことがよくあった。実際は逆で、ものすごく難しいことをさらっとやってしまうので素人目には簡単に見える、ということなんだけど、もしかしたらフェデラーという人もそうなのかも、と、ふと思い至る。天才だった。軽々とこなしているように見えた。栄光の果ての引き際も完璧だった。でも、きっと簡単に見えただけだったんだろう。我々に見えなかったもの、フェデラーが見せなかったもの。それは決して簡単ではなかったはずだ。

 おつかれさまでした。最後までカッコ良かったです。ありがとうございました。淋しくなります。

 もうこういう人は出ないかなーと思いつつ。ついこないだの全米で19歳のアルカラスがグランドスラム初優勝を果たした時、時計の針がカチッと進む音が聞こえたような気分だったけど、あれは長針だったな。フェデラーの引退で進んだのは短針。大きな時代がひとつ終わった。時は流れたんだ、ほんとうに。

【追伸】
 08年、ナダルが初めてフェデラーを倒して芝のチャンピオンになったウィンブルドン。伝説の5時間越え決勝を書いた「空の果てのナダル」。6年ぶりの、そしてふたりにとって最後のグランドスラム決勝対決となった17年全豪を書いた「永遠のタンゴ」、それぞれアップしましたので、お好きな方はどうぞご覧ください。

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