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この世からいじめは無くなりますか?

※「逆ソクラテス」著:伊坂幸太郎の読書感想文です


私が中学生だった頃、いじめ問題はセンセーショナルなニュースだった。

その時代、その場に居合わせた当事者として、テレビでの報道やいじめをテーマにした小説やドラマにはずっと違和感があった。その違和感がなにかが分からないまま大人になった。

その違和感が何だったか、この本を読んでようやく理解できた。

いじめ問題の傍観者として、あるいは当事者として、あの頃から感じていたのは、いじめはただひたすらに面倒臭いという子供なりの本音だったと思う。その本音とテレビで流れるニュースの悲惨さとの間には大きなギャップがあった。

いじめについて書かれた小説では、激しいいじめと厳しい家庭環境に必死で耐える子供や、次に標的になるのが怖くて注意できない傍観者、人物背景の描かれないいじめっ子、というのが大抵の登場人物だった。説教を垂れるように、傍観者もいじめの加担者であると書かれていた。傍観者でいることさえも許しはしないという大人からの圧力を感じて面倒だった。

小説の結末がどうなったかは覚えていないけれど、あまりの過激さで描かれるその問題は、いじめという言葉を重くしたし、私たちが教室で経験してきたような問題とははるかに異なる問題であるようにも思わせた。いじめ問題の深刻さを描くために暴力表現は過激になり、これこそがいじめの怖さだと書き上げた小説は、当時教室にあった小さないじめはいじめでないと認定するようだった。

小さくてもいじめはいじめであるし、面倒だけど一つ一つのいじめ問題に取り組んでいこうよ、と導いてくれる先生がいれば、私の中に違和感は生じなかっただろうと思う。

あれから月日は流れ、いじめ問題は形を変えながら今もこの世に存在し続けている。悲しい事件が起こるたびにテレビやネットで取り上げられ、大きなニュースになる。それが何度も繰り返されるうちに、いじめ問題は日常的なニュースの一つとなり、色褪せてきた。あの頃のようにセンセーショナルな報道のされ方をすることはもうないだろう。

コメンテーターたちも多くの経験を経て、いじめ問題への意見や姿勢にも正解、のようなものが形成されてきた。

「加害者が絶対的に悪い」「いや、加害者の家庭環境にも問題が」「いや、学校の態度はどうだったか」その多くは悪者を探そうとするもので、いじめ問題を解決しようとするものではなかった。コメンテーターを貶めたいのではない。ネットに散らばる意見も大抵がそうだ。被害者が出れば、加害者は誰だったか探そうと躍起になる。その構図はいじめ問題のそれと対して違わない。

大事なことは犯人を探すことではなく、いじめ問題の根本にあるものをもう一度見つめ直すことだ。そこをじっくりと捉えなおしたものこそが、伊坂幸太郎の書いた「逆ソクラテス」という本である。



いじめ問題に対する一つの答えが「逆ソクラテス」の小説世界で明瞭に描かれている。この小説の登場人物たちは皆、心の中でいじめは面倒なものだと知っている。いじめはやっても損しかないし、いじめっ子は可哀想なやつだ、と。

誰かをいじめていたら、いつの日かいじめられっ子やその家族から大きな仕返しを食らうかもしれないし、そうでなくても周囲からは可哀想なやつだとつまらないレッテルを貼られてしまう。

あの当時、確かに私も同じようなことを思っていた。いじめは面倒だな、という気持ちを他の皆が同じように思っていたと知っていれば、いじめ問題は根底からひっくり返っただろう。

いじめっ子は恐怖の対象で、周囲の耳目を集めようとするからこそ暴力という手段に出る。けれど、教室の生徒たちが皆同じように可哀想なやつだなと視線を送っていたら、いじめっ子はどうなっていただろう。誰かをいじめればいじめるほど孤立していき、その行為の馬鹿らしさにようやく気がつくだろう。

いじめは面倒で、いじめっ子は可哀想なやつ。

現代の若者の諦観に似た、いじめへの冷めた視点がこの小説には存在する。この視点を教室の生徒が皆同じように持っていることを知れば、それはいじめられっ子にとってどれだけ大きな勇気になるだろう。いじめられっ子にとっては、傍観者の視線も恐怖の対象になる。けれど、傍観者たちの冷めた視線はいじめっ子の方に向けられていて、いじめられっ子には真っすぐな共感の気持ちしかないと知ることができれば、どれだけ大きな力になるだろう。

著者はこの小説で、いじめ問題を根っこの方からひっくり返そうとしている。

同時に、著者はいじめっ子、いじめられっ子、傍観者の全てを非難しない。そこには共感があり、諦観があり、世の中を空から眺める大人びた態度がある。


いじめっ子が、あるいはいじめられっ子が、はたまた傍観者がこの本を手に取り、「ああ、みんなも私と同じようにいじめは面倒臭いと感じていたんだな」と知ることができれば、きっと世界は変わるだろう。それは今教室に広がる停滞したムードを切り開く一筋の光になる。たった一冊の本が、いじめという大きな問題に対して真っ向から挑戦しようとしている。

私は今すぐにでもこの本をあなたに勧めたい。この本に通底する優しい諦観をつないで、子供達の未来を照らしたい。


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