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年齢のこととか、あと60年あることとか。

クリスマスツリーを片付けた。もうすぐひな人形。五月人形はもっていない。

海外で生活していて思うのは、日本には年齢にまつわる行事・事柄が多いなあということ。

七五三・ 成人式・ 還暦・喜寿・米寿・先輩後輩・同級生・同期。 (一番大きな放送局の社員の人が、会社で「何年生」みたいな呼び方をしているとを聞いってワォと思った。「あいつは6年生(入社6年目)だから」とか。35年生までやんのかな・・)

あと、季節の行事にも大人・子供を分けるものがある。雛人形は結婚・五月人形は元服・鯉のぼりも元服・卒業式・入学式。

結婚する年齢・就職をする年齢・親になる年齢。子供であるべき年齢/大人であるべき年齢をうまく分けたいんだと思う。

まぁそんな簡単に分けられない。と、20代後半まで転職(派遣・バイト・正社員)を繰り返し、そこから無職とキャリア志向ゼロの私は思ったりする。型に自分を押し込めるより、型を作った方が楽。

小学校でもそうだけど。決められた6年間できない人もいるし、4年で出来てしまう人もいる。だからいつでも、期間には余白というか伸びしろみたいなのは、必要なんじゃないかなぁと思う。

お金を稼ぐこと・数字を稼ぐことが大事とされるこの時代に、そんなことは難しいということはわかっているんだけど。

年齢ついでで、年長者を敬いましょうみたいなの苦手だ。

お笑いは好きなんだけど、「おまえ後輩やで」とか「先輩のくせに」とか「同期の中で」とかが、全く出てこないひな壇のおしゃべりみたいなの想像してほしい。ほぼ無いから。

そのくらい、年齢で人を判断するのということが空気のように存在している。

これに弊害があって。あまりにも上下関係を壊さないことが大事だと空気のように吸い込んできたせいか、私は自分より年齢が上の人に対して意見をすることにストッパーが自然にかかるようになっている。

今でも義父や先生のことを名前で呼ぶことに抵抗がある。

それは仕事じゃなくても起こる。

ついでに、下にも言いにくい。偉そうと思われるかな、という遠慮。だから同級生という環境が必要なのかも。イタリア語だと平気だけど、日本語だと敬語とか考えて難しい。

ここまで言ったらまずいかな?みたいな遠慮。これ、やっぱりよくないものだなと年長者側に回ることが増えるようになってつくづく思う。

だって遠慮されて、何も言われないから自分の失敗にすら気づかないみたいなことが、当たり前に起こってくるんですよ・・全方位に気をつけるより、ダメ出しができる、される環境にいたい。

おばが多分70になったときに「あー70だって、嫌ねー。もう死んじゃうんだよ。つまらん。」って祖父は100才まで生きてるから、そこまであと30年もあると思うと、人生設計変わりますね。


去年もこの時期こんなことを書いてましたね。1月はそういう時期みたいです。


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