妊娠はしたけれど…




妊活を始める

ここでわたしがアラフォーにしてなぜ妊活を開始することになったのか、その背景を少し。
前夫がカナダ人だったので結婚、出産を機にカナダに移民したのが約10年前のこと。二人目を授かってすぐに仲が悪くなり、離婚。そのままカナダにとどまり、シングルマザーとして子育てしつつ、現地の学校に通って国家試験を受け、鍼灸師となる。
子育てと勉強、仕事に捧げた5年間を経て、まーったく再婚さらには今さらもう一人欲しいなんて意思はこれっぽっちもなかったのだけれども、人生は不思議なもの。たまたま巡り会った韓国系アメリカ人のDDは同じくバツイチだったけど子供大好きにも関わらず、これまで子宝に恵まれずいつか我が子を、という夢を持っていた。お付き合いを続けるうちに、この人ならいい父親になりそうだな、という思いが、いつの間にかこの人が父親になるのを見てみたい、この人との子供が欲しい、という気持ちに変化していった。
そのときわたしは38歳、DDは49歳。そう簡単にはいかんやろ、というのは容易に想像がついたので、入籍は置いといてとりあえず妊活をスタートしましょうということになった。ところでわたしはカナダ在住、DDはアメリカ。当初から遠距離だったのでますます妊活のハードルは高かった。

妊娠判明!

生理はだいたい規則的だったけど年に1、2回間が空くことも。なので排卵日の予測もざっくりしたもので、多分このへん、くらいのタイミングを狙ってしたら、そのまま生理がこない。また単に遅れただけかな?と数日待つも気配がないので市販の妊娠検査薬で確かめると、まさかの陽性。そんなに簡単に妊娠するはずがないと思っていたのでかなり慌てた。早い、早すぎる。覚悟ができていなくて焦るわたしと、天にも昇る心地のDD。現実として受け入れるまで少し時間を要したけれども、おめでたいことだということで落ち着いてからさっそく病院に検診に行くことにした。

上の子二人は日本で産んだため、カナダの妊娠出産にまつわる事情に関しては全く知識なし。日本のように妊娠したら産婦人科、捻挫したら整形外科、のように専門医に直接アクセスできないので、とりあえず初めはファミリードクターにアポイントを入れた。大学附属の総合病院なので何かと安心だし、このままここでお世話になるのかしら、と思ってアポ当日。

コロナの影響とかいってるけど基本的にカナダの病院ですぐにファミリードクターのアポが取れることはないような気がする。この場合何週間も待つのは無意味なので、空いてるドクターで、ということで若い研修医の女の子が担当となった。カナダ人、というかアングロカナディアンによくいるタイプで、とにかく明るくてしっかりハキハキ、リアクションも大きくてとにかくポジティブ。「おめでとう!最高ね!すてきよ!」と連呼してくれたのに、結局自宅でしたのと同じ尿検査で妊娠反応を確認しただけで、次の検診は三ヶ月後だと。日本では心音を確認して母子手帳を発行してもらえるようになるまでも検診に何回も通った気がするけど、そんなんでいいの?理由を聞いたら「3人にひとりは3ヶ月までに流産になるのが現実だから、その前にいろいろ検査したって無駄でしょ?」だと…。デリカシーなくない?

一応妊娠確定、ということで喜ばしいのだけれど、3人にひとり、という数字がのしかかってなんとなく不安な気持ちで帰路についた。数字にはいろいろあるみたいだけど、35歳を過ぎている点を考慮すると確かに現実的な線のようだった。

出血と流産

結果として彼女の言葉は現実となり、11週でわたしは流産を経験することになる。
前回までの2回の妊娠で2回ともつわりが壮絶だったのに対し、7週を過ぎてもなーんとなく食の好みが変わったかしら、食べないとちょっと気持ち悪いわ、程度の変化しかなく、今回はつわりが軽そう!とむしろ喜んでいた。それも8週過ぎてから全く平常に戻る。その頃に下着にうっすらピンク色の血を見つけて慌てたけど、これが流産の兆候であるとは思えなかった。それが9週に入り、真っ赤な血尿をトイレで確認したときはさすがに衝撃で涙が出た。医学部を卒業したDDの姉のすすめですぐに病院に電話をする。その時点でも「大丈夫、お腹は痛くないし、血の塊も出てないし、きっと深刻なことじゃない」と信じていたように思う。それでも電話越しの例の研修医の反応が思いがけず深刻で、すぐに超音波で確認する運びになった。

DDと二人で超音波検査(カナダでは病院ではなく超音波を受けるためだけのクリニックに赴く必要がある)に向かいながらも、どこか楽観的で名前はどうしよう、みたいな話をしていた。そんなことは自分には起こらない、と最後までどうしてか信じていたみたい。
まずはお腹の上からエコーを取るも、映し出された画像には何も見えず。「赤ちゃんがまだ小さ過ぎて見えないのかも。経膣でみてみるわね」といって膣の中からエコーをやり直してくれた。するとぼんやりした白い楕円形の塊が写った。これって何?技師の人は沈黙のあと、言いにくそうに「胎嚢はあるけど中に赤ちゃんがいないわね。胎嚢は8週間の大きさで止まってるわ。胎盤も育ってないみたい。」教えてくれた。その言葉が意味することがそのときはどうも頭に入ってこない。それはつまり…。「赤ちゃんはもう成長するをのやめたみたいね」

それから建物の外に出て、二人で泣いた。「大丈夫、また次があるよ、頑張ろう」と必死で励ましてくれたけど、そのあと部屋でパソコンに向かって一人で泣いてるDDを見て胸が張り裂けそうだった。たった1ヶ月とちょっとだったけど、存在しない赤ちゃんを二人で慈しんできた。それを思うと涙が止まらない。有頂天になったDDが両親や友達、上司にもフライングで報告してたのを知ってるからたまらない気持ちになった。
それでも少しづつまた穏やかな気持ちを取り戻していった。二人で経験したことのない深い喪失と悲しみを共有したことで、皮肉だけどこの人と家族になるんだ、この人とならどんなことも乗り越えていける、と思えるようになっていた。

流れる、ほんとに流れる。

11週。なくしてしまったことは辛かったけど、また元に戻るだけなんだ、と気持ちには整理がついていた。
超音波検査を受けたあとドクターに会って、流産後の処置について話を受けた。例の研修医とはまた別のベテランの婦人科の先生(こうして毎回違う人にあたるのもなんかストレス)。方法は三種類あって、このまま自然に子宮内に残ったものが流れるのを待つか、それを薬で人工的に早める、あるいはDilation and curettage、一般的にD&Cと呼ばれるいわゆる掻爬を外科的に行なうか。自然に待つのもいいけどいつになるか分からないし、待ってる間が精神的にきついからD&Cをすすめるわ、と言うのでその通りにすることにした。
カナダの医療システムは基本的に分業制なので、処置を受けるクリニックもまた別。そこから直接手術日を決めるための電話が入ることになっていた。いわゆる堕胎手術なんだよな、とこれまで人ごとのように思っていたことが現実になる不思議をぼんやり思っていると、猛烈にお腹が痛くなる。生理痛と同じ種類だけど、段違いに痛い。トイレに行くとやっぱり血が出てるので生理パッドを当てる。普段生理痛は軽い方なので薬に頼るという発想はなかったのだけど、これは痛い。しかも間隔を置いてさらに痛み出す。痛み止め、あったはず…と立ち上がるとゴロリと何かが大きな塊が流れ落ちる感覚があった。何、今の?未経験の異様な感じに怯えながらトイレで生理パッドを確認。長さ5cmはあろうかという赤黒い血の塊と、もうひとつ、ひと回り小さいくらいのぷるんとした透明なゼリー状のもの。見たこともない不思議な、でもきれいな楕円形のこれは何?楕円形、あ…。超音波検査のモニターに映った白い塊。赤ちゃんの入ってない胎嚢。これが実物なんだ。もしこの中に赤ちゃんを認めたら気を失っていたかもしれない。

それから痛みは治まり、大きな塊が流れていくような感覚はなかったけど、出血が止まらない。どうすればいいのか分からなくて病院に電話すると、やっぱりドクターとは話せない。代わりに看護師さんが出てくれたけど、特に何もしなくてそのまま過ごせばいいらしい。出血の程度を聞かれて答えると、ちょっと考えてからそれだけの量だと貧血になったり感染症になったり危ないかもしれないから、気になるなら念のため救急病院に行くことをお勧めすると言われる。

カナダでアポなしですぐにドクターに見てもらう緊急性がある場合、自ら救急病院に行かなければならい。救急、と言ってもそこから地獄の待ち時間に耐えなければならないのだけど。すでに待合室に100人は待っている。後で分かったことだけど、その日の当直のドクターは一人。夕方について結局名前を呼ばれたのは日付を回る頃だった。待っている間にもう一度ゴロリ、と最大級のがきてトイレに駆け込む。前よりも大きなレバー状の塊だった。胎盤は育ってなかったと言うけど、もしかしたらこれがそうだったんじゃないかと思う。それから痛みはすっかり治まり、終わったんだな、と静かに思った。

流産ってほんとに流れるんだ。全てが流れた。流れ落ちた。わたしの体がせっせと赤ちゃんのために用意してきたもの全てが。悲しい、というよりも強烈だった。頭や気持ちでは赤ちゃんを失ったことに対して整理ができてるつもりだった。でも視覚と触覚で味わう経験はそれとは全く別物。衝撃だった。そしてDDと喪失感は共有できたけど、この体感は決して男の人には分からない。いや女でもわたしはさっきまで知らなかったのだけど。結局妊娠も流産も女がひとりでするんだわ。なんだか孤独感が募って切なくなった。

朝方になってようやくドクターの診察を受けたけど、明らかに産婦人科は担当外なんだろう。血液検査だけ受けて、大丈夫そうだからと帰される。実はその前に看護師が貧血がひどいから点滴を受けるようにベッドに寝かせてセッティングしてくれていたのだけど、その後誰の手も開かないまま忘れられたのか、注射針が刺さった状況で数時間放置されていた。寝落ちしてたので起きた時に針の刺さった腕から血がダラダラ出ていてギョっとした。こんなことなら家でおとなしくしてればよかったよ…。ふらふらになって朝帰り。

医療従事者に限らないけど、日本人の感覚からするとカナダ人が雑に感じることは多々ある。看護師と電話したとき、流れた胎嚢はどう処理すればいいのか聞いてみた。すると「トイレに流していいわよ」って。さすがにそれはできなかった。病院に行く前に冷蔵庫に入れておいたそれを、帰って一眠りしてから庭に植えた。赤ちゃんにもなれなかったいのち。溶けてしまった透明の、いのちとも呼べるか分からない存在が天国にいることを祈った。

二人の子供を産んだけど、若くて無知だったわたしは全部が簡単で何も考えずにうまく行くと思ってた。それから鍼灸師として流産を経験した患者さんと対面するたび、何を言っていいのか、何を聞いていいのか分からずにぎこちない思いをしていた。もう、本当に何も分かっていなかったよ。分からないから避けるような、そんな無神経な態度は人を傷つけることを学んだ。流産といっても一人一人の体験は違うから、経験したから理解できるなんてことは言えない。でも痛みをそっと分かち合うことは少しできると思っている。流産を経験してよかったなんてことは絶対ないけれど、どんな痛みもどこかで還元できる鍼灸師でよかったと思う。







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