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生命の進化-令和編- 序章

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生命の進化-令和編- 序章

宇宙が誕生して、銀河が生まれ、太陽系が出来て、地球が出来て、そして生命が生まれた。
 地球に生命が誕生したことは奇跡だと今までは考えられていましたが、昨今、この広い宇宙では、様々な場所に生命が溢れていると考えている人が増えています。地球に生命が誕生して人間にまで進化したのだから、宇宙にも同じように生命が溢れていると考えるのも当然なことではないでしょうか。どこかの星で生命が偶然に生まれたならば、その「いのち」は高等生物まで進化するのは当り前だと思うのも無理はないことです。むしろ生命が誕生することが大変で、一度生まれてしまえば、簡単に人間にまで進化すると思っている人もいるくらいです。
 しかし目覚ましい科学の発展が、生命進化の道筋も奇跡の連続で溢れていることを解き明かしてきました。天の川銀河も太陽系も地球も、生命を進化させるのにとても好都合で奇跡の環境であることが解り、そして地球に生命が生まれ、そこから約18億年何も進化しなかった生命が、突然、三つの大進化があったことが解ってきました。私たち「いのち」は、実に奇跡的に三度の大進化と三度の大絶滅の後に、絢爛たる進化を遂げたのです。これこそ、生命が地球に生まれて進化が出来た本当の理由です。どこでも簡単に進化が起こることでは無いのもわかってきました。
 そして、この地球に生命が進化してきた道筋は、誰かが進化を手助けしないと、人間にまで到達できない事実を科学が浮かび上がらせてくれました。生命は生まれる時よりもむしろ、進化の過程にこそ奇跡に溢れています。その事実を今から約140年前に私たちに教えて下さったのが「元の理」です。教祖が口伝として伝えてくださった「元の理」にこそ、人間を創造する時の真実が埋め込まれているのです。
 本書に度々出てくる「元の理」とは、天理教教祖中山みきが当時の高弟の先生方に、神様が人間を創造した実話を基にして、語られた物語のことです。
 明治の初めに、近隣に住んでいた農民たち(近隣に住んでいた人のほとんどが農民だった)が分かりやすいようにと、物語として話されています。ある人には神話見立てであり、ある人には仏教見立てです。その内容は、当時の農民たちのリテラシーを汲んで話されています。そのために現代人が「元の理」を読めば、どの話も「おとぎ話」に思えてしまう内容でもあります。
 しかし「元の理」とは、神様が人間を創造した話であり実話です。それが「おとぎ話」としか読めないのはなぜなのでしょうか。神様はどうしてもっと具体的な真実の話として「元の理」を語らなかったのでしょうか。抽象的な話が、現代では「元の理」が軽視されている原因になっているのは否めない事実であり、「悟り」が中心の難解な解釈が、信仰者を「元の理」から遠ざけています。

 例えば教祖が本当に起こった真実を、当時の高弟の先生に語ったとしたら、どのように受け取られていたであろうかと想像してみます。真核細胞を創造した話や、その後何億年も経過してから有性生殖を始めたこと、その時になぜ「どろ海」だったのかなど、全てを起こった出来事通りに語っていれば、その後の未来は違っていたかもしれません。そして現代になって「元の理」が歴史的事実とわかってくれば、全ての人間が神様の不思議にひれ伏したのではないでしょうか。天理教が世界宗教として、大きく認められる瞬間でもあったはずです。しかし神様はそうはなさらなかった。明治の初めの農民のリテラシーに合わせて「元の理」を話されました。それは何故なのでしょうか。なぜ私たち現代人にもわかるような歴史的事実として「元の理」を語られなかったのでしょうか

 さて、現代で解明されている、人間までの生命進化の歴史は、次のように考えられています。
「40億年前に生命は誕生しました。最初に産まれた生命は原核細胞生物で、その生命(いのち)では生物はほとんど進化が出来なかったのです。形は長細いものが多く、大きさも1分(ぶ)の1/10000くらいの大きさで、死ぬことも成長することもない生き物でした。進化が出来ないのでこのままでは人間には成れません。そこで神様は、それらの生き物を組み合わせて真核細胞を創ってその生物を進化させました。当時の海は、全球凍結での氷河の浸食作用の影響で、土砂が雨水に融け、川に流れ原始海に流れ出し、海の色は茶色い濁った海水になっていました」

 教祖がそこまでを語ったとして、当時の農民はどれくらい理解できたのでしょうか。
 40億年前とはどれだけ昔なのだろうか。進化とは何のことだろう。1/10000分(ぶ)とは、どれくらい小さいのか、死なないとか成長しないとかはどういうことだろう。組み合わせて真核細胞を創るとは何か、茶色い水ならどうして今は青なのだ……。
 つまり、疑問ばかりで話が進まず、真実の内容はさっぱり伝わらなかったと思います。現代ですら事実を書いても、意味がわからない人が多いのに、当時の人は誰一人として本当のことを理解出来なかったことでしょう。そして教祖に質問責めを行ったのだと思います。難しすぎて意味が理解出来ないから、真実は何一つ伝わらないことになってしまう。それでは何のために人間を創造した話を語られたのか、そういう話を残す意味すら無いのではないでしょうか。内容が理解できないから、今度は「悟り」として理解しようとします。でも教祖の話された意味が理解出来ないから、結果的に間違った「悟り」の信仰になってしまうかもしれません。そうすれば、もはや神様が伝えたい真実が間違ったように伝わってしまうこともありえるでしょう。つまり教祖は、あの時代の農民たちが一番理解できる話で「元の理」語って下さったのです。私にはそう思えるのです。

「この世の元始まりはどろ海であった」最初のこの言葉は、当時だけでなく大正、昭和、平成どの時代もその意味は、ただ混沌としたことを表していると人々は思いました。もちろん実際にも、混沌とした意味を表しているのは間違いないことです。しかし令和になり、生命が大きく進化を果たしたのが三度のスノーボールアース(全球凍結)の後だということや、その都度、海は巨大な「どろ海」になっていた事実を最新科学が突き止めると、ただのイメージだと思われていた表現が、事実に基づいた神様の御心だということが見えてきたのです。
 そしてどうして神様が、混沌とした世界や「味気ない」世界と思われたのでしょうか、その時の状況も少しずつ明らかになって来ました。その内容を知ると、誰でも「味気ない」と思われたお気持ちを察することが出来るのではと思います。さらに三度の宿し込みと出直しは、三度の生命の大進化だったことも解ってきました。
 神様は、当時の人たちに理解できる平易な内容の「元の理」として語りながら、その中に真実を紛れ込ませてくれていたのです。原核細胞の細胞内共生によって真核細胞が出来た時、それはそれぞれ宿主の細胞に食べられた食作用によってでした。「元の理」では、「食べてその心味を試し」と、うなぎ、カレイ、くろぐつな、ふぐ等を寄せて夫婦のひな型を創られる時、それぞれの生き物を食べたことを記されています。そして原核細胞を顕微鏡で見れば、細長い生き物が多いことが解ります。もし私が、それを当時の農民に知らせるとしたら、どじょう、うなぎ、ヘビのような、当時の人たちが身近でわかりやすい生物の表現を使うのは容易に想像できます。「元の理」が、生物を進化させるために神様がなされた事実を表しているということは、これらのことを知れば、理解できることでしょう。
 さらに、「五分五分と成人して」とは、有性生殖で受精した生殖細胞が、減数分裂によって染色体が半々(五分五分)に成って受精するさまを表しているとも言えます。なぜなら「元の理」とは、夫婦で子供を創る(有性生殖)作用を話された物語だからです。夫婦で子供を作るシステムを創ったと述べられているのですから、DNAが半々ずつ交じり合うこの仕組みを表していると考える方がより真実味があります。五分から生まれたものが、3寸になり3寸半になり4寸になる。また、五分から産まれて8寸になる。人間への成人の道筋は全てが五分から始まります。なぜ五分なのだろうかと考えた時、人間の受精卵は小さくて0.1ミリ程度の大きさでしかないですが、それは類人猿の時も、ネアンデルターレンシスの時もホモサピエンスの時もチンパンジーの時もそしてクジラでさえも、大きさはほぼ同じなのです。人間にまで成人する道筋で、全ての哺乳類の受精卵は同じ程度の大きさでしかないことに気づかされます。さらに多細胞生物は全てが、小さな受精卵から五分、五分と、まさしく倍々に細胞分裂で増えて成長しています。当時の人にとっては段々と成長していく様と考えるしかないですが、多細胞生物が形作られる時の一番大切な特徴「細胞分裂によって細胞が増えることによる成長」を表していたと考えるのが、一番自然ではないでしょうか。
 さらに、多細胞生物に進化した時、生物の身体に大きな変化が起こりました。一つの生殖細胞が細胞分裂によって成長していく仕組みになった時、同時に細胞に様々な役割が出来ました。皮膚、骨、生殖器、循環器、消化器、等の役割が出来たと同時に、生命の最大の発明とも言われている、「引き出し」つまり成長することと、「切る」つまり生命が死ぬことが始まったことが書かれています。わざわざ「成長」と「死」が大切な役割というのが述べられていることが驚きのことなのです。当時の社会的な認知から考えても、「成長」と「死」が様々な生命活動の役割と同等だとの認識は、誰も想像もつかなかったことでしょう。21世紀になり、分子生物学の発展と共に、多細胞生物における「死」は、生命が生き続けるための、とても重要な生命維持システムであることが解ってきました。現代だからこそ、その重要さが解るのです。
 私が、「元の理」に書かれている内容が歴史的事実を表していると確信を持てるのは、科学の進歩が生命進化の事実を解き明かしてきたからです。その進化の足跡は、「元の理」に描かれている世界とまったく同じだったからです。

 しかし当時の人々には、その本来の意味はまったく解らず、ただ教祖のお言葉をその通り信じきることが、神様の求めておられることであり、真実の「元の理」を守り切ることに繋がって行きました。
 現代人なら荒唐無稽のおとぎ話であると思われる表現は、教祖ご在世当時の人たちに合わせて話されたからであり、同時にその物語の中に、神様がなされた事実を、いつか科学が進歩したら理解出来る「未来へのサイン」を、タイムカプセルのごとく「元の理」に仕込んで下さっていました。現代の私たちは、幸運にもそのサインを受け取ることが出来たのです。まさしく「元の理」は、現代の私たちに宛てた神様からの時代を超えたメッセージに他ならないのです。そして教祖が仕組まれたタイムカプセルを、全ての「ようぼく」が開封する旬ではないでしょうか。

「ようぼく」の中には、神様の存在は信じているが「元の理」に書いていることは、おとぎ話だと思っている人は、少なからず実在しています。そのことがどれだけ信仰者に影響を与えているかを思えば、科学的な根拠としての「元の理」の解釈はとても大切ではないかと思います。
 親神様が人間を創造されたのは絶対的な事実です。そして教祖の説かれた「元の理」も、歴史的事実なのは間違いがないことです。ただ今までの私たちの科学力では、親神様がなされたことを解明できなかっただけではないでしょうか。ご在世当時の農民たちのリテラシーで真実が理解出来なかったように、現代の私たちも親神様のなされたことが理解出来るほどに科学が進歩していないだけではないでしょうか。約30年前に私が「生命の進化Ⅰ~Ⅲ 山本利雄監修(善本社)」という漫画本の原作を書いたときから、その思いはまったく変わらず、むしろ年を追うごとに強くなってきています。「元の理」は間違いなく真実を記した物語なのですが、私たちの知識が追い付いていない。その思いが年を追うごとに大きく私を突き動かしています。

 私の家系は母方からの信仰で、初代から数えて五代目の一般信者で育ちました。所属教会の月次祭だけは参拝する程度の信仰でした。ある日、山本利雄先生の講話テープを、所属教会の元会長でカルカッタ教会の会長さんから渡されて聴く機会がありました。父の会社の技術留学生として来日していた二人のインド人を、母がおたすけしてインドの道が始まったこともあって、カルカッタ教会の会長さんは当時何かにつけて目をかけてくださっていました。私はその講話テープを聞かせてもらった瞬間、元の理の凄さに圧倒されました。「元の理」はとんでもない話だと驚いたのです。何度も何度も聞いては、その世界にのめり込んでいきました。そして今から約30年程前、山本利雄先生と一緒に漫画「生命の進化Ⅰ~Ⅲ」を作成したのです。原作は私が書いて、山本利雄先生に監修してもらいました。何十日も、何百時間も、先生に様々なことを教えていただきながら、「元の理」から生命進化を科学的に解明したものを作ったつもりなのですが、今から考えると遠く及ばず、「元の理」に書かれている真実の姿にはまだまだ遠い道のりでもありました。当時の私は、「元の理」の本当の凄さ、神様が人間に伝えたい「三つの大進化」を始めとした、生命進化の真理には気づけずにいたので、その内容は「元の理」を扱ったというものではなく、人間の視点から多細胞生物がどのように進化していったのかという話であり、当時の科学力では仕方ないことなのではありますが、「元の理」の本質を捉えることは出来ず、真理がわからないままの作品でした。その後山本利雄先生に、「元の理」を取り上げた書籍をもっと作るように後を託されたのですが、何も出来ずに時間を空しく過ごしていました。
 それから時間は流れ、私は、2019年6月1日からこの本を書き始めました。当初は、私にある今までの知識で生命の誕生と進化の流れで「元の理」捉えて書き始めましたが、そこから見出されるものには、新しい気づきも無く、今までと何ら変わりない「元の理」解釈がそこにはあっただけでした。これでは今更本を書く意味が無いのではと感じて、私の知らない新しい「元の理」の世界は、最新科学にあるのではないだろうかとそれを信じて、私は2年間かけて最新の科学関連の論文、新刊書を読み漁り、私の知識を徹底的にバージョンアップさせてみました。
 そうしたところ、この数年の科学の目覚ましい進歩で、今までとは全く違う「ビックヒストリー」と「元の理」の新しい姿が次々に映し出されてきました。最新の科学は、AIや検査機器の発達によって進歩した科学である為に、今までとは違う事実を次々と浮かび上がらせています。私は科学者ではない為に、余計な過去のしがらみに縛られることが無かったことも功を奏したのですが、私の古い知識は次々と最新の知識に塗り替えることが出来て、「元の理」を読み解くことが出来ました。そうしたところ、珠玉のごとく「元の理」に隠されていた、教祖からのメッセージとも受け取れる事柄にひとつずつ気づくことになり、本当に不思議な出来事に後押しされて、この本は書きあげることが出来たのです

 今、私たちに足りないものは何なのか、それは信仰している感動が少ないことだと思います。昔のようにおさづけによる不思議なご守護が少なくなったと言われていますが、その結果、信仰者達は神様の不思議を目にする機会が減り、親神様がこの世を創られた真実の神であるということに自信を無くしている人がいます。肩を落としている姿があります。だからこそ、「元の理」が「無い人間を始められた真実の物語」だということが実感出来たら、頭を垂れていた「ようぼく」たちの心も明るく変わっていくのではないかと思ったのです。

 私はまず「元の理」は歴史的事実を表している物語だということを皆さんに知っていただくことから始めたいと思います。それは天理教を元気にする原動力になると信じています。今までは生命を創った象徴的な話だと多くの人に思われていた「元の理」が、実は歴史的事実を伝えている真実の実話なのだと「お道の人間」全てが理解出来れば、全ての「ようぼく」の考えも変わってくると思います。そして宇宙誕生から今日までの間のビックヒストリーにも、親神様が人間の創造の為になされた奇跡が宝石のごとくちりばめられていることや、この地球の誕生も生命を育てる環境も、奇跡の連続であることを、全ての「ようぼく」に知ってもらいたいのです。

「元の理」が歴史的事実を表していると知ったあなたは、私たちの信じる親神様が「私たちを創造した神様」だという事実に確信を持てるようになり、そこからあなたの信仰は必ず変わるはずです。私はそう信じてこの本を書いています。
 どうか今までの固定観念にとらわれないでこの本を読んで下さい。そしてあなたが新しい「お道」を知るチャンスを逃がさないで欲しいのです。

 あなたが変われるのは、この本を読んでいるまさに「今」しかないのです。

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