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紀伊半島南下計画 その2

その1はこちら。

 ここから先は正直な話、某所での辛さが凄すぎてあまり覚えていない、というのが正直なところではあるが、地図を見つつ思い出せる範囲で書いてみる。

ゴールをどこにするか

トンネルを避ければ山

 ローソン下津町下津店を出てすぐにぶつかるのが鰈川トンネルである。美味しそうな名前だな、と思い調べてみると読みは「かれがわ」らしい。かれいではなかった。
 もちろんブルーラインはトンネルを避けるように山側に入っていく。葛折り、とまでは行かないが曲がりくねった道で斜面を登っていく。そこそこきついが、ダンシングでなんとか乗り越えられる程度であった。
 トンネルを越えればすぐ下って国道42号に戻るが、ここは少しばかり考えられたルート設計になっている。というのも、下った先では進行方向に対して右側、つまり対向車線側に出てくることになっている。つまり、トンネル回避のための道に入る際には進行方向からそのまま入れるようになっていて、スピードの出やすい下りではあえて減速させるように対向側へ出るような設計になっているのだ。どこまでが計算かはわからんけど。

 そのまま走って初島を抜ける。このまま進むと有田川にぶつかるため、国道42号の橋の手前で東に曲がり、河口から2本目の橋を使って有田川を渡っていく。線形としては悪いが、悪いからこそかっ飛ばしていく車の巻き添えを食らわずに済む設計なのである。
 橋を渡った後は、少し東に進んだ後に有田湯浅線へと入っていく。昼間であれば交通量が多そうな道だが、今は夜である。近づく車はライトと音でわかる時間帯であり、そして、信号もない。とても走りやすい道なのでルンルンで進んで行った。途中からセンターラインすら無い道になり、その上少し上っていくが、我慢して走っていると海沿いの道へと出た。ようやく海である。おそらく走り始めて初めての「それなりに平坦」かつ「シーサイド」ではなかろうか。とは言いつつも真っ暗なのでA面と「何も見えないね」であったり「Siren2っぽさがある」などと話しながら進んでいった。本当に真っ暗で潮騒だけが聞こえてくる。昔姉が「海はうるさいから嫌い」「22時から6時ぐらいまでマナーモードに出来ないか」などと言っていたのを思い出した。当時は中々無茶を言うなと思っていたが、なるほど、長い間聴き続けるとこれはこれで辛いものがある。

 そんなことを思いながら進んでいると、田村の集落を抜け、とうとう湯浅市内に突入するのである。ちなみに田村から湯浅の間のトンネルはエスケープルートがないためそのまま突入させられる。厳密にいうとエスケープにもトンネルがあるため、どうせトンネルなら真っ直ぐ走れという話なのだと思われる。

醤油、そして稲むらの火

 湯浅は関西では醤油で有名な街である。いや、嘘です。おそらく龍野のヒガシマルの方が有名。まあ、とりあえず湯浅は醤油の町であり、山田川にかかる橋を渡れば角長醤油のお出ましである。走りながらスマホで写真を撮るという中々危険な真似をしてみたが、やはり暗闇の中なので躍動感あふれるピンボケ写真が撮れただけであった。少し進めばとても味のある光景が出てきた。この記事のヘッダーの写真がそうである。時刻はこの段階でおおよそ4時前であった。始発まではおおよそ2時間程度、このまま湯浅駅で待つよりかは先へ進む方がいい。
 湯浅市の次は広川町である。広川といえば稲むらの火、浜口梧陵である。知らない人はこちらをクリック。もちろん記念館もあるがこんな時間なので開いているわけもない。そのままスルーして進んでいく。ちなみにこの辺りに浜口梧陵が開いた私塾があり、名前を「耐久社」という。それがそのままここらの学校の名前にもなっている。つまり「耐久中学校」や「耐久高校」が存在しているのである。あ、読み方はそのまま「たいきゅう」と読む。とても強そうだな、と思う。

 さて、耐久中学校の横を抜けると今度は湯浅御坊線に入る。ブルーラインのスゴいところは、湯浅御坊線との分岐で海沿いを走らせずに、山寄りの湯浅御坊線を走らせるところである。今まで散々海の見える山を走らせておきながら、である。おそらく事故が起きた時の救助しやすさなどを考えての事ではあろう。
 湯浅御坊線はそれなりの広さである。西広や唐尾まではやや上り基調である。えっちらおっちら坂をこなしていると広川ビーチ駅が見えてきた。この駅は海から1km近く離れているにも関わらずこの駅名である。詐欺のように感じないこともない。そこからしばらく進むとようやく唐尾湾にたどり着き、しばしの海沿い平坦を楽しむのであった。

ファイナルローを使い切ったら押し歩き

 このまま平坦が続けば非常に楽ではあったのだが、そうは問屋が卸さない。三尾山漁港を抜ければ小さな上りがやってくる。300mちょっとで20m以上上ることになる。普段であればなんでもないような登りではあるが、深夜テンションで走り始めて疲労が溜まりに溜まっている状態である。速攻でフロントをインナーまで落とし、そして適切なギアすら分からずにファイナルローを使い切り、押し歩く羽目になるのである。こんな時はわざわざクソ重いクロモリバイクを選んだ過去の自分を恨みたくなる。そしてこんな夜中であるにも関わらず、車が何台か通っていく。エンジンがあるやつはいいよな。こちとらエンジンが仕事を放棄してるんだ。
 別にサイクリング中に歩くことは悪い事ではない。ロードバイクに乗っている時に使う筋肉と別の筋肉を刺激することで、疲労感の低減や気持ちの切り替えに役に立つのだ。と言いつつインナーで苦しむA面のあとをてこてこ追いかける。

 ちなみにこの頃は自分が履いていたナローリム時代のZondaをA面に貸し、自分はA面のINTENSOについてきた鉄下駄を履いていた。Zondaに比べて流石にダンシングなどするとヨレる感覚があるものの、リム面がフレッシュな分ブレーキの効きはよかった。後に中古品売買店に持ち込まれて二束三文で売られてしまったのだが。

 まあ、それはさておきヒーコラ言いながらなんとか苦しい上りを終え、平坦部に出たところで再びサドルに跨る。この先はもう登りなどない、なんてことを信じながら少し下り基調の道を進む我々の目に飛び込んできたのは、やんぬるかな、山肌に沿って上へ進む街灯の明かりであった。

絶望、そして恐怖

 いや、もうこうなったらどうしようもないよね。A面とぐちぐち言いながらひたすら押し歩く。フラットペダルにスニーカーであることを感謝せねばない。歩けてよかったとおもいつつも、歩けども歩けども距離が縮まる気がしない。ちなみに急な坂で自転車に乗ろうとするとギアが軽すぎてバランスを取る前に転びそうになるので気をつけよう。
 脚力が足りないなどと嘆くA面を宥めすかしながらなんとか斜度が落ち着いてきたあたりでようやく周りの景色に気がつける程度には余裕が出てきた。右手側に海を眺められる絶景スポットである。おそらくブルーラインを引いた人はこの景色を前提としてここを選んだのだろう。だがしかし今は夜、彼は誰時ですらない。夜中に走ってる方が悪いのではあるが、風景が見えないなら平坦を走らせてくれ、などと悪態の一つでも吐きたくなる。

 なんとかサドルに跨り直してえっちらおっちら進んでいくと、みかん畑と山肌の道に出た。そこにあったのが「通学路注意」の黄色い旗である。「いや、こんなところ誰が使うねん!」と思いつつも、背筋に走る薄寒い感覚にペダルを踏む力が増す。そしてとうとう下りに突入したのであった。

急がば回れというは易し

 上ったら下りねばならぬのは世の常である。人間の飽くなき欲望ですらそうだ。チューリップもサブプライムも弾ける時が来るのである。とは言ったもののこの下りは南海泡沫事件ほどでもないが、それなりに厳しい下りである。さらにいうとテクニカルな下りは苦手なのである。恐々下ハンを握り、衣奈の下りを進んでいく。ブルーラインに沿ってよろよろと交差点を右に曲がり、そのまま白崎半島をぐるっと回っていく。日本のエーゲ海、なんてキャッチコピーがついているが、夜なのでよく分からないし、さっきの上りでHPを使い切っているので正直何も覚えていない。とにかく海岸沿いをひた走っていたのは覚えている。結局この辺りで力尽き、目に付いた自販機の元で立ち止まったのである。
 疲労困憊の中、地図を確認する。一番近いのは紀伊由良駅でそこを目指して農免道路を走ることにして、とりあえずスポドリを飲む。地元のおっちゃんに話しかけられたのは覚えているが、何を話したかは覚えていない。

 空がラベンダー色になりつつある中、駅へ向けて農免道路をひた走る。意外とアップダウンがあって苦しかったが、ほうぼうの体で紀伊由良駅に辿り着いた。もちろんこのままで家に帰れるはずもなく、輪行の準備をする。これがまた苦しい。なんせ眠い。夜が明ける中、なんとか自転車を袋に詰め込み、電車に乗り込む。眠いが神経の昂りと朝日で早々眠れたものではない。夢か現だかよくわからないB面を電車は家の近くの駅まで運んでいく。気がつけば改札の外に辿り着いていた。どうやって駅の階段を越えたのかすら覚えていない。駅に入る人に訝しげに見られながらもそのまま自転車を組み立て、なんとか家まで帰ったのであった。

その後

 家に帰った後はひたすら寝ていた。泥のように眠る、という言葉はこんな時のためにあるんだろう。そしてポテチと冷蔵庫にあった肉を貪り食い、なんとか回復に努めていた。Garminちゃんによると大体1000kcalほど消費しているのだから当然といえば当然である。あの時の「いくら食べても満たされない」という感覚はすごかった。びっくりするぐらい満たされないのだ。
 筋肉痛などは特に無かったが、よくわからない満足感と疲労感はあった。そのために乗っていったロードバイクの整備や輪行袋の片付けは1週間ほど後回しになっていた。フレームやリムを拭き、輪行袋をしまうところまでやって、ようやくロングライドは終わりなのである。
 そして、この一晩のせいでナイトライドの楽しみを知り、新宮を目指し走り続けることとなるのであった。

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