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私の貧困妄想について

 この日本において、何を貧困とするかの定義決めをすると揉めることになるのでそこにあえて言及はしない。それはあくまでも貧困の客観的評価だからだ。今回は私の貧困妄想について述べられたらと思う。それは、貧困の主観的評価であり、私だけのものだ。

貧困?であった過去

 私が生まれる少し前に家長が無職になって以来、我が家はワンマンアルバイト分の給料で生活していた。そのような生活がしばらく続き、家の中では、「ホームレスになったときはこのように髪を洗いなさい」と極限まで泡を落とした状態にして少量の水でシャンプーをすすぐといった状態だった。風呂(シャワー)は二日に一度、湯を張るのは四日に一度。
 そんな中でも母は、バキバキに割れたファンデーションを叩いてかためて利用する、石鹸をレンジで温め再構成するなど、生活の知恵を絞っていた。私には母がまるで魔法使いのように思えた。なぜこのように困窮した生活をしていたかというと、父のマルチ商法や浪費癖のせいなのだけど、本人は自覚はまるでなく、趣味に金を突っ込んでいた。

貧困じゃないと信じていた

 私が中学に上がるころに母は大手に転職した、契約社員だけれども。そのおかげでずいぶんと羽振りが良くなったように感じられた。例えば家に次から次に届くブランド物の化粧箱。バッグ、ロレックスの時計。いよいよ貧困から脱出できたのだと舞い上がっていた。時々、ブランド財布の端っこからビニールのようなものがはがれていたようには感じたし、素材の粗さにも気づいていた。けれども、「これは本物」と信じていた。念願のマイホームも建って、「私は裕福な家の子だ」という実感に包まれていた。風呂にも毎日入っていた。後にそれらは全てコピー商品だと知る。さすがにマイホームは本物だけど。

抜けない貧困魂

 ただ、中学でうまくいかない。お弁当をみんなの前で食べられない。貧困魂の登場だ。色とりどりのお弁当をみんなが食べている中、昨日の残り飯を詰め込んでいるのは恥ずかしいから。休日の友達との遊びにも消極的だった。理由は服がないから。小学生の頃の服しかもっていない。そんなので遊びに行けるわけがない。今ほど古着屋もなかったし、プチプラ服すらも小遣いでは手が出なかった。でも貧困を脱したプライドはあるので、お年玉を数年分使ってギャルブランド品を買っていたような気がする。周りはペンやマニキュアをきらきらと取り揃えていく。妬ましい。でも私には万引きなんてできやしない。
 高校生の頃にはバイトは臨時のものしかしなかった。貧困から脱した私には必要ないと思っていたから。大学進学後も、通学定期代を捻出するのにえらく苦労し、知り合いの下宿を転々としていた。なんなら、自分名義の借金を人生で初めて作ったのもここである。お世話になっておきながらこのように書くのもなんではあるが、かの悪名高い日本学生支援機構である。GT-Rが新車で買える程度の金額であった。
 大学院進学後はとうとう家に帰らず、バイトを掛け持ちし、いろんなものを売って回った。学外実習に行く交通費を稼ぐため、実習後現地で落ち合える人に下着を売った(高校生といって身分を偽りましたあの時はすみませんでした)。そこで気づいた、私の貯金口座には常に5万円以上がないことに。アルバイトを掛け持ちしていたにもかかわらず、だ。その時はメンタルクリニックに通っていたが、自立支援の更新が他県だったので行くことができず、三割負担で通っていたのが大きかったと思われる。

定職に就いて、貧困妄想。

 定職に就く直前、私はアパートを借りることとした。敷金礼金などを捻出するために多い時で4つのアルバイトを掛け持ちしていた。それでやっと念願のマイルームを得るわけだ。職に就いた後は一定の金額が毎月舞い込む。そんな中でも私は支出を切り詰めて生活し、毎月10万近くの貯金をした。奨学金を月々2万づつ返しながら、である。それほどに貯金に対する義務感は強く、それらを差し引いて手元に残るお金しか使ってはいけないものだと感じていた。勤続年数が増えるたび、税金はかさむ。10万円貯金計画もすぐさま頓挫、手元に残るのは毎月数万円。プチプラの服を買うのでさえ、かなりの勇気が必要になる。私は貧しいのだと自分に言い聞かせる日々がそこにあった。どんなに不味かろうが、自宅の蛇口をひねりその水を職場に持って行く。本当に心の底から「金がない」としか思えないのである。
 そんな私はコンビニが怖い。コンビニでなくとも、一人でする買い物はとても緊張する。ネット上での買い物さえそうである。お金を使いすぎていないか、無駄なものを買ってないかなど、ついつい考えてしまう。そのくせ、大きな買い物は時として必要である。やむなくそれらを買うと、口座残高と精神がどんどんとすり減っていくのである。
 傍目から見れば節制だと思われるが、こちらとしてはお金を使うことは命を削ることだと思っている。人と会うときには、命を削ってでも会いたい人としか会わないのだ。

失敗した貧困脱出術

 ここからは本題から少し外れるが、私の失敗談を備忘録として残しておきたい。ワーストはヘルス業だった。容姿もよくない凡人の私からすればこれはコスパが良くなかった。確かに即日手に入る金額は他業種に比べて大きいと思う。実際に金銭感覚をおかしくされる人だって少なくはないと直感した。一方で、ヘルス業ではすぐに性病にり患する。一番かかりやすかったのはクラミジアだ。無症状なのが本当に怖い。定期健診などもない店だったため全部自己負担で治療した。治安の悪い地区だと、さらに多様なリスクがあるだろう。他にも洋服代、ネイル代、脱毛エトセトラを見ると、コスパがいいとも思えないような環境だった。もちろん、性被害のリスクも避けられない(あくまでも裏メニューなどを自分で作って客をとらない正規の営業の場合だけどね)。けれど即日手元にお金がやってくる安心感は、いまだに忘れられない。
 

まとめ

 要は定期収入のある今でも貧困妄想に囚われている。これは摂食障害に似たような誤った信念だとも頭の片隅では理解している。なのに体が勝手にそう妄想してしまう。
 そんな時は、「あくまでもこの貧困は妄想なのだ」と自覚があるのならば、手元の資産を全て数え上げてみると良いのかもしれない。それでも足りないと思うのが貧困妄想なんだけどね(そんな時はうつ状態が強くなっているんだ)。

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