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いちまいの写真

 久しぶりにラグビーの代表戦を見た。6月22日、対イングランド。去年の秋、時折ささやき声の混じる、いささか腑に落ちづらい道のりを経て、新しい年から再びジャパンのコンダクターに就任した、ミスター・ハードワーク(最近はあんまり怒らないらしい)、エディ・ジョーンズ初采配となるテストマッチ。おお、リーチがキャプテンに戻ってるけど知らない選手ばっかだ。普段こまめにチェックしない怠惰なファンゆえ、馴染みのない顔が並ぶスコッドに戸惑いつつ、でも、次のワールドカップに向けてまた新しいフェーズが始まったんだなあとのんきにワクワクしつつ。

 わたしが初めてラグビーのワールドカップなるものを知ったのは、1999年のウェールズ大会の時だった。そのすこし前、代表ヘッドコーチに就任した平尾誠二さんがあまりにカッコ良くて、いまで言う「にわか」全開、ろくにルールも知らないままスタジアムに突っ込み、思いがけずラグビーの面白さにハマって秩父宮や国立に通うようになっており、「ワールドカップ観戦ツアー」みたいなチラシをもらって、おおワールドカップかウェールズかすげーなー行きたいなー行けるわけないけどなー、などと思ったのを覚えている。壮行試合にも行って、応援フラッグにメッセージ書いたりもしたっけ。

 ちなみに、この四半世紀前の代表メンバー。キャプテンには、初の外国出身選手起用となった東芝府中のアンドリュー"アンガス”マコーミック。ナンバー8は昨年までワールドカップ2大会ヘッドコーチとしてジャパンを率いた、当時サニックスのジェイミー・ジョセフ。ジョセフHCのもとスクラムコーチを務め代表のスクラムを世界に伍するレベルまで鍛え上げたサントリー長谷川慎がプロップ。プレイスキッカーはトヨタのスタンドオフ廣瀬圭司、司令塔スクラムハーフは東芝府中の村田亙(リザーブには現ラグビー協会専務理事岩渕健輔さんの名前もある)、両ウィングは増保輝則、大畑大介、神鋼の快足コンビ。大畑選手はホントに速かった。この人の足にはターボが付いてる、って、いつも思ってた。

 そ、そうか、そんな代表を見ていたのか、と驚く。まだトップリーグではなく社会人リーグの時代。あの時すでに種はまかれていたんだと思えば、尚更感慨は深い。でも、わたしにとって、99年頃のラグビーは大学と社会人とそれに続く選手権、「目の前のラグビー」で精一杯、「世界と戦う」みたいなことはリアルじゃなかった。なんつったって、代表監督、とか、ウェールズ、とかワクワクしたことは覚えているのに、肝心の本戦の試合を見た記憶がさっぱりないのだ。結果をチェックした記憶すらない。テレビで中継あったんだろうか?? ニュースで報道されたりしたのかな???

 まだインターネットが行き渡っておらず、SNSもなかったミレニアム前夜。前年98年にサッカーが初めてワールドカップに出場し、02年日韓共同開催も決まっていたので、当時は「ワールドカップ」と言えばサッカーのことだった。国内やアジアではともかく、世界に出ればそれはそれは弱小のジャパンラグビー、そりゃまあ話題になりませんというわけで、あの頃ラグビーにもワールドカップがあるということを知っているのは、かなり少数派だったように思う。のちに、19年に決まった日本開催に合わせて建て替えられる予定だった国立競技場の設計が揉めて、計画を変更すると間に合わないという話になった2015年でさえ、世の中の空気は「いいじゃんラグビーなんてもっとちっちゃいとこでやれば」くらいの感じでちょっと悔しかった(でもわたし自身「ラグビーにななまんにんもお客さん入るんだろうか。。。」とひそかに思っていた)。

 新世紀、IT革命、やがて蜘蛛の巣の如く張り巡らされるSNS、情報の荒波に揉まれ、ラグビーもプロ化へと移り変わりながら、しかしジャパン冬の時代は続く。安定の全敗となった99年ウェールズ大会。世界がのけぞるイングランド大会まであと16年。

 いちまいの写真。03年11月、もうすぐ1歳になる息子を連れて行った秩父宮で撮ったもの。子どもが生まれて、数年続いた毎年9月から2月までの週末ラグビー場通いが途切れ、歩けるようになったら一緒に行けるかなとか思ってチャレンジしたもののやっぱり試合を見るどころではなく、結局そのまま足が遠のいた。仕事と子育てでわあわあひいひいの日々を過ごし、ある日ふと思った。そうだ、ラグビー見に行こう! ちょうどもうすぐワールドカップじゃないか! というわけで次に私が秩父宮の門をくぐるのはそれから12年後ということになる。

 2015年、9月にイングランドでの本大会開幕を控え、GWに行われた香港とのテストマッチで、わたしは初めて忍者ポーズのルーティンでプレイスキックを蹴るフルバックを目撃する。試合は41-0の快勝。ああそうか、この頃のジャパンはまだみそっかす扱いだったので、ヨーロッパや南半球の強豪国はワールドカップ前の大事なテストマッチに付き合ってくれたりしなかったのね。久しぶりの秩父宮、芝生の匂いと青空を横切る楕円球は相変わらず美しくて、わたしは、ああやっぱりラグビー好きだなー、と、ただただうれしかった。

 そのように、思えば牧歌的ですらあった初夏の秩父宮から5ヶ月後、冗談ではなく世界がのけぞった南アフリカ撃破を含む予選で3勝を挙げながら勝ち点差で敗退となったイングランド大会。4年後、アジアで初となる日本での開催。楕円球の熱が国中を席巻し、日本代表チームは初めて決勝トーナメントに進出する(新しいナショナルスタジアムは間に合わなかったけれど、横浜国際での南アフリカ対イングランドの決勝は、ななまんにん、満杯だった)。さらに4年後、期待された昨年のフランス大会は残念ながら予選プール敗退。同じグループDでともに日本を破ったイングランドとアルゼンチンが3位を争い、横綱対決となった決勝は、わずか1点差でスプリングボクスがオールブラックスを破り、2大会連続のウェブ・エリス・カップを手にした。

 で、イマココ。27年オーストラリア大会を目指す旅がまた始まったわけだ。イングランド、オーストラリアと巡ったのち9年ぶりに復帰した、日本人の血を引く稀代の策士エディ・ジョーンズ。このひとは嘘つきなのかもしれない。でも、本気の嘘は時に希望によく似ているから、騙されてもいいかな、なんて。堀江翔太、泣き虫の田中史朗も現役を去った。監督は出戻りでも、はがゆい疫病騒動を越えてようやく芽を吹こうとしている新しい若い才能に、新しい期待をしたい。神戸の李くんも、早稲田の矢崎くんも、サントリーの山本くんも、すごくいいじゃん。

 平尾誠二ヘッドコーチ率いる代表を見送ったあのはるかな夏の自分に、あと20年くらいしたらジャパンはティア1(ハイパフォーマンスユニオンと呼ばれるようになったのかな)の一角を担って、オールブラックスやヨーロッパの強豪ともガチのテストマッチやるし、ワールドカップではベスト8に入っても誰も驚かないチームになってるよ、平尾さんは自国開催を見届けることなく星になっちゃうんだよ、あとジャニーズなくなってるよ、って言ったら、どんな顔するだろう。

 新しいジャパンチームがイングランドにボカスカやられるのを見ながら、うーん、またここからか、いいよいいよまた20年くらい待つよ、いやでもちょっと待てよ、あと20年も生きてられるかわかんないぞ、まいっか、骨は拾うよ、あれ逆かな、ついてくから骨は拾ってくださいかな、なんてくだらないこと思ってちょっと笑っちゃったりしていた。

 いまがいつか「あの頃」になるのを、ひょんなことから始まった、好き、が「好きでよかった」になるのを、わたしはあとどれくらい待てるだろう。でも長いこと付き合って、やっとわかることってあるよね、人間も、ラグビーも。いちまいの写真。私にラグビー場通いを断念させたちびは21歳になった。もうね、役に立たないファンでホントに申し訳ないんですけどね、大敗とか、全然びくともしないんです。好きになったのは、強いからでも、人気があるからでもないので。

 

  


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