いつもとは違う日

昨日は3月11日で、あの震災から10年経ったと、数日前からテレビやネットでよく見かけた。

当時自分は神奈川の実家で暮らしてた大学生で、バイトに行くのが嫌だなぁと思いながら炬燵に潜っていたらとてつもない揺れを感じて飛び起きた。
幸い家族全員家にいたが、実家の目の前は海のため急いで高いところに避難した。
幸い津波はこなかったが、避難した近所の人たちと1時間くらい話して、各々家に戻った。

家に戻ってみると、つけっぱなしで出てきたテレビが消えてて、電気も付かず停電になってしまっていた。冷蔵庫を整理して、夕飯はガスが使えたので釜でピラフを炊いて食べた。

夜はラジオを流しながらTwitterでみんなの安否を確認して寝た。

普段のことは全然覚えてないのに、10年経ってもあの日のことは鮮明に覚えてる。


もう10年、経った10年。色んな環境が変わり、結婚して親になろうとしている。
あの日のことをいつか子供に私と妻、2人分の経験を聞かせるんだろうな。そしたら子供は何を思うのか。出来るだけ怖がってほしい。嫌だなって思って欲しい。

明日また日常になる。このニュースも終わってまたコロナの話に戻る。世の中そんなものだろう。

ただ、ちょっと話が変わるが、先日「家、ついて行ってイイですか?」っていう番組で南正人さんというミュージシャンの家に行く回がめちゃくちゃ良くて。(調べて観てほしい程)
南正人さんの弟さんが言ってた話で、
「兄ちゃんは親の墓参りに一度も来たことない。
なんでこないのかって聞いたら、『そんなところに親はいない。おれはいつも祈ってるからいいんだ』ってさ」って言ってて。

その話を聞いたときに心に刺さって一気に南正人さんに引き込まれてしまった。

多分普通の人がそう言っても「めんどくさいだけだろ…」と思ってたと思う。南正人さんの生涯を観たからこそ、刺さったのだと思うけど。


物事の本質ってそこなんだと思った。テレビでこの時期に風化させないって伝えるのも全然おかしくないんだけど、なんだか3月11日に向けた変なイベント感があってちょっと違和感があった。
日々祈ればそれは日常で、日常であれば風化なんかしないんだ。

大事なことは日常化しよう。それが1番大事なことだと思った。


正直私は震災の影響を受けてるわけではない。だから被災者からみたら戯言に思うかもしれない。だけども何かできないかと思いながら日々生きてはいた。そして仕事で震災関係の仕事もした。
私自身、色々思うことがあって人生の中で1番思い出に残る仕事でもあった。ここに書きたいのだが、色々あってもう少し時間が経ってから書こうと思う。

3月11日はなにかいつもとは違う。きっともうこの日は日常にならない。それでも大事なことは日常に納めよう。そんなことを考えながらまた夜更かししてしまった。

あと南正人さん。漢字は違うが同じ名前でなんだか嬉しい。

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