TAXI.
「すみません、実は私この仕事始めて3ヶ月なもんですから、道がちょっと分からなくて。ナビを使ってよろしいでしょうか?」
淀みのない言い方だった。きっとこの運転手は3ヶ月間、客を乗せるたびに、まったく同じセリフを繰り返してきたに違いない。ナビに沿って走るなら別に問題はないかと思ったのと、その運転手の声の調子がとても朗らかだったので、僕はそれを了承した。いいですよ、気をつけて走ってください。
「ありがとうございます」ゆっくりとタクシーは走り出した。
深夜タクシーに乗ったのはいつ以来だっただろう。ある金曜日の夜、仕事の打ち合わせが深夜に及び、僕が帰り支度を終えて会社を出たのは実に午前2時をまわった頃だった。会社の前を走る第二京浜では、恒例となった年末の道路工事が気ぜわしそうに、まるで靴屋の小人のような動きで細かくけたたましい音を立てていた。ゆく車の流れは絶えずして、ヘッドライトが夜に流れる。会社の前で僕は呼び止めたタクシーに乗り込み、行き先として自宅の最寄り駅を告げた。そこで冒頭のセリフを返されたわけである。
3ヶ月の新米タクシーが夜を往く。
聞くと、東京に来たのも3ヶ月前だという運転手。大柄でメガネをかけている。声のキーは高く、屈託がない。それが営業慣れしたような雰囲気を感じさせた。
「こんな時間まで、どういったお仕事ですか?」運転手が聞いてきた。
「えーと、広告の仕事です。今は代理店に出向中ですが、もともと制作会社に」
「そうですか。お疲れ様です。この仕事は長いんですか?」
「20歳の頃からずっとだから、もう十ウン年になりますね」
「もう少し若く見えますよ」
「どうも、ちゃらちゃらしているもんで」
「でもね、若く見える人ほど苦労していたりするんです。私の経験ですが」運転手はかみしめるようにそう言った。
車はナビの表示にしたがって、大きな交差店を右折する。
「制作のお仕事も大変ですよね。この仕事がお好きなんですよね?」
「まあ、ある程度好きじゃないと続かないかもしれないですね」
「大変でも、好きな仕事をするのが一番ですよ。本当に、それが一番です。お金も大事ですけど、給料の額とかじゃないんです。だから、いいですよ」
「あの、…3ヶ月前まではどういった仕事を?」
立ち入ったことだとは思いながら、僕は思い切って質問してみた。
密閉されたタクシーの中という状況では、軽い緊張感が生まれる。そんな空間では、会話は絶好の緩和剤となり、またおそらくは一期一会、この運転手とは2度と会うこともないのだろうという意識も手伝ってか、逆に非常に話が弾むというケースがあるものだ。まさに、この夜もそうだったかもしれない。
「わたしは色々です。東京の前は九州のほうにいました」
運転手は極めてフランクに答えてくれた。
「九州の前には広島、その前はアメリカ、石川県は金沢にいたこともあります。あと京都、北海道の旭川…。生まれですか?大阪です。あ、東京で働いていたこともありますよ。たった数年ですけど」
「色んな場所をめぐっているんですね」
「ええ、ずいぶん転々としているでしょう?私は会社を経営していたんです。ちょっとしたショウ・ビジネス関係の仕事です。私は今まで2回、会社を倒産させちゃっているんですよ。いろいろありましてね。借金もあるし、地元には帰れないし。タクシーは、お金が貯まるまでのつなぎなんです」
車は五反田から中原街道に入る。交差点は混雑していたが、すぐに流れた。
「23歳の時に会社を起こして、何人か雇ってやってたんです。今なら起業ブームで若い人が会社を作るなんてよく聞きますけど、当時にしてはなかなか珍しい若さでした。今思うと、やっぱり世の中のことがよくわかってなかったですね。勢いだけでやっていた。それでも楽しかったですよ。ちょっと儲かると、すぐみんなで飲んだりしてね。…まあ、それがよくなかったんですけども」
風が窓を打つ。
「地方にも進出したなあ。あ、名古屋も行きましたね、よく。大きなディスコがありましたから。芝浦、六本木…金沢もその関係で行きました。でも、そのうちディスコが廃れていってしまった。みんな時代の流れです」
“ディスコ”というのはフランス語の“ディスコティーク”から来ており、マルセイユの方言で「レコード置き場」を指すのだという。1980年代中期からが日本のディスコの全盛期であるから、運転手の年齢は40代半ばといったところだろうか。バックミラーに映る顔の一部からでは、年齢を判別するに至らない。
「私はね、人間の娯楽は、歌うのと踊るのが交互に来ると思うんです。この間まであんなにカラオケが流行っていたけれど、今はそうでもないでしょう。みんな歌うのに疲れたんですよ。カラオケは、ちょっとしたナルシシズムというか、自分が気持ちよく歌うのを人に聞いてもらいたいから歌うんです。自分の次の曲を選ぶのに夢中で、人の歌を聞かないなんてつまらない。歌っているほうも白けちゃいますよね。そんなのばっかりになった。クラブなんかもありましたけど、また僕は、踊りの流行が来ると思います。そろそろみんな、身体感覚というか、身体を使って踊ることの気持ちよさを求めているんですよ。だから踊りはきっとまた流行る。その時はまた…」
運転手は言葉を継がなかった。
「あ、そこの道を左に入って、右折してください」
タクシーは中原街道から桜坂を通っていった。
「ここはひょっとして、あの、歌になった桜坂ですか?」
桜坂。福山雅治が同名の曲をヒットさせ、200万枚を売った。東京に詳しくない運転手が桜坂の場所を知らないのも無理はない。
「そうです、歌の桜坂です」と僕はいった。
「ここは春になると、桜のトンネルが見事ですよ」
「見事でしょうねえ」
まるで目に満開の桜を映したように運転手はいい、何か思うところがあったのだろう、そのまま言葉を失った。桜坂はその名に恥じず、春には桜でピンクに染まり、わざわざ遠方よりそれを見にやってくる人もいるほどである。
だが、冬のある日のある未明、タクシーから見る桜はまだ、闇に黒々とゆれる乾いた葉影に過ぎないのだった。
やぶさかではありません!