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強豪私学がもっとも恐れる都立の名将!有馬信夫監督

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【出版希望】強豪私学の監督が恐れる、いい意味で嫌われている高校時代の恩師であり都立の名将、有馬信夫監督とのエピソードと教えをマガジンにして公開しています。監督の言葉を丁寧に思い出…
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2020年11月の記事一覧

気づき、大人とは

有馬先生は日頃から部員に対してこう言っていた。 「俺は大人のチームを作りたい」 1999年から2003年までの5年間で3回も都立が甲子園に出場。 何があったのかと思うぐらい東京の高校野球が変革した。 都立城東が1999年と2001年。都立雪谷が2003年に。 都立城東2001年のチームは有馬先生が異動したため、大学の後輩である梨本浩司監督(現在は母校である都立文京にて監督)が導いたが異動前ギリギリまで指導していたのは有馬先生だ。有馬先生が作ったチームと言っても過言ではない

工夫と応用が加わったオリジナル練習メニュー

多少触れたが、総合工科の練習メニューは独特であった。 他校がマネをするほど。 とはいえ、私の恩師・有馬先生もいろいろな先生を訪ねて指導法を学び勉強していた。他の学校のパクリだというのは自分でも認めている(笑)だがそこには自分のオリジナルが含まれている。国士館高校・永田監督、元岩倉高校・磯口監督、元浪速高校・小林監督などなど。 新潟明訓高校へ視察に行った際、取り入れようと決めたアップはトレーニングの要素を取り入れ全身を動かす「メイクン」 チームのボール回しはバスケットのス

全員チャンスは平等、全部員を使ってレベルアップ

僕らが入学したときは新設校であったため1学年上の先輩しかいなかった。部員数は60人ほどだったと思う。それでも多い。 野球部の方針として全部員にチャンスがある。全部員が試合経験を積みレベルアップする。 このスタイルであったため、仲良い学校や部員を多く抱えている学校は自校のグラウンドを使用して1日4試合が当たり前だ。全部員が出場するアピールの場を逃すわけにはいかない。 いつ試合出るかわからないというときは、調整しずらいがどこの試合でスタメンなのかは決まっている。当然そこに合わ

監督にこだわる理由は全くなし

2007年3月25日から新入生として練習開始。 ライト奥にある学校のサッカー場で始まった。有馬監督の前任校である都立保谷の野球部員が指導してくれた「メイクン」と呼ばれるアップがチームに導入されることになり、総工のアップとなった。有馬先生が強豪・新潟明訓高校への視察へ行った際にこれだ!と思い導入したらしい。それでメイクンと呼ばれている。 いわゆるリズムで動くのではなく、トレーニングをアップに入れており全身くまなく動かすから、特に股関節、太もも、ふくらはぎはとても張る。アップシュ

甲子園監督が異動してくる!?

 北海道日本ハムファイターズで活躍中の斎藤佑樹投手が高校3年生だった2006年夏の甲子園。「ハンカチ王子」として世間の心を掴み、甲子園優勝に導いた。佑ちゃんフィーバーがすごかったことを覚えている、甲子園もすごい盛り上がりだった。 2006年、中学3年生だった私は、日本リトルシニア連盟・世田谷西シニアに所属し練習に励んでいた。チームは夏の全国大会を懸けた関東予選でまさかの初戦敗退。切り替えて高校進学へ向けて練習していたが、何処に進学しようか悩んでいた。ちなみに世田谷西シニアは全