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【雑感】フィンランド航空の思い出(2007年)

「日本から最も近い欧州」として、役所広司がフィンランド航空の宣伝を引き受けていたのも10年ほど昔になるか―

2022年2月のロシア軍によるウクライナ侵攻で、それまで日欧間で最短経路であったロシア領空通過を各国が拒否するようになり、フィンランド航空の日本便もこれまでの所要時間約9時間が15時間かかるようになった。

映画「かもめ食堂」(2006年)に始まる北欧ブームから2020年のコロナ禍まで、フィンランド航空の日本便は拡大を続けていた。

2000年代に運行されていた東京成田・大阪関西・名古屋の3路線は、2010年代には札幌や福岡を含めた5路線へも拡大。東京五輪が予定されていた2020年夏には念願の東京羽田への乗り入れも実現する予定だった。

しかし、コロナ禍による日本・フィンランド両国の渡航制限により、2020年には東京成田と大阪関西のみの運行に変更し、名古屋・札幌・福岡便は運休。羽田への乗り入れも無くなった。名古屋へは貨物便のみが週に数回ほど往来していたようである。

2020年以降、相次ぐ減便と人員削減(フィンランド航空のCAは数百名がレイオフという一時解雇扱いとなった)によって運賃は高騰。筆者が日本へ本帰国した2021年10月時点で、フィンランド航空の大阪便はエコノミークラスで片道30万円を超えていた。

果たして、フィンランド航空は今後どうなるのか―

実は筆者のフィンランド航空との付き合いは長く、2007年8月に日本の大学からの交換留学生としてフィンランドへ向かう時に乗ったのが初搭乗となる。

フィンランド航空のエアバスA340-300(2007年8月・セントレアにて)。

3インチくらいのパーソナルモニターがエコノミークラス各座席に付いていたが、現在のようなVODでは無く、映画の上映時間が決められていた。自分が乗った時の映画は「武士の一分」
ヘルシンキ・ヴァンター国際空港でのフィンランド航空のエアバスA319。2007年当時はヴァンター空港第2ターミナルが国内線専用になっており、トゥルクやタンペレといった各都市をA319などナローボディ機が結んでいた。

2007年当時のフィンランド航空は東京・名古屋線は新鋭機(2005年に導入し始めたばかり)のエアバスA340-300、大阪線はやや旧式のMD-11で運航していた。

フィンランド航空のMD-11。世界でも珍しい3発機ということで、「他国と違うのが好き」なフィンランド人にとって、今でも思い入れのある機体でもあるらしい。
フィンランド航空機内食(夕食・2010年)。2010年以降はずっと夕食に蕎麦がついてくるようになった。食後は必ずコーヒーのサービスがある。

2007年8月中旬、まだ日本での北欧ブームは本格的に火が着く前で、セントレアからヘルシンキ・ヴァンター国際空港に到着したフィンランド航空80便の日本人乗客のほとんどは「乗り継ぎ」の方へ進んでいってしまい、自分のようにフィンランドが最終目的地の日本人はほとんどいなかった。

フィンランドの国際的玄関口、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港。(2013年8月)
ヘルシンキ都心部から電車で40分、バスで1時間ほどのところにある。

入国管理も係官がたった1ブース(1人)あるだけで、ターンテーブルの荷物も即座に出て来た覚えがある。

自分はヘルシンキから国内線でトゥルクという地方都市への乗り継ぎだったため、ヘルシンキ着後数時間の自由時間があり、フィンランド航空が運航するバスで市街地まで出てみることにした。

ヘルシンキ・ヴァンター国際空港のフィンランド航空特別バス(ヘルシンキ都心部行き)乗り場。
フィンランド航空特別バスの車内(2007年)。運賃は乗り込む際、運転手に前払いでクレジットカードも使えた。乗り込んですぐのところにスーツケース置き場があるので、荷物を置いたらすぐに座れる。

フィンランド航空特別バスは空港があるヴァンター市街を抜けると、ヘルシンキ市内の高級ホテル数か所を回り、最終的にヘルシンキ中央駅前のバス乗り場に到着した。


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