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手作りというのはダサいものだ

数年前 洋裁にどハマりした。

夫の母からミシンを譲り受け、それだけでは足りずロックミシンも買った。もともと手を動かすのが好きだから、洋裁は楽しかった。よだれ掛けからはじまり、子どもの服を作った。イタリアの幼稚園には親が布で袋とか作ってもっていく習慣はないので、これは純粋に私の楽しみだった。

産後鬱と冬が長く霧が続くという国への引っ越し。なんやかんやで引きこもりだった私にとって、洋裁はリハビリというか癒しだったのだと思う。

型紙を作る。布を截つ。マチ針で止めて縫う。ステップごとにだんだん形ができてくるのが楽しかった。裏返した時に、出来た!となる達成感。そして、それを着てくれる(というか着せられた)子ども。可愛すぎる。。

で、数年たち、そのお手製の服を着た子どもの写真を見ると笑ってしまう。私の作った服が思いっきりダサいのだ。あんなに可愛く見えていた手作り服が笑ってしまうほどダサいもさい。(子どもは可愛い。)

洋服を作るのは面白いし、そんなに難しくない。しかし、おしゃれな服を作るのはとても難しい。
ポケットの位置がどれだけ見た目に影響するか!なんて、自分で作ってみるまでわからなかった。ポケットをつけるだけで、作業工程が20くらい増える。で、ポケット無しにするともっさい服ができる。

または、全く必要のないズボンの前開き風のステッチ(前のジッパーがある部分のミシンで塗ったところ)これが、あると無いとでは見た目が全然違うのだ。それはよーくわかるんだけど、素人には曲線を2本揃えて縫うのは難易度が高いので、省く。すると一気にズボンがださくなる。

もさダサいズボンをはいた息子↓もちろんポケットも前明き風のステッチもない。

買ったほうが安くて可愛い。西松屋(子ども用品の激安店)で買えばズボンなんてワンコインだったりする。

でもね。。。と。作るのが楽しかったんですよ。お金と時間で考えたら買ったほうが安いなんてことは百も承知で。時間だけは売るほどあったし。

自分が新しいことを学ぶことが出来るということと、出来たものを使ってくれる(勝手に着せてるだけだけど)人がいるということ。ものが出来ていく過程で確実に何かが満たされた。自己満足とか言われればそれまでだけど。(自己満足以外にどんな満足が必要なのだろう?)

おばあさんがタバコの空き箱とか5円玉とかで不思議なものを作ったり、おじいさんが公道の花を手入れしまくる気持ちがわかりすぎる。ようになった。売り物レベルの品を作れる人は無条件にリスペクト出来るようになった。

コスパという概念からもっとも遠いあの服たち。写真に残るダサい服を着た子ども。それを見るたびにダサっと笑ってちょっと胸が痛い。

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