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自分についてのQ&A その2 本について他

父について
父とは会話をあまりしなかった。自営で、夕方になると食事もせずに寝床にこもり、テレビを見ながら酒を飲むという毎日を過ごす人だった。そこに子どもの入り込む余地はなかった。でもいくつか思い出はある。こたつで寝そべる父のふところに入り込んで、テレビでナイターを見ながらいつのまにか寝てしまったこと。夜中にインスタントラーメンを作りに起きてきた父が、僕の分も作ってくれて一緒に食べたこと。隣町の飲み屋のカウンターで一人飲む父を一人でタクシーで迎えに行ったこと(もちろん着払いで払ってもらった)。父は享年49。僕ももうすぐその歳になる。


殺人について
殺すって人の人生を止めること。肉体の死ばかりでなく、その人の持っていた関係性ごと「そこまで」にしてしまう。かつて子どもとして生まれ、親にかわいがられたり、夢を持ったり、恋したり、泣いたりといった人生の彩りが、殺されることで終わってしまう。殺されると、もう夢見ることもなく、新たな苦しみを得ることもなく、誰かに触れることも、好きなものを食べて「美味しい」と感じることもできない。人間一人は肉体としての人間一人分とイコールではない。関係性や記憶といったさまざまな「情報」が人間には紐づいている。それを奪う殺人という行為は、殺人者という人間ひとりが抱えられるキャパシティを超えている。 真っ当だった人が殺人を犯すに至るには、人を殺すに足る、殺人という行為に釣り合う巨大な暗黒のような感情が必要だろう。被害であれ加害であれ未遂であれ 不可抗力であれ、僕はこれからも殺人に関わるのはごめんである。


自分の性格についての分析
極端にシャイで損をしている。やりたいこと、言いたいことに忠実でない。どうしてこうなってしまったのか。子どもの頃はわりと明朗なタイプだった。笑い上戸だった。
あとは何だろう、いつもフェアであろうとはしているかもしれない。


自分の主題
主題?テーマってことね。わからない。義務を果たすほうに今は振れすぎている。でも義務を果たすことをファースト・プライオリティにすると、自分も人も裏切るような形になるので良くない。
「人は幸せになるために生きるのではなく、自らの運命をまっとうするために生きる」という言葉がある。この運命とは主題(テーマ)と置き換えてもいいかもしれない。自らの主題とは、自らの本心と切っても切り離せない。重要だね、主題。


作文の思い出
わりと得意だったはずだけど、自分のその得意さにもっと自覚的であればよかったかも。でもブログは8年半ほど、本当に毎日欠かさず続けたんですよね。作文じゃないけど。そうやって継続したことは、なにか曖昧な自信となって自分の中に残っている。


練習したこと、もとからあるもの
習得って、系統だったメソッドを必要とする。つまり短期間でできることに大したものはなく、根気強く向き合うことが要求される。苦手なんですよ。僕ももっと根気強かったらなとは思うが、やはり運命は性格の中にあるのだなあ。


お金について(金銭感覚)
ろくな金銭感覚がなくて困ってます。あと、どうやらわりとお金に執着するタイプらしいことがわかった。そうでもないと思っていた。生まれた家が事業の借金や保証人問題などでかなり大変なことになったから、その傷みたいなものがあるのかもしれない。お金がなくて何かができなくなるということに強い不安を感じる。20数年前、父が死んですぐに相続放棄をした。これはそうするようにと生前の父に強く言われていたからだ。


休暇をどう過ごすか?
どう過ごしたいかということなら、関東近郊へ短い旅行に行くか、あるいは街をぶらぶらして、映画を観たり、食事をしたり、完全に好きに過ごすのがいい。日が暮れたら友達と待ち合わせて飲み屋でちょっと飲んだりしたい。


今までで一番悲惨だと思ったことは?
例えば戦争。人があっけなく死ぬということは間違いなく悲惨なことだけれど、身知らぬ大勢の戦場での死がもっとも悲惨に思えるかというとそうではない。生前のディテールが細かく思い出せるようなひとりの知人が不運にも死んでしまうほうがつらい。自分にとって生のリアリティを感じられる相手を失うことはもっとも感情を揺さぶられる。自分に子どもがいると、子どもの悲しいニュースは身を引き裂かれるようにつらく感じられるものです。


本について
家の寝室に本棚があって、文庫などは奥から3列にして無理やり収納している。引っ越しのたびに本は何割か捨ててきたのだが、お気に入りの本は20年以上も一 緒に連れそっている。最近はほとんど本を買わなくなった。もっぱら図書館で、週に何冊か借りてきて読んでる。小説もあるし、サブカルもあるし、少し前には 世界の産業革命以降の歴史についての本を漁るように何冊か固めて読んでいた。自分の中で波というか、ブームがあるらしい。


自由について
自由って解放。つまり抑圧とか制約とかのフレームがあった上での自由が、いわゆる自由と呼ばれる。そうでないなら自由は自立に近い。責任を伴うからだ。自分にルールを設けて、能動的に振る舞うこと。自活すること。だけど、こっちの自由はあまり自由とは思えない。あと思うのは、勇気がなければ自由はないということ。


快楽について
すごく溺れがちな自分がいるゆえに臆病になってる気がする。「臆病」というのは自分のキーワードのひとつという感じ。


哲学について
自意識について色々考えて書いていると、哲学的と形容されたりすることもある。それは哲学なのか、よくわからない。考えても仕方のないことを考えること。感情や思考にもっともしっくりくる言葉を探すこと。自分のこの思考がどこから来ているのかを探る試み。要は言葉。知ってる言葉が多いほど複雑な概念に耐えられる気がする。


てな感じで、つづく。

やぶさかではありません!