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きれいな物語になれない

ハッピーエンドが好きです。辛いことや苦しいことがあっても、最後には笑顔でいられる結末がいい。
そういう話を求めているし、実際に読んだり見たりするものは、ハッピーエンドかどうかを確かめる。

そういう物語は、たとえどんな困難があっても何だかんだで、ちゃんと生きていくことを選ぶ。全てが解決することもあるし、ままならない現実と共に歩くとしても、ほんの少し違う見方ができるようになって、少しだけでも息がしやすくなったりする。

ハッピーエンドの物語は、大体ちゃんと生きていく結末になる。
死んで終わり、死ぬことで救いになりました、という話はたぶんハッピーエンドと呼ばない。(メリーバッドエンドとかかな)

それはわかる。私もそう思う。
だからずっと、私はハッピーエンドになりたかった。自分の物語も、いつかハッピーエンドになるんじゃないかと思ってた。

今まで触れてきた物語みたいに、きっと最後には生きることを選べるし、ままならない現実でも生きていこうと思えるんじゃないかって。
私の大好きな物語や、そこに生きるキャラクターたちならきっとそうする。だから、私だっていつかそうなれると思って、そういう風になりたいって思ってた。

だけど、たぶん私は、きっとそうなれない。


生まれてきたことが間違いだった

気づいた時から、ずっと「私は間違って生まれてきたんだろうな」という感覚がある。
少なくとも小学生の頃にはそう思ってたし、「私は本来なら生まれてくる人間じゃなかった」と思って生きてきた。

これが根本的なものなのか、いろんなことが複雑に絡み合った結果なのかはよくわからないけど。
とりあえず、この考えがナチュラルすぎて、三十手前まで「本来なら存在してはいけないのに、なぜかここに存在してしまっているので、居場所を得るために努力をしなくてはならない」と思って生きてました。

具体的には、「他人のプラスにならなければ私は存在してはいけない」と思ってたから「私は対価を支払い続けなければいけない」いうのが行動指針になってたし、迷惑を掛けたら罰が待ってると思ってました。
日常生活は常に他者の採点が待ち構えてるんですよ。
望んだ答えを返せたか、迷惑を掛けなかったか、手を煩わせなかったか、ほしいものを渡せたか、機嫌を悪くさせてないか。
常に他人のことを気にして、他人にとってプラスでいるために努力する人生、罰ゲームか何かか???って感じでしたね!!!

いやマジで今思い返すと、私よくこのメンタルで生きてたな。そら毎日しんどいわ……。
まあ、これのおかげで学生時代は優等生だった。勉強に対する気合いが違うからそれはそう。だって、自分が存在するための対価だったもん、優秀な成績。対価を支払わなければ恐ろしい罰が待ってると思ってたから、そら必死で勉強もするよね。
対価を支払い続ける人生も充分罰なんですけどね!!!

ちなみにこの辺は、家庭環境的に勉強ができないと人間扱いされない……みたいな厳格家庭とかじゃないし(むしろ塾とか行ってない)、虐待があったとかでもないし、めちゃくちゃ一般的な家庭です。どうしてこうなった。

こんな感じで生きてましたが、行動力がないので自殺はできなかった。いえ、ちょっとだけ試したことあるけど怖くなって実行できなかったんですよね。私は自殺すらできない……って落ち込んだ。

自殺もできずに毎日他人のことを気にして(という自覚も実はほぼなかった。対価を支払い続けるのは当たり前だから)、常に摩耗してるみたいな日々でも何か生きてたのは、主に二次元のおかげです。
現実じゃないのでその瞬間だけは違う世界にいられるから、たぶん何も支払わなくていいってわかってたんだろうなぁ。

同じくらいに妄想にも助けられてました。妄想の世界は自由で、どんな対価も要らない。私の何かを差し出さなくてもよかった。

現実じゃない世界に心を飛ばすことで、私はずっと生きてたんだと思います。おかげで妄想力がやたらと高くなって今に至ります。


おだやかに終わろうと思った

結局無理を重ねてるので、いつか破綻は来るんですよ。
大学卒業してから、いろいろとピークに達して「全部終わりにしよう」と思ったんですよね。
この時は、絶望って感じじゃなくて、ただおだやかに澄んだ気持ちで、「ああ、ようやく終わりにできるなぁ」と思ってました。

でも、どうせ死ぬなら……と書きたいものを書こうって、その時ちょうど考えてたオリジナル設定満載の二次創作小説を書くことにしました。

この時ちょうど好きだった漫画があって……二次創作いっぱい読んでたけど、私の読みたいものがなくて……。あまりにオリジナル要素多すぎるからだとわかってたし、表に出したら怒られるだろうなと思ってたんだけど、どうせなら好き勝手に書いて一応読める状態にするかどうせ死ぬし……みたいな気持ちで、小説書いてアップすることにしたんですよ。
最終的に辿り着くところがオタク。

完全に好き勝手、書きたい放題で書いてぽいぽいっとWeb上にアップしました。どうせ読む人いないし、私が好きな時にオンラインで読めるからまあいいか。いつか誰かは読む人いるかもしれないし。
って思ったら、何かすごく読んでくれる人がいてあまつさえ感想いっぱいもらってしまい、「あれ???」ってなった。

しかも、何かこのジャンルの人みんなやさしくて、結構感想もらったのに、本当全然嫌なこととか言われなくて、嬉しい感想しかなかった。

こんなにオリジナル要素の強い話なのに……?キャラクターが好きだって気持ちを読み取ってくれて、私の書いた話でキャラクターを好きになってくれて、オリジナルポイントも面白いって言ってくれて、続きを読みたいって言ってくれる……?

この現実にびっくりしてしまった。
だって、これは自分の読みたいものを書いただけで、他人のことなんて一切考えてなかったので。
自分が読みたい、心から好きなものを取り出して形にしたものを、こんな風に受け入れてもらえると思ってなかった。

私は今までの人生で、本音を他人に言ったことが(ほぼ)なかったんですよ。存在してはいけない私の本音なんて、誰かに聞かせるものじゃないと思ってたし。私が口にするのは、他者にプラスになるものであるべきだったから。(あまりにも迎合すると怪しまれるし、不快感を持たれるので本音っぽいことは言ってた)

本音っぽい何かを言うのは得意だったけど、本当に自分の気持ち100パーセントで何かを外に伝えたことなんかほとんどなかった。
(ゼロじゃないのは、親に本音言ったことあるけど、正論で打ち返されて以来言っても無駄だな……と学習してしまった)
だけど、私の気持ちだけで形にしたものを、初めてちゃんと受け入れてもらえた。私の気持ちを、心を、誰かのためではない私のためだけの言葉を、受け入れてくれる人がいる、というのを初めて体験しました。

それが二次創作の小説っていうのが、すごく私らしいなと思うし、今もこのジャンルは好き。キャラクターたちはずっと頭の中にいて、いつだって寄り添ってくれる。

そんな感じで、読んでくれる人がたくさんいて、無事に長編小説は完結しました。
お祝いの言葉もいっぱいもらったし、ちょっとした企画にもたくさん参加してもらえたし、何なら書いたの十年近く前だけど今でも時々感想もらえる。
ジャンルの力だけど、あの話本当にすごいな。

そして、書けば書くほどもっと書きたくて、読みたい話もいっぱい出てきて、番外編とか続編とかも書いたし、そうやってたくさん書いてる内に死のうと思ってたことを忘れた。

「これ書いたら全部終わりにしよう」が「完結するまでは生きてるか」になって、「番外編も書きたいな」と思って、「続編が読みたい」ってなっていって、最終的に死ぬことが抜け落ちていくという。

それまでずっとどうやって終わりにするかばっかり考えてて、朝目が覚めても「まだ生きてる……」って気持ちだったのに、ある日「続き書かなきゃ」って目が覚めた時のこと、今でも覚えてるよ。

明日のことなんて欠片も考えられなかったのに、ある日「明日はあれの続きを書くんだ」ってワクワクした気持ちになって、「あれ、私明日のこと考えてるな……」って気づいた時の、くすぐったいような気持ちを覚えてるよ。

そんな風に、私はとある二次創作で死ななかったという経験があります。


対価を支払わなくても生きていていい

さらにその後、自分のメンタルについて考えて「私なんでこんなに生きてるのが辛いんだろ」から、いろいろあってこの結論に辿り着きました。
もう、これに気づいた時は本当世界がひっくり返るくらいの衝撃でした。いいの!?私、誰かのプラスにならなくても罰受けないの!?
もしかして、何もしなくてもただ生きていていいの!?

本当びっくりしたよね。まあ、今も「対価を支払わなくては」って考え出てきちゃうけど……。ここに至ってからまだ十年も経ってないから仕方ない。

こういう風に思えるようになってから、自分に対していろんなことを許せるようになりました。
それまでは「他人にどう思われるか」「他者のジャッジはどうか」って考えちゃって、身動き取れないことが多かったんだけど。「私は私の気持ちで動いてもいい」って思うようにしてから、やりたいことはやろうと思って。

まあ、この辺が同人誌作るとかなんですけど。
やりたいこと突き詰めると、大体は妄想に辿り着くんだよな。メンタルに変化があったおかげで、同人誌も作れるようになりました!!
私最終的に辿り着くとこ、大体ここなんじゃないの??

そういう感じで、やりたいことをやれるようになって、自分の気持ちのままに生きていてもいいんだ、と思えるようになって、楽しいことをたくさん知りました。


やっぱり生まれてきたくなかった

だけど最終的に、この結論が揺らがなくて。
楽しいことはいっぱい知ってる。同人誌を作れるのも、推しカプの妄想もめちゃくちゃテンションが上がる。物理的に自分の本を手に取れるのも、一番すてきな自分になれるのも嬉しい。

だけど、やっぱり、どうしても、生まれてきたくなかった。

今日までの人生で出会えた、楽しいこととか嬉しいことは、変わらず私の中で輝いているし、大切な思い出で記憶で、宝物だと思う。
だから、一つだって蔑ろにはしたくないし、ずっと大切にしていく。
だけど、生まれてこなかったこと天秤にかけたら、圧倒的に生まれてこなかったことに傾く。

大事なものは変わらない。なかったことにしたいわけじゃない。
でも、私が生まれなければそもそも最初から存在してないんだよ。ならそれでいいんじゃないかって思う。元からあったものを消すわけじゃない。取り上げるわけでも、バッテンをつけるわけでもない。
ただ、最初から何もない状態になるだけだ。

「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」

芥川龍之介「河童」

最初に読んだ時から「ノーと答える」と思ってましたが、今も答えは変わりません。選ばせてくれるなら、生まれることなんか選ばなかったよ。


きっと「生きていくことを選んだ」という結末がハッピーエンドだと思う。

子供の頃から生まれてきたくなくて、生きていることが辛くて、死にたいと思いながら小説や漫画に助けられながら生きてきて、二次創作という形で他人と交流し、死ぬことを止めて生き延びた。
それから自己内省を踏まえて、それまで自分を縛りつけていた強い固定観念から脱し、自分の気持ちのままに生きることができるようになった。
やりたかったことやって、楽しいことをたくさん知って、人生で一番自由に生きていられる。

だから、これから先を生きていこうって思えるのが、一番きれいな物語だ。

きっとそれがハッピーエンドなのに、私はやっぱり生きていきたくないし、生まれてきたくなかったと思っている。

生きていくのが辛かった。それが解消されたら、きっと生きていきたいと思うと思ってた。これからも生きていくんだって、生きることに前向きになれるだろうって。思ってたし、そうなりたかった。

だって、私が今まで触れてきた物語は、大好きなキャラクターたちは、そういう人たちばっかりだった。辛くても苦しくても、最後にはちゃんと生きることを選べる。生きていこうと言える。そういう人たちで、そういう風になりたかった。

今まで助けてくれた、たくさんの物語たちみたいに。ちゃんとハッピーエンドになりたかった。生きることを選びたかった。生まれてきてよかったと、生きていくことを肯定したかった。

だけど、きっと私はそうなれないんだと思う。
きれいな物語なりたかったよ。力をくれた物語たちみたいに、最後には生きることを選びました、という物語でいたかったよ。
だけど、私はどうしたって生まれてきたくなかったので。生きることを選べないまま、終わりにできるチャンスをうかがいつつ、死ねないので生きていくんだろうなって思う。
生きていくことを肯定できないまま、死んでないから生きてると思う。


きれいな物語じゃなくても

でもまあ、そこまで悲観的ではないというか、それはそれで仕方ないなという気持ちはある。
生まれてきたくなかったと思ってるのをなかったことにして、むりやり「生まれてきたことに感謝してます!」って言う方がよっぽど不健全だし。

何より、私は二十数年間、他人のための言葉ばっかり大切にしてきて、自分の気持ちを殺し続けてきたので、もうそれを選びたくない。
だから、私は自分の「生まれてきたくなかった」を殺さない。

生まれてきたくなかったし、できれば終わりにしたいし、生きていくことなんか全然肯定できない。
そういう自分で生きていくことは、素晴らしくないし別にいいものでもないけど、ものすごく悪いことではないと思う。
なかったことにしなくていい。こういう自分はこういう自分で、ここにいる。

とは言っても、生きていくことに前向きになりたい気持ちはあるのでずっとこれはあるのかもしれないな。
創作と妄想に親しみがありすぎて、物語のようにきちんと伏線回収してほしさもあるかもしれない。
人生、別に小説でも物語でもないから、伏線なんてないしオチとかつけなくてもいいんですよ。

矛盾したまま、何も解決しないまま、きれいな物語じゃなくても、別にいいんだよって、思えるようになるかな。

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