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IMAKIRIエッセイ ~いまどきのキリスト者の静かな日常

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IMAKIRI〈いまどきのキリスト者〉である私の暮らしをのんびり発信しています。日々の出来事や思うこと、猫との生活、料理やガーデニングなど。ときには聖書の話も。空はいつも美しく、… もっと読む
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2020年10月の記事一覧

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ヨコハマ散歩*コスモスと森

私がnoteで発信していること ~いまどきのキリスト者の静かな日常

 ときどきnoteで「自分のクリエイターページ」を開き、記事のラインナップを眺めます。猫、料理、詩、エッセイ、聖書、読書や他コンテンツの紹介と、いろいろなものが並んでいて、私のページはほんとうにつかみどころがないなあ(笑)と、思います。  でも、自分なりには、ひとつのテーマがあるのです。  それは、「いまどきのキリスト者の静かな日常」。  どうして「静かな」という形容詞がつくの? というと……昨今の流れにのって「ゆるい日常」としてもいいところですが、「ゆるい」という言葉の多

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ある日の猫*昔と今

WEBマガジン「生きのびるブックス」で、信田さよ子さんの連載「家族と厄災」が始まりました

〝明日をほんの少し明るく照らすメディア〟を目指して創設されたウェブマガジン「生きのびるブックス」で、家族問題に詳しいカウンセラー・信田さよ子さんの新連載が公開されました。 ↓第1回のタイトルは「KSという暗号」。どなたでもご覧になれます。  冒頭で、「コロナによってもたらされるものがあるとすれば、新しい何かが生み出されるというより、これまですでに起きていた、芽吹いていた変化の加速化ではないかと思う。」と語られているとおり、今回は、コロナ禍をきっかけに表面化してくる家族の問

いま借りている本、と猫(左側の白いモフ)。小説は4冊、エリザベス・ストラウト『私の名前はルーシー・バートン』、ローリー・ムーア『セルフ・ヘルプ』、同『アメリカの鳥たち』、シーラッハ『刑罰』どれも短篇集。あとは荒井献責任編集『新約聖書外典』。最近は海外の現代作家の短篇小説が好みです

ふと目を向けたその先に、いくつもの感動のタネが ~今日出合った素敵な記事を紹介します

 昨夜から今朝にかけて、何気なくネットの世界を眺めていたら、心に響いてくる記事にいくつも出合いました。  それらを紹介させていただきます。  まずは、バイブルラインさんのnoteの記事「どん底に大地あり」。  NHKの朝ドラ『エール』の話題から、薬師丸ひろ子さんの讃美歌のエピソード、永井博士の言葉、そして、どん底から立ち上がる人を励ます友と希望について語られています。ノンクリスチャンの方々にも響くお話ではないかと思います。  次はカトリックの司祭、片柳弘史さんのTwit

ひさしぶりの聖餐式。声を合わせて歌う讃美。やっぱり、リアルの礼拝はいいなあ、と感謝しました

 今日は、ひさしぶりにリアルの礼拝に参加しました。冬からこちら、ずっとオンライン礼拝のライブ配信を視聴していたので、考えてみたら、リアルでの礼拝は今年初でした。  いつもオンライン礼拝でお世話になっている、横浜国際バプテスト教会(YIBC)にお邪魔しました。 ↓オンライン配信用のYouTubeチャンネルはこちら。  ここ3週はゲストスピーカーの方がメッセージ(説教)を担当されていましたが、今日から通常に戻って、ベン・ハワード牧師がメッセージを話してくださいました。  

洗礼を受けて変わったこと、変わらなかったこと ~クリスチャンとして生きる日々

 私がキリスト教(プロテスタント)の洗礼を受けたのは、40代の前半のことでした。早いもので、それから10年あまりが経ちました。  洗礼について書いた↓こちらの記事のアクセス数が、最近、急に増えています。今年の4月に公開した記事で、タイムラインでははるか過去に沈んでいるものです。それなのに、合計アクセス数が増え続け、いまやページトップに固定している「食前の祈り」を超える勢い。不思議に思いつつも、喜んでおります。みなさま、ありがとうございます。  この記事では、「実際、キリス

ある日の猫*光と影

がんばりすぎない箸休め*大根の梅肉のせ

 夕食のおかずにあと一品、ほんのちょっとでいいから何かほしい。そんなふうに感じた先日の夜、冷蔵庫をのぞき、あるもので思いつきでつくってみたのがこちらです。  大根の梅肉のせ。  大根を千切りにして、たたいた梅干しをのせただけ。箸で和えながらちょびちょびいただきます。写真の量でふたり分。梅干しは2個使っています。  食べる前は、味がもの足りなければ黒酢をかけようか、と夫と話していたのですが、梅肉だけでちょうどよい甘味と酸っぱさでした。  ちなみに、使ったのははちみつ梅です。

ある日の猫*光の中で

人生の一瞬に宿る小さな希望、そして、愛される自由 ~エリザベス・ストラウト『何があってもおかしくない』

 エリザベス・ストラウトの短篇集『何があってもおかしくない』を読みました。前に、ピュリッツァー賞を受賞した『オリーヴ・キタリッジの生活』を読んで以来、気になっていた作家ですが、本書を読んで、もっと好きになりました。  アメリカ中西部にある、さびれた町アムギャッシュ。そこで暮らす人びとや、そこで生まれ育った人びとの、人生のひとコマを描いた連作が9編収録されています。  アムギャッシュは、先行書籍『私の名前はルーシー・バートン』に出てくるルーシーの故郷。2冊の世界観はつながって

「頭で知る」よりも「心で知る」を大切にしたい

 先週10月11日(日)のオンライン礼拝で、印象的なお話がありました。  横浜国際バプテスト教会(YIBC)の礼拝です。その日はいつものベン牧師ではなく、ゲストスピーカーのDueker Davidさんがメッセージ(説教)を担当されていました。 ↓YIBCのオンライン礼拝(バックナンバーも)はこちらでご覧になれます。  メッセージの後半で、  聖書の言葉やイエス・キリストについて、頭で知っているだけで、知っているつもりになっていないか? というような問いかけがありました。

「祈り」は願いを伝えるより、神さまの言葉を聞こうとする時間 ~洗礼から10年経って、そう思えるようになりました

 私はプロテスタントのクリスチャンなので、日常的に、さまざまな場面でお祈りをします。プロテスタントの場合は、文言が決まっているのは「主の祈り」くらいなので、基本的には自分の言葉で祈ります。  洗礼を受けてはじめのころは、間違いがないように先輩クリスチャンたちの祈りを参考にして、いわば〝優等生的な〟お祈りをしていました。  たとえば、「どうか〇〇が無事にすみますように」などの自分の願いごとを言ってから、イエス・キリストがゲッセマネの祈りでしたように、「すべてが神さまの御心(み