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#転機

シェルターでの生活も1ヶ月を迎えたころ
子ども達が保護されたと連絡が入った。

理由は娘が学校に通っておらず
保護責任を果たしていないという名のもとで
生活環境の悪化も見て取れたため保護となったと説明を受けた。

子ども達は心身の状態や検査なども含め
しばらく別々に過ごすようにとのことだった。

数日後、私達が入所する母子寮が決まった。
一足先に私が向かうこととなり
シェルターの職員と共に田舎道の続く
小高い山の上にある母子寮に到着した。

山奥には不釣り合いな防犯カメラがいくつも取り付けられた門扉
施設らしい入り口を抜け、階段を上がると
一室ごとのドアがずらりと並んでいた。
間取りは、四畳二間に一畳半程の台所
付いていたのはユニットバスだった。
施設の職員に一通り母子寮の規則の説明を受け
一週間分と目された買い物かごに入った食料を受け取った。
米にレトルト食品、カップ麺。
家具家電は一式揃っていたため、特段不自由には感じなかった。
週に一度、バスを出し入所者が買い物できるようしているとのことだった。

私が入所した寮は主にDVなどで保護された母子がほとんどで
労働に出ている者は少なく、
数人すでに労働している者は退所が近い母子だった。
慌ただしく環境が変化する中、
疲れもあったのか入所後すぐに体調を崩した。
町へ行き、母子寮御用達の内科で診察を受け、検尿、採血を終え
再び診察室へ入ると医師が告げた。
「妊娠していますね」
心当たりは当然ある。抗い切れず受け入れたこともあった。
けれど不思議とショックは受けなかった。
むしろなんの苦痛もなく子どもを育てられることを想像し安堵した。
児童相談所で保護されている子ども達を迎えるまでの期間
こんなに閉ざされ隔離された空間だったが、生きてきた中で最も心が解放された期間だったように思う。

町内会にあるような寮全体の入所者会議。
お隣さんの騒音や、少しヤンチャな母子へのクレーム等々
この小さな世界にも色々あるようだ。
週に一度の買い出し。バスに揺られ小一時間
ローカル版イオンのようなショッピングモールで与えられる時間は
一時間。少し気忙しいが身の回りや食料品を購入するには十分だった。
限られた資金の中とは言え、好んだものを買い、食べることは幸せだった。

ある日、通例の入所者会議で施設の前面道路に補整の為
工事が入ると説明があり、一部の若いシングルマザーは黄色い声を上げた。
本来、寄り付くはずもない場所に若い衆が来るかもしれないという期待がそうさせたのだ。
2,3日すると工事が始まった。
あの手この手で声掛けを試みる彼女たちは本当に可愛くて
同時に、人生を変えたいと心底願っていることも切ないほどに感じた。

長く時間が掛ったが初夏を迎える頃
子ども達が母子寮に入所となり、数ヶ月ぶりに会うことができた。
「ママ~!」と車から飛び出してきた彼らの顔は、今でも忘れない。
会えた嬉しさと、あの日置き去りにしてしまった後悔とで涙が止まらなかった。自身の自由を優先させ、たとえ一人でも手を引いてやれたかもしれないのにそれを選ばず逃げた私を、母と呼び、抱きしめてくれた。
その日の夕飯は、週に一度の買い出しで奮発したゴロゴロの牛肉がいっぱい入ったカレーライス。自然と笑みをこぼしながら、牛肉が柔くなるよう前日から仕込んでいた。
一息つき、皆でカレーを頬張りながら、子ども達は口々にあんなことがあったこんなことがあった、と話は尽きなかった。
その夜は、小さな小さなユニットバスにぎゅうぎゅうになりながらお風呂を終えた。布団に入ってからも話は続く。
真っ暗な部屋、ベランダの窓から涼しい風が入り込んでいた。
カーテンの隙間から見えた夜空に、私の小さな男の子は
起き上がり小さな声で言った。
「ママ、お星きれいだねぇ」

新たな生活が始まる。

どうかどうか、いつまでも、とこの幸せが続くように願った。


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