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【親が子のことをまるっと受け入れられるかどうかで未来は変わる】

誕生日のお祝いをした時のできごと

先週、息子の11歳の誕生日でした。
ハッピーバースデー🎂を一緒に歌って。

そのあと息子が
最近変わったことが1つあるんだけどわかる?と。


私:お互い太ったこと 笑
息子:まぁそうなんだけど。
           あとは、〇〇(夫の名)とママが前より優しくなったこと。
           ぼくはそれがうれしい☺
    ↑
私と夫が息子が不登校になる前や、行かなくなってからしばらくは、息子のやることなすことに口を挟んでいました。

口を挟むというのは、やりたい事に対して、
「あっちの方がいいよ。こうした方が効率いいよ」などなど。
時間の縛り(寝る時間や食事の時間などを促す)もです。


学校に行ってた頃の話

最近では学校に行ってた頃の話もします。
◍先生から授業を強制的にさせられた(やりたくないのに)。

授業を生徒が受けるのは当然のことなんだけれど、
「強制的にさせられている」と感じるのには理由がありそうですが、
今回は聞きませんでした。


◍給食の時間が決まっていて、食べ終わるに必死だった。
という話もしてくれました。
先生が「はい。あと10分で給食の時間終わります」とか言っていたらしいです。

息子は小2で不登校になっているので、
その頃時間内に事を終わらすということは、本人にとって苦痛以外のなにものでもなかったのかも知れません。


過去の過ち

当時私たち夫婦は、家で学校と同じことをしていました。
声かけと言えば、
「宿題やった?」「お風呂入る時間だよ」「もう寝る時間だよ」
こんなことばかり。

私たちはフルタイムの共働きをしていました。
家に帰るとやることがてんこ盛りで、心に余裕のない私たちは(特に私)
少しでも時間に余裕を作りたくて、日々を過ごすというよりも、目の前のタスク処理に追われていたと思います。

そんな心の状態の自分にも気づかずに子供に接していました。
接していましたが、子供の表情に気に掛けることはほとんどありませんでした。

私たち親の接し方が、学校がしんどい子にさらに追い打ちをかけていたことに全く気づきませんでした。


大人が変わらないといけないと思った日々

でも、私達は子供から少しずつ学び変わっていきました。

◍「ありがとう」「ごめんね」の言葉を伝えるということ。
特に「ごめんね」は、本当に言えませんでした。
心のどこかで、なんで子供に謝らなきゃいけないの?と
思っていたんだと思います。

◍毎日「何が食べたい?」「なにがしたい?」と話しかけました。
息子に自己選択できるようになってほしかったからです。
自己選択が自信につながることを悩み相談をしていた友人が教えてくれました。
最初は「なんでもいい。お母さんが決めて」と言っていましたが、次第に「あれ食べたい」「コンビニでこれ買ってきて」と言うように変化していきました。

息子が変化していく様子を見た私は、子どもを変えるのではなく、『まず大人がそれまでの考えを変えていかないと子どもも変化しない』ということに気がつきました。

あれから3年。

今ではお互いの気持ちを話せる関係になりました。
それを誕生日の日に変化として息子が捉えてくれた事、本当にありがたいなあーありがとう♡という気持ちでいっぱいになりました。

思春期に入っても、この関係が続くように楽しく努めていきたいなと思います。

そして、自分の体験から、親が子のことをまるっと受け入れられるかどうかで未来は変わると確信しています。


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