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人生を豊かにするのは自分主導の原動力

久しぶりにジェルネイルを施してもらった。

昨年の秋頃を最後に、バタバタとしてしまっていてなかなか会いに行けていなかったネイリストさんに会いたい思いも募り、思い立って予約を取ったのだ。

彼女はフリーのネイリストで、なんでも正直に話してくれる姿勢がすごく好きでいつもネイルをお願いしている。職種こそ違えど働き方が似ているからか、どことなく共感する話題も多い。

「しのちゃん、今日はなんかやりたいネイルのイメージあるの?」
「う〜ん、あんまりないんですよね」
「あら、そうなんだ」
「ピスタチオとオレンジ系のニュアンスが良いかな〜とかはあるんですけど。あとはおまかせで!」
「おっけ〜。おまかせください〜!」

イメージの共有に使った時間はほんの30秒にも満たなかったと思う。だけれど、完成に近づくたびにわたしは大げさなほどの感動を言葉にしてしまっていた。

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「やばい」「かわいすぎる」「天才ですか?」「どうしたもんか」「困ってしまう」「とんでもない」語彙力ゼロ、思考ゼロ。感性のままの褒め言葉。

そんな絶句するわたしを前に、クスクスと笑顔のネイリストさん。

「しのちゃんがそう言ってくれるから、明日からも頑張ろうって心から思えるよ〜」と女神のような返しまで。

「ほんと、すごいですよね。こんなにかわいいものをまるで簡単かのようにサササッと生み出しちゃうんだもん」
「え〜ありがとう。わたしは純粋に自分が好きなことを続けているだけだから、頑張っているとかそういう感じではないんだけどね」
「それ、プロだなあ〜。“楽しい”とか“喜んでもらいたい”みたいなのが原動力になっていて、苦労を見せずに実力で勝負している感じ、本当にすごいです」

思ったことをそのまま口に出しただけだったけれど、自分のそんな言葉にハッとした。

「“楽しい”とか“喜んでもらいたい”みたいなのが原動力になっていて、苦労を見せずに実力で勝負している感じ」を、今のわたしは大切にできているだろうかと考えたから。

思えば最近のわたしは、仕事での壁にぶつかりがちでその度に“自分の楽しさ”も“誰かのために”という感情も失って淡々と仕事をこなすだけになっていたように思う(もっというとプライベートすら投げやりになってしまうことも)。

「どうして自分ばっかりこんなに苦労して」「言われたからやるしかない」「全然乗り気じゃないけれど」とネガティブな言葉を並べては締め切りから逃げ惑うように仕事を続けていた。

仕事が楽しめないことも、ミスしたりうまくいかないことも、元気がないことも、あれもこれもと他人のせいにして、自分の責任から逃れていたのかもしれない。


自分のご機嫌を取るのはいつだって自分が良いのに。誰かが自分の人生を豊かにしてくれるなんて生き方、わたしは望んでいないのに。

もっと朗らかに生きたらいいんだよね、わたしもみんなも。自分の人生の主導権はどうせ自分にしか握れないのだから。

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