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九州旅行記 ⑧ (指宿→枕崎)

指宿枕崎線

2022年3月16日、朝5時ごろに起床。5:57 発の山川行の始発列車に乗車する為に指宿駅へ。この列車は、昨日鹿児島中央駅から乗車した始発と同じ列車だ。

中央名店街

駅前から伸びているアーケード街。指宿と言えば全国的に有名な温泉のはずだが、商店街は駅前とは思えないほど寂しい雰囲気だ。勿論早朝だからという理由もあるが、昨日夕方に通った時もだれ一人歩いていなかった。

山川駅

列車に乗車後一駅で山川駅に到着。この駅は鹿児島湾に近く、対岸の山川港とさらに奥の大隅半島側から太陽が昇ってきている。

キハ40

次の列車は枕崎行のキハ40。指宿から乗った列車には殆ど乗客がいなかったのでのんびりしていたが、列車はどうやら同じホームではなく向かいのホームに来るらしく、行ってみると通学の高校生が行列を作っていた。

乗ってきた列車は始発だったので、ここにいる高校生は皆山川周辺に住んでいるということになる。しかし行列といったものの一両編成の列車が埋まるほどではなく、無事友人と着席できた。

途中JR最南端の駅である西大山駅を通り、列車は西頴娃(にしえい)駅に到着。当駅で折り返す列車もある指宿枕崎線の主要駅で、高校生がぞろぞろと下車していった。しかし薩摩板敷や枕崎も高校の最寄となっているようで、列車は最後までガラガラにはならなかった。

枕崎駅

枕崎駅

山川駅から1時間14分、7:25 枕崎駅に到着。

これで仙台からずっと使用してきた切符はその役割を終えた。

本土最南端の始発・終着駅

稚内は最北端の駅にして宗谷本線の終着駅であるのに対し、前述したように最南端の駅は西大山駅なので枕崎駅には最南端の"始発・終着駅"といった表現が為されている。

仙台駅からは2491.1kmの旅路であった。新幹線等を駆使すれば1903.4km、最短12時間程度で到達できるらしいので、500km近く遠回りをしてきたことになる。第一の目的地である本土最南端・佐多岬とするとここは第二の目的地となる。

いろいろと散策したいところだが、列車は10分で指宿に折り返すので車内に戻る。この折り返し列車を逃してしまうと、次は6時間ほど待たないと列車が来ない。

稚内駅にはこのような看板があり、枕崎駅にもこれに対応する赤い看板があったはずだが探しても見当たらなかった。現在山川ー枕崎間で線路修繕工事が行われているがその影響なのだろうか…。

名残惜しくも枕崎駅を出発し、続いて西大山駅に向かう。

西大山駅

西大山駅

再び1時間程度乗車し、第三の目的地である西大山駅に到着。かつては正真正銘の日本最南端の駅だったが、2003年の沖縄のゆいレール開業により"JR"日本最南端となった。しかしゆいレールはモノレールなので、普通鉄道としては今でも日本最南端である。

見事に晴れ渡っており、背景の開聞岳と単線の線路が映える。

駅舎はないが、ホームには最南端を示すものが多く設置されている。一応仙台ー札幌・札幌ー旭川・旭川ー稚内の区間も鉄道に乗車したことがあるので、北から南まで繋がる鉄路を数回に分けて乗り通したことになる。

西大山駅では30分程度滞在時間があるので駅を出て近くにある土産物店へ。JR日本最南端の駅到着証明書を売っていたので購入する。

列車を待っているとどこかのツアーの団体がバスで駅にやってきた。西大山駅は鉄道趣味の人以外にも観光地として認識されているようだ。

鹿児島に戻る

指宿駅

20分程度で指宿駅に到着。続く鹿児島中央行の快速なのはなに乗車。この列車には今まで二回乗ったが、初の快速としての乗車だ。因みに友人は民宿に財布を置いてきてしまったので、取りにいって一本後の列車で鹿児島中央に戻ってくることになった。

10:35 鹿児島中央駅に到着。なお枕崎駅からは青春18きっぷを使用している。本来は鹿児島市維新ふるさと館にでも行ってみようと思っていたが、旅も今日で終わりと気が抜けてしまったのかどっと疲れが出てしまったので、友人が帰ってくるまでの暇つぶしとして西郷隆盛銅像を見るだけに留めた。

西郷隆盛銅像

銅像がポツンとあるのではなくちょっとした公園のようになっている。交差点の一角に位置しているが、道路を渡った向かい側には撮影場所が整備されており、遠足中と思われる幼稚園生達が先生の指示のもと記念撮影をしていた。

ざぼん

友人が財布を持って帰ってきたので昼食に。友人も一緒にいたのは2日間だけだが6日間の長旅で疲れてしまっていたようで適当に駅中でラーメンを食べた。

鹿児島空港

食後はもう少し時間があったが、お土産を買って早々と空港に向かった。私にとっては8日間の旅はこれまでで最長だった。この程度で疲れてしまうのだから、鉄道趣味の人たちがよく実行している最長片道切符の旅なんて無理だな、と思いつつ埼玉の実家へと帰った。


ここまでご覧くださりありがとうございました。


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