『ボレロ 永遠の旋律』を鑑賞して。

 私は作曲家として本作品に向き合うのを非常に楽しみにしていた。故に、この感想は一人の西洋音楽の作曲家という狭い視座からの恣意的なものになる事を読者に了承頂きたいと思う。
 本作品は従来のフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(1875-1937)に対する平易な伝記という体裁をとっているが、実際は彼の代表作《ボレロ》を主軸に、また後述する様に《ボレロ》という作品自体を「主人公」にしてラヴェルに対する評価の視野を広げる冒険的な試みがみられた。冒頭のシーン;工場の機械が周期的なノイズを上げる。ラファエル・ペルソナ演じるベル・エポックの作曲家モーリス・ラヴェルは、それを「シンフォニー」に例える。このシーンは後にまた回想され、そこでラヴェルは「近代への賛美」を口にする。このノイズ音響に対する彼の姿勢は、「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。」と評した1909年「イタリア未来派」におけるフィリッポ・トンマーゾ・マリエッティ(1876-1944)により打ち立てられたマニフェストと共通する。《ボレロ》に対する彼の姿勢は、後の「イタリア未来派」「ロシア・フォルマにズム」そして今作に通底する作曲姿勢において暗示される70年代ニューヨークの「ミニマル・ミュージック」までを射程に入れた根本的に新しい取り組みである事が映画でも強調される。一方で描かれる人間模様は至ってポエティックである。軽快かつ詩的な台詞は、当時のパリにおけるサロン文化のパロティか、それかある種のカリカチュアとして機能し、それに対する彼の音楽と現実の人生における様々な事象が交錯する。しかし、人間模様についてはあくまで副次的なテーマとして現れる。本来、物理的形象を持たない「音楽」という媒体を生き、呼吸し訴えかける《ボレロ》を即自的な「主人公」として機能させる為の舞台装置だ。よってラファエル・ペルソナ演じるラヴェルはあくまでも「脇役」としての役割しか与えられていない。本作品の真の主人公が抽象度の高い芸術である「音楽作品」それ自体に置かれる所以である。

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