百年の愛社精神も冷めた

新卒、生きるか死ぬかしか頭になかった私がもぎ取ったものは、地元中小株式の教育施設の某児童福祉施設への内定だった。

事の発端は、修士論文を書き上げようとしている秋口に実は、「うちの法人に来ませんか」とすでに誘われていたのだが、それに応えられそうにないと思い、代役を立てて逃げ出した。人生からも逃げ出そうとした。それから大学院にも顔を出せなくなり無断欠席→入院という運びになった。

そこから退院し、人生を立て直そうと決意した。入院時代は貧困妄想から暴れることもあったので、安定した待遇での仕事をしたいと思った。修了する前には、上記の株式会社への入社を決めていた。

保証人なしの賃貸を契約し、家財道具をそろえると手持ちは5万円ほどになった。会社から家賃補助もなければ引っ越し費用も当然出ない。入社して一か月はそれで過ごすしかなかった。

さて、母親の保険証を脱出して、会社から社保本人の保険証をもらった。すると契約したはずの会社ではなく別の株式会社の名前が刻まれている。どういうことですか、と尋ねるも、いずれは本社の保険証を発行するからと言われ、はやn年、いまだに叶わず。

ボーナスは給与のひと月分は出ると言われていたが、そんなことはなかった。なんじゃこりゃというような少額だった。サービス残業もあたり前にする。それでも社訓は暗唱できるようになるまで唱えたし、無断欠勤も無断遅刻もしていない。

それがいつごろか、自分の価値と自分の業務が見合わない気がしてきた。
某国家資格を持っているのに、資格手当は出ないわ、昇給の約束はなくなったわで、いろいろと話が違うことが増えてきた。雇用してしまえば簡単にはやめないだろうとタカをくくっている経営陣。来年から大きく体制が変わるからねと言われるだけで何が変わるかの説明もない。

本来ならこの辺で愛社精神が薄れるだろうが、私にはバリバリ貧困妄想があったため、この会社に捨てられたら人生が終わると思っていた。
そんな生活がn年続いたあとに、カウンセラーにある本を紹介される。

この本を読んで、「会社に捨てられる」「人生が終わる」などの思考やこの会社にしがみつく理由が、「トラウマの再演」であることに気がついた。

「上司と私の関係性」は「父と私の関係性」に似ている気がした。そんな関係ならば逃げ出さないと。目が覚めたわ。

もちろん、上司に守ってもらったこともあったし、上司が悪いわけではないのだけれども、愛社精神が薄れてきたことを最近はひしひしと感じているのだ。

「もう、いいでしょう」
そう思ったのはごくごく最近で。

ひっそりと上司がいないうちにデスク周りの身辺整理をしている。

もう私の決意は固い。

その後
年末を迎えて、ボーナスの査定が行われる前に金額が決定していた。
最低限度の文化的生活が送れる程度だった。そんなもんか。自分の価値ってのはそんなものか、と落胆する。
大学院まで出て、ものっすごいカツカツで生きてて、とてもとてもあほらしい。

奨学金返済額半年分程のボーナスを抱えて、「貯金できねー」と嘆く。


もう遠方に帰省する金がなくなるかもしれないので、今回は思い切って帰省することにしようと思う。

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