なぜアレは楽しいのか?奇妙に進化した人間の性
あまり読書感想を書かないのですが(苦手なので)、ジャレド・ダイアモンド著「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」は、しっかりアウトプットして記録と記憶に残しておきたいと思ったので感想を書きます。
本記事は、
・本書の大雑把な紹介
・気になった項目の深堀り(本書の第4章を紹介します)
・まとめ(本書の総評)
という構成で書いていきます。
どんな本?
人間を特別視せず、あくまで動物の一種としてみなした時、「なんだか人間の性的特徴って変じゃね?おかしくね?」と様々な疑問が浮上してきます。
それらの疑問を生態学、進化論、生物地理学、行動学等々を駆使して論理的な解を求めていくのが本書の主たる内容。
学術的な新しい発見があるわけでも、確実に断言できる結論があるわけでもないですが、とにかく面白い。
例えば、多くの生物のメスは閉経しないのに人間の女はなぜ閉経するの?とか、ゴリラやオランウータンと比較して人間の男のペニスでかすぎじゃね?とか、兎にも角にも視点が面白い。そして、読めば読むほど当たり前だと思っていた人間の性が奇妙に見えてきます。
なぜアレは楽しいのか
本書の4章は「セックスはなぜ楽しいのか」です。
かくいう自分はこの章の答えを知りたいがために本書購入を決意したわけですが、しかしこの「セックスはなぜ楽しいのか」という実に単純な問いの答えを本書は簡単に教えてくれません。
その理由は、とにかく性の歴史が複雑極まりないため、簡単に結論を下せないから。
本書によれば、多くの動物にとって交尾は生殖行為から決して切り離されることはなく、人間のように娯楽のためのセックスをすることはないといいます。
ほとんどの動物はメスが排卵を知らせる前後のわずかな発情期間にしか行為に及ばないのです。
一方人間の女の排卵は本人にすら認識できず、当然男側もわからないので、排卵関係なくいつでもセックスを行います。
排卵期以外にセックスをしても子供を授かることはないので、生物的には何の意味もない行為。
一体、何故動物の多くは娯楽でセックスをすることはないのに、我々人間は娯楽でセックスをするのか?何故まるで繁殖に結びつかない、明らかな労力の無駄遣いでしかないセックスをするのか?
「そんなのセックスが楽しいからに決まってるでしょ。性の喜びおじさんも言ってたよ。性の喜びを知れと」
と、性の喜びを知っている紳士淑女はそうツッコむのかもしれません。
しかしこうした態度は思考を放棄した知的怠慢。そりゃあ自分だってそう思いますよ?でも答えはそんな単純じゃないです。
著者いわく、交尾中の動物を観察すると明らかに行為を楽しんでいるような姿が確認されるそうです。
つまり、動物たちも交尾を楽しんでいるのだと。
ただ、人間との違いは先ほども書いた通り、動物は生殖に結びつかない交尾は行わず、あくまで子供を作ることが主目的であり、楽しむことを主目的とした交尾が行われることはありません。
それなのに何故か人間だけが楽しむことを主目的としたセックスをするのです。
この疑問を解決するために著者は様々な仮説を立てます。
その中でも説得力が高いのは「マイホームパパ説」と「たくさんの父親説」の2つ。
マイホームパパ説
例えばもし奥さんの排卵日が夫にわかった場合、夫は奥さんの排卵日は腰を据えてセックスをしますが、逆にそれ以外の日はセックスをしても子供ができないことはわかりきっているので、家から出て他の女を見つけてセックスに励むでしょう。
その方が男は多くの子孫を残せるのですから。
もしこれが現実化した場合、夫は妻の排卵日以外は家に帰らず、生まれた子供の子育ても妻に任せっきりになります。
すると妻は独力で子育てをしなければならず、十分に餌を獲得できない妻は子供と一緒に死ぬことになります。
そうなると、子孫が繁栄していかないため、妻にしても夫にしても「排卵日を知らせる」のは子孫繁栄の観点から最良の一手ではないことがわかります。
だから女は排卵日を隠したのだと。
つまり、排卵日を隠してしまえば、夫が妻を受精させる機会を作りたいなら、できるだけ家にいてできるだけ多くのセックスをする必要があります。だから夫は外に行かず家にいなければなりません。これなら子育てを放棄されない。
そして、夫が家にいなければいけないもう一つの理由が、他の男から妻を守るため。
どの動物にも言えることが、他人の子供を育てるというのは、自分の遺伝子を残すという本能からしてみれば、大きな損失です。これは男としては何としてでも避けたい。
もし排卵日が知らされていない場合、どっかの男が妻を受精させてしまうかもしれないので、男はなるべく家にいて妻を見ていなければいけません。
「いや、でもそれってめでたく子供が生まれた瞬間、男は自分の遺伝子を残せたから、次は違う女の元にいっちゃうんじゃないの?」
そう反論があるかもしれませんが、「排卵日が知らされていない」という前提がある以上、夫は他の女の排卵日も知る由がないので、他の女の元に行って不確実な生殖行為を行うよりも、妻を監視して自分の遺伝子だと確信できる我が子を共同で育てた方が種の繁栄の観点から得策なのです。
これがマイホームパパ説。
とどのつまり、排卵を隠すことによって、男を家にとどまらせ、浮気をさせず、しっかり子育てをさせ、温かい家庭になるよ、みんなハッピーだよっていう話。
たくさんの父親説
この説を理解するには動物界では「子殺し」が頻繁に行われているという事実を知らなければいけません。
子殺しは基本的に、大人のオスが交尾していないメスの赤ん坊に対して行われることがほとんど。ここで重要なのが、子殺しを実行したオスは殺害した赤ん坊が自分の子ではないことを知っているのです。
つまり子殺しをする理由は、自分の遺伝子を残すため。
その証拠に子殺しが行われると、ほぼ間違いなくオスはその母親を受精しにかかります。
悲しいことに自分の遺伝子を残すという動物的本能は、無関係の子を排除し、つまり殺してしまい、自分の遺伝子を残すためにその母親をレイプするという行為につながるのです。
こうなるとメスとしては都合が悪い。
そこでメスは排卵を隠すことによって、いつでも性的にオスを受け入れるという戦略を取ります。
メスは自分の排卵を隠すことによって多くのオスと交尾をします。
すると多くのオスにとって、排卵が隠されているため、生まれてくる子の父親が自分だという確信を持てない反面、自分が父親かもしれないという可能性にもつながります。
自分が父親かもしれない可能性がある以上、無闇に子殺しをするわけにもいかない。
そうなると、種の繁栄という観点から生まれた子を育てる方が得策ということになり、餌を持ってきたり、子を守ったりするオスがでてきます。
これがたくさんの父親説。
だから人間の排卵は隠され、結果的にそれは楽しむためのセックスをするという習慣を生み出したのではないかという話。
しかし、マイホームパパ説も、たくさんの父親説も、どちらも決定打に欠けるため、本書でも結論は出ていません。
本書の総評
我々人類は有史以来この世界の謎を解き明かそうと、深海に潜ってみたり、莫大な国家予算を投じて月面着陸してみたり、命を賭けて北極点を目指してみたり、地球というステージを縦横無尽に駆け巡り謎の探究に明け暮れています。
そうした先人たちの探究は間違いなく我々人類全体の利益につながり、今こうして文明利器の恩恵を最大限に享受できているのも、そうした探究者のおかげでしょう。
一方、宇宙空間に進出してしまうほどの科学力を持っているくせに、その実自分たちのことは何もわかっていないのです。
それが本書「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」で嫌というほど痛感させられます。
結局どれだけ化学が進歩しようとも、いまだに「なぜ人間が娯楽のためにセックスをするのか?」や「なぜ人間の男のペニスは他の動物に比べて大きいのか?」とか「なぜ女の排卵は隠匿されているのか?」といった謎は未解決のまま。
本書ですら「多分こうなんじゃない?」という仮説を投げかけるものの、その仮説が正しいという明確な根拠を示すことはできていません。
「なんだよ!だったら本書を読んでも有益な結論得られねーじゃねーかよ!!」
と、憤る方もいるでしょう。
実際自分も2章くらいまではそう思いました。で、結論はなんなんだと。
しかし、本書を全て読み終えてみると、いかに性が複雑怪奇なもので、簡単に答えを見つけることができない分野なのかを理解できます。
そして、進化には必ず意味があるということも理解するでしょう。
結論がはっきりしていないからこそ、読者が自分で考察できるだけの余白があり、繰り返し何度も読み直し、自分なりに仮説を立てるという楽しみ方もできるのです。
おわりに
性の喜びを知りたくても、自分は残念ながら性行為に付き合ってくれそうなパートナーはいないので、泣く泣くFANZA動画にアクセスしてサンタコスをした女優がわんさか出てくる作品でも購入しようと思いましたが、仕事がうまくいっていないので作品を買うお金もなく、サンプル動画で我慢するという実に悲しい手段で性の喜びを知ろうと思います。
「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」を読んで性の秘密に迫ることはできても、実際に性の喜びを手に入れるのは兎にも角にも難しいっすね・・・。