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走馬灯

木曜日、走馬灯を見ました。

病院の屋上から落ちた時でした。なぜかスローに周りの景色が動いてよく見えました。コンビニの屋上に設置された室外機、街路樹の上で騒ぐカラスの群れ、ゴミ置場から転がったアルミ缶、駅の方角へ歩く柄シャツの男性。薄ぼんやりとした意識の中、壊れたラジコンのように動かない体が日常をめがけてゆっくりと落ちていきました。

ふと気がつくと、目の前に走馬灯が流れていました。

小学校入学式でスーツを着たまま泥にまみれた私を叱る母親、遠足で食べたカツの入った弁当、成人してからは一度も会っていない中学の頃の親友、キスを経験した初めての恋人、気分の波が激しい担当医。

ゆっくりと流れる走馬灯を、私はとある男が出てくるのを楽しみにしていました。それは大学時代ずっと一緒にいた木原です。振り返れば木原に出会ったのが私の人生における唯一の光でした。木原にとっては私の存在は闇だったと思いますが。

木原は呆れるほどの映画マニアで、小劇場でしかやらないような映画を飛行機を取ってまで見にいくような男でした。きっかけは些細なことでしたが、木原とはすぐ仲良くなりました。木原の映画の話は面白く、私も次第に映画が好きになりました。

そんな時、私は難病のため長期入院することになりました。木原とどこかへ映画を見にいくことはできなくなり、木原は見舞いにレンタルしたDVDを届けてくれるようになりました。

入院で気持ちが塞ぎ込んでいた私も、木原や家族の励ましで徐々に元気を取り戻しました。良い機会だから何か前向きな活動をしたいと思い、ブログを書くようになりました。映画の感想文、映画のパンフレットに書かれていた裏話、役者同士の関係についてなど。病院での日々は退屈でいくらでも書く時間がありました。今だから明かせますが、ブログの内容はどれも木原の話していた内容のパクリでした。

私のブログはじわじわと人気になりました。閲覧数ランキングの順位を上げていき、ついには一位を取るようになりました。中でも人気だったのがネタバレを含む映画の要約でした。ブログには「あの新作について教えてください」というコメントが多く書き込まれました。

私はその度に木原にお願いして新作の映画について教えてもらいました。「本当は俺が話すより見てもらった方がいいんだけど、お前は映画館に行けないからな」と前置きして映画の内容を話してくれました。木原にはもちろんブログのことは秘密にしていました。

私のブログの人気を受け、一通のメールが届きます。「大変面白いブログの内容で、いつも楽しく読ませていただいています」という丁寧な挨拶で始まったメールでした。そのメールは、私のブログを動画にまとめてYouTubeで流さないか、という提案でした。私は普段通りにブログを書くだけで、なんの制約もない。その条件の割になかなかの報酬を提示されました。

入院費で家族に迷惑をかけていた私は、この提案をすぐに受けました。

私はますますブログの連載に力を入れました。YouTubeはすぐに人気が出て、「ファスト映画」という言葉が生まれました。見るのに2時間かかる映画の内容をたった15分で理解できるという意味のようでした。

たくさんの報酬を受け取り、私はとても舞い上がっていました。YouTubeのコメント欄にも私の文章を絶賛する人が大勢いました。入院が長引いて社会とのつながりもない中、このブログだけが私を評価してくれました。

ある日、木原が浮かない顔で見舞いにやってきました。

「ファスト映画って知ってるか?今流行っているらしいんだけど、そのせいで映画を見にいく人が減って、映画業界が新しいものを作るのに躊躇しているみたいなんだ」

私はどきりとしながらも、「へぇ、そうなんだ」となんでもないように相槌を打ちました。

「お前に話している映画の内容も、ファスト映画と変わらないんじゃないかと思って。だから反省したんだ。俺はもうお前に映画の話はしない。その代わり、退院したら一緒に映画を見に行こう」

木原は優しい男でした。もしかしたら気がついていたかもしれません。でもその時の私は表情を偽ることに必死で、木原の顔をよく覚えていません。頭床台に置いたパソコンを木原が開いたらどう弁明しようか、そんなことを考えていました。自分で自分が情けないです。

木原から映画の話を聞けなくなり、ブログの更新はすっかり止まりました。

そして私は逮捕されました。刑事から著作権法違反だと病院のベッドで聞きました。刑事は「長期入院中で映画を見れないあなたの代わりに映画の情報を提供した第三者がいるはずだ」と私を追い詰めました。木原のことはひた隠しにしました。木原は悪くない。私は木原を庇おうと必死でした。

ですが、私を見舞うのは家族か木原ぐらいなので、すぐに木原のもとへ事情聴取に行ったようです。私は目の前が真っ暗になるような気持ちでした。

映画を愛する木原が最も嫌がることを私はやっていたのです。

私は死んで詫びることにしました。どうせ治らない病気を抱えていたのです。遺書には度々病院を抜け出して映画を見に行っていたと書き残しました。そして迷惑をかけて申し訳ないと木原はメッセージを残しました。

それで木曜日に病院の屋上から身を投げたのです。

死ぬ前に木原の顔が見たいと思いました。ですが、木原に合わせる顔がありませんでした。私は最後まで卑怯でした。

目の前に走馬灯が流れ始めた時、私は内心嬉しく思いました。最後にじっくり木原の顔を見て、自分なりの謝罪ができれば心置きなくこの世を去ることができます。

走馬灯がゆっくりと流れていきます。木原はまだ出てきませんでした。見舞いに来る家族、やけに明るく励ましてくれた妙齢の看護師、若いのに大変ねといつも声をかけてくれた掃除のおばちゃん。

どれも木原との思い出を超えるほどの記憶ではありません。このままでは、若い頃に難病にかかり将来を絶望して命を絶った可哀想な人になってしまいます。私はそんな三流の感動映画の主人公ではありません。早く、早く木原を出してくれないと。私は入院中に世間を揺るがすような犯罪をした加害者なのです。決して可哀想な人ではありません。アスファルトの地面はそこまで迫ってきています。

焦る気持ちを無視するように、木原のいない走馬灯がだらだらと流れます。もう間に合いそうにありませんでした。

無性に腹が立ってきました。私の走馬灯の編集者は本当にセンスがない。木原を抜きにして私の人生をまとめようとするなんて。これでは私を正しく理解することはできない。

そう憤慨して、ようやく気がつきました。これは他でもない私への罰だったのです。二時間かけてようやく伝わる映画のメッセージを、端折って端折って短時間にまとめようとする私の浅ましさに対する罰だったのです。

私が端折ってきた映画のワンシーンに、その映画を豊かにする何かが含まれていたのかもしれません。それを削ぎ落としてきたことが私の犯した罪なのだと気がつきました。ですが、もう遅いのです。ただ、私は最後に謝りたかった。木原、すまないと言いたかっただけなのです。

時間はゆっくりと確実に私を死へ導きました。

顔にまず強い衝撃を感じました。細い棒で鋭く突かれるような痛み。それはすぐに身体中を刺しました。カラスたちが激しく鳴く声がしました。街路樹に落ちたようでした。私の体は反り返り、重力に引き寄せられるまま地面へ向かいます。

薄目を開けると落ちていく先に一人の男がいました。どうしても一目会いたかった男でした。左手には青色のレンタルDVDの袋を持っていました。信じられない光景でした。男は落ちていく私の体を避けようとせずに、受け止めようと両手を広げました。

いけない、と思いました。私なんかのために怪我をしてはいけないと思いました。最後の最後に迷惑をかけられないと思いました。体を捻り、木原を避けようとしましたが、その時間は残されていませんでした。

胸と腰に金属バットで叩かれるような衝撃があり、そして地面に叩きつけられて全身に強い痛みが走りました。首がおかしな角度で曲がったようでした。

視線の先には倒れた木原がいました。口の中を切ったようで血が流れていました。木原はすぐに起きて私の方へ駆け寄り、大丈夫かと問いました。揺さぶられる体に痛みがあり、生きていることを実感しました。ですが、意識は朦朧として今にも飛んでしまいそうでした。痛みのせいか涙も鼻水も大量に出ていました。最後の力を振り絞り、どうにか口を動かしました。

「木原、ごめんなあ」

木原は首を横に振り、私の肩を揺さぶって声をかけてくれました。

「退院したら映画見に行くって約束したろ」

木原の背景に見える木漏れ日は、映画の始まりのような美しさでした。

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