療育競争

【 療育は勝ち取るもの 】

発達障害は早期発見・早期療育が良しと言われている。その癖その機会は均等ではなく努力の上にしか成り立たないから療育を望んで努力している親は疲弊し心の余裕もなくなるように思う。妙な競争社会があるのだ。

「あの親は早期療育を受けさせていない」
「早期療育を親のエゴで受けさせなかったのに
              就学後にヘルプを出すなんて身勝手」
「支援級に入れるべきなのに親のエゴで普通級」
「支援校に入れるべきなのに親の見栄で支援級」


療育を頑張っている親は
そうでない親を否定する事で
間接的に承認要求を
叫んでいるのだとは思うし、療育に辿り着くまでも大変だから
そういう感情が湧くのも
実はすごくよく分かる。


 現状の発達界隈の福祉サービスは
診断からベルトコンベア式に
療育まで繋がると思いきや大違い。
地域格差が大きいし
子供が高知能なら更に機会は平等ではない。
「大丈夫」と放り出されるのはよくある話
。



だから
とりあえず出来る事をと
療育を望んだ場合
自力で情報収集して
自力で療育を足で選び抜いて順番待ちして
自力で療育を勝ち取って
(不要だと断られてもすがりついて)
自費で通い詰めて
送迎に次ぐ送迎でそりゃあ大変だもの。

こんな
リサーチ力と時間と費用と労力を
障害だと言われて騒めく感情を抱えながら
こうしてはいられないと立ち上がり
気力を振り絞ってやってるのだと思う。
私がそうだった。

努力して勝ち取ったもの・努力しなければ勝ち得なかったものだから、自分が動いた分
は我が子が恩恵を受けたいし、
自分が苦労した分
苦労していない人が恩恵を受けると憤る。


人間だから自然な感情の流れなのだけれど
実は怒りを向ける矛先が違う。


“療育が不要と判断した努力してない親”に
向けるんじゃなくて


“療育が必要な人が努力して競争しないと入手できない制度”


この是正に感情のエネルギーを使うべきかと思う。

そうしたら
承認要求を叫ばなくても良いかも知れない。

そうしたら、お仲間同士でジャッジしあう事がなくなるかも知れない。

「多様性が認められる社会」を私たちは共通して望んでいるはず。

療育を受けるか否かも多様性があって良いし決断は否定されるものではない。

お仲間同士で多様性を否定していがみ合わずに、定型社会に向けて多様性の認知を共に訴えれたら良いのになと思う。

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