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犬の靴

愛犬家の多い世界である。私は犬を飼ったことがないのでその気持ちは分からないが、街を歩く犬の格好を見れば、そこにかけられている愛情の深さが分かる。
飼い主に連れられて歩く犬たちはきれいな洋服を着こなし、4本足に靴を履いて歩いている。地方でこのような犬を見れば、「犬に洋服を着させるなんて少し変わっているな」と目を引くけれど、都市部ではそのような犬は珍しくない。ブランド物の洋服を着こなす犬や、飼い主の持つカゴにすっぽりと入り込んで空中散歩を楽しむ犬もいる。見慣れてしまうと当たり前の光景だ。
飼い犬に対して愛情をかけるというベクトルが、洋服や靴として具現化したのだろう。寒い冬は、小動物が寒そうに身を震わせるのがかわいそうだ、という気持ちもなんとなくわかる。


ところで、この間、後ろ足二本だけに靴を履いた犬を見かけた。前足二本は裸足なので、靴を履かせるのを忘れたのかな、と思ったが、それ以外の洋服やリードは完璧に装着している。履かせ忘れというわけではなさそうだ。

ではなぜ前足は裸足なのだろうか。

数分悩んで、ようやく飼い主の思考回路にたどり着いた。

おそらく、彼らにとって犬は家族なのだ。家族は両手両足を持つ。だから、飼い犬の4本の足を足として認識するのではなく、前足二本は手、後ろ足二本が足だと考えた。人間にとって手である前足には靴を履かせず、人間にとって足である後ろ足に靴を履かせたのだ。
熱くなったアスファルトや冷たい道を裸足で歩かせるのが可哀想だから靴を履かせたいという思いは理解ができるが、飼い犬を一人の人間として受け入れようとするのはどうだろう。書いてて訳がわからないが、あの飼い主はおそらく、本気で犬を人だと考えている。「私の愛する子の両手に靴を履かせるのって変じゃない?」と真剣に悩んだのだ。

彼女は、種族の異なる存在を人間の規定で捉えようとした。愛は種を超えるという強固な信念を持っていたのだ。

この飼い主が愛鳥家であれば、やはり鉤爪には靴を履かせ、羽を包むような洋服を着せただろう。もしヘビを飼ったら、その長い全身を靴下でくるもうとするかもしれない。

ガンダムマニアならプラモデルをお風呂に入れるし、読書好きなら本棚に布団をかけただろう。哀川翔ならカブトムシにお箸を差し出すし、大空翼ならサッカーボールを便器に載せるのだ。

それが愛であり、犬でいうところの後ろ足二本の靴なのだ。

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