憧れという言葉

憧れは憧れのままだから美しい

という言葉を書いた。


ここから先は憧れのものについて書くのではなく、憧れに近づきたいと願った自身の考えについて書くので、一般的にみた憧れとは捉え方が異なりますのでご注意を。



私はよく憧れを形にしたいと口にしていた。それは自分の夢のことである。夢が夢になるまでそれは自分にとっての憧れだったためそう言っていた。


憧れは憧れのままだから美しい

もちろん"憧れ"のものが綺麗なだけじゃないことは分かっている。そうなるまでには苦労や困難、辞めたいと諦めたいと言う言葉を吐くこともある。ということは分かっている。見える部分だけだと美しい。しかしそこまでくるのまでには暗い部分もある。私はそう分かっているつもりになっている。だって実際どのような暗い部分があるのかは知ることが出来ない。


憧れという船があるとする。

私はそれをただ眺めているだけ。

乗ることは出来ないし、中の様子を知ることも出来ない。

見た目は豪華でとても美しい船だ。

どうやって出来たのかも知らず、ただ綺麗とだけ言う。中には嫌いという人もいるだろう。

私の考える憧れとはそういうものだ。

憧れたものは未知だから美しい、知りたい、学びたい。

そして外観でしか評価することができない。


その憧れに近づきたい、あわよくばなりたい。そう口にしたことがある。しかしそれはもう憧れではない。

憧れたことは事実であるが、今の自分が目指しているのはそうではなく、

その憧れは目標になっていることを自覚しなければならない。

憧れという言葉はどこかふわふわしていて、いつ手放しても平気なもののようなイメージがある。

だから捨てることが出来る。逃げることが出来る。諦めることが出来る。

外観の美しさに惹かれた船に乗り込みたいと思うのなら、

憧れの裏にあるものを知らなければならない。

本当に知りたいのなら、憧れという言葉に逃げず

目標というより確かなものを目の前に用意すべきだ。



そう頭では分かっていても、行動に移せないでいるのがダメな私だ。


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憧れたからそれになる、憧れだから頑張る、憧れに近づけるように…なんて口にするのではなく、目標だからやると言葉にした方がより強い意思の表れになるとふと思ったのだ。

もちろん憧れという言葉は素敵だ。輝いて見える。

輝いて見えるが故に私には眩しすぎたのだ。

だから憧れと口にすると眩しい、素敵だ、自分には無理と言っていたのだろう。

目標だとなんだか堅くて重いような気もするが手を伸ばしやすいのかもしれない。

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私はなりたいものになれるだろうか

多分無理だ

生まれた場所を恨み、自身の性格を恨み、なにもない自分が嫌いなのだから

そんな奴がなりたいものになりたいなんて言うのは、もう3回死んでも無理だろう