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続・詩作のための練習詩

短詩からのアプローチ

「詩を書くために、書きやすく、まとめやすいような作り方ってないですか?」なんて思っても、詩人や詩の先生の前で言ったら、多分怒られそうです。でも、気持ちはわかります。僕も、そう思うことはありますから(笑)

 特に、書いた経験の少ない人が、なかなか思うように取り組めないのも、こういった壁があるということが原因の一つになっているように思えます。そこで、そういった人はまず、「五音六句の短詩」を作るところから始めてみるのもいいかなぁと思います。話が手前味噌になってしまいますが、この短詩はとても便利です。便利というのは、融通がきくと言い換えてもいいかもしれません。つまり、「書きやすく、まとめやすい」形になっているからです。どういうことなのかを、以下具体的にお話したいと思います。

利点とは

 この形の短詩はすべての句が五音であるため、

①句の順番の入れ替えが、比較的楽である。

②文字数が三十音なので短歌に置き換えるのが楽である。

③要約すれば俳句や川柳のように短くもしやすい。

④そのまま「自由律短歌です。」と言っても誰からも文句は言われない。

という主な利点が上げられます。ただし、いいことばかりではなく、慣れるまでは作るのにちょっとだけ苦労するかもしれません。それと、必然的ですが六音以上の言葉や言い回しは、一つの句の中には収まりませんので、言い換えなどのひと工夫が必要になります。五音の句を繰り返し作っていると、他にはない独特のリズムを感じ取ることが出来ます。変化がないのでゆったりとした雰囲気もあります。実際に作ってみると気づきますが、六音だとぴったり収まるものが多いのに、五音になると収まるものは意外に思いつきにくいです。そこを踏ん張って何とか乗り切り、1つでもいいので、とりあえず詩を作りさえすれば、上に書き出した利点が意味を持ってきます。例えば、有名な格言から、五音の句を見つけ出すと、こんなのがありますよね。

「人間は 考える 葦である」(にんげんは かんがえる あしである)

 パスカルの『パンセ』から生まれた言葉です。非常に覚えやすい短いフレーズで、五音三句の構成になっています。他にも、探せばいろいろなところに散在しているリズムであって、そのわりに気付かれていないです。ただし、上の例では「考える葦である」のところは、意味内容上の切れ目がないので、本当は切ってしまってはいけないところです。短歌や俳句で言うところの「句跨がり」というものです。従って、入れ替えるときには、倒置法として「考える葦である。人間は。」みたいにしか、この場合は出来ません。勝手に格言をいじってしまい申し訳ありませんでした。お許しください。

短詩における具体例

 さらに具体的に、前回の『詩作のための練習詩』に掲載した、僕の詩を使って説明をしたいと思います。

 さっきまで 鳴いていた
 こおろぎの こえが止み

 ひとしきり 鳴いていた きりぎりす
 それもまた 鳴き止んで

 一瞬の 静寂(しじま)まで 消え去って
 僕だけを 置いてゆく 秋の夜

 (20210901/私之若夜=しのわかや)


第三連の部分を取り出してみると

・一瞬の 静寂(しじま)まで 消え去って
 僕だけを 置いてゆく 秋の夜

たとえば、「僕だけを 置いてゆく」の部分を最後に持っていきたいなら、

・一瞬の 静寂(しじま)まで 消え去った 秋の夜
 僕だけを 置いてゆく

これでもいいですよね。つながりを考えて「消え去って」を「消え去った」に変えました。この程度の変更で大丈夫です。簡単ですよね。短歌だとこうは行きません。五と七のリズムが混ざっていますからね。さすがに自由自在とまでは行きませんが、比較的簡単に動かせるし修正もしやすいです。

自由律俳句もできますよ。例えば、

一瞬の 孤独を残す 秋の夜
・僕だけを 残して過ぎゆく 秋の夜
・僕だけを 置いて過ぎゆく 秋の夜

などなど。適当に必要な句を抜き出して使ったり、強調したい句を修飾するように構成したり、いろいろいじれます。内容はともかくね(笑)

 それも面倒な人は、いっそ短歌としてみたらどうでしょう。そのままでも、破調短歌として通用しますよ。内容はともかくね(笑)例えばこんな風に、余白を消してただ一行表記するだけです。

・一瞬の静寂まで消え去って僕だけを置いてゆく秋の夜

 または、

・一瞬の/静寂までもが/消え去って/僕だけ(を)置いて/ゆく秋の夜

「もが」を足しただけで、リズムがより短歌に近づきました。第四句の(を)は、一字余りが気にならないので、そのままでもいいかなという感じです。そしてこれは偶然にも、もはや破調ではありません。内容は、これだとわかりにくいので、もう少し場面が浮かびやすいようにする必要はありますけどね(笑)形の上では、あっという間に短歌型の出来上がりです(なんと悪魔的な提案だろう)。

おまけの提案

 あと、付け足しですが、短詩を詠むときには、実際にその場所や場面を見ながら作るといいと思います。イメージがなければ言葉は選べないし、気付きや関心・感心・感動などがなければフレーズや文も思いつきにくいでしょう?どうしても無理なら、写真を使うのもいいと思います。僕も写真を使って短詩を作る練習をしています。少しでも、何か気づいたことを言葉で表現してみて、実際と比べてどうかなという検討をしながらやってみると、さらによいかなと思います。こんなものでも、それらしく作れるとけっこう嬉しく感じるものです。ここから、短歌や俳句に移行していく手もあるんじゃないかと思います。一見回り道のようですが、のんびりゆったりやりたい人には、おすすめの制作活動です。