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SHINKUKAN Podcast#132 間々田優 Part2



おはようございます。音楽プロデューサーそして音楽グローバルマーケッターのWELCOMEMANです。
 この番組は世界で今最も注目を集めるアーティストから世界のミュージックアワードに関連する楽曲を紹介しつつも、日本の素晴らしいアーティストや音楽もお届けしていきます。
 世界の日本の架け橋となる音楽情報発信基地になることを目的としております。
 さあということで、スペシャルゲストアーティストウィーク後半でございます。
 スペシャルゲスト・間々田優さんにお越しいただいております。前半、後半、本当に濃厚なトークセッションでございました。まずは楽曲を紹介したいと思いますが、僕もこの楽曲タイトルを心に込めていたいと思いますので、後ほどトークセッションね、その反省を生かして、聞いていただければと思います。間々田優で「バカヤロー」


WELCOMEMAN:お送りしたのは間々田優で「バカヤロー」でした。
 前回に引き続き今回のスペシャルゲスト・間々田優さんです。よろしくお願いします。

間々田優:お願いいたします。バカヤロー!

WELCOMEMAN:それが欲しかったです笑

間々田:うそ!?やったー!

WELCOMEMAN:やっぱり僕のバカヤローは駄目でしたかって聞こうと思ったんですけど、先に言いましたね。正解を。

間々田:期待されてる気がちょっとしたんで。

WELCOMEMAN:リハの前振りから何となく感じ取ってもらいましたか?

間々田:そうなんです。さすが2回目ですね。

WELCOMEMAN:皆さん何のことやと思ってる方もいると思うのでぜひ前半を聞いていただいて、前半は間々田さんのいろんな活動のヒストリーを伺っていきたいと思ってたんですが、やっぱりいろんなターニングポイントになったところをスポットで聞いて気になるキーワードがいっぱい出てきたのでその辺を深掘りさせてください。
 早速なんですが前回ちょっと振り返りながらなんですけど不登校があって、人生の岐路があって、その中からデビュー曲が生まれ、40歳になったときにファンのみんなと不登校だった高校の校庭を走り、なぜかこのタイミングで同窓会の通知が届き、高校の同級生からあの間々田優が音楽やってるらしいよみたいなことになり、すごい感慨深い素敵なお話がいっぱい聞けたんですがそんな高校生から社会に出て音楽活動していきたい。
 そしてデビューもされ、音楽活動を休止されるタイミングが来た。

間々田:そうです。活動休止を4年間していました。

WELCOMEMAN:この辺の話をまず伺ってきたんですけど、きっかけというか理由を教えてもらっていいですか?

間々田:理由はいくつもあるんですけれども、まず音楽業界の中でいうとなかなかCDが売れなくなってきて、事務所の中でもアーティストが離れたり、部署が縮小していったっていう流れのときではあったですが。

WELCOMEMAN:なるほど。

間々田:そうなんですよ。

WELCOMEMAN:ということはアーティスト活動されてから今の事務所に所属する前にデビューされていた?

間々田:そうです。2007年にデビューしました。

WELCOMEMAN:その2007年にデビューされてから活動休止に入ったんですか?

間々田:そうです。2007年にデビューと同時にミニアルバムをリリースして、2008年、2009年とずっとリリースをするんですよ。
3枚リリースしてそこから次の作品どうしようかなって言ってる間に自分のプロデューサーが先に会社を辞めてしまったりとかあとは悲しいかなそこで東日本大震災が来るんです。
 そこでもう音楽業界がガタガタし始めたんです。私は3枚CDをリリースして、次はもっともっと当てなきゃいけないよっていうプレッシャーで曲が書けなくなっていくところでその三つが重なるんです。

WELCOMEMAN:2008年のアルバム出されたときにサマーソニックとかCOUNTDOWN JAPANに出演してますね。

間々田:そうなんですよ。本当に大きな舞台を踏ませてもらいましたね。

WELCOMEMAN:すごい景色やったんじゃないですか?

間々田:そうですね。私もそのときはまだ原石の私でライブでとんでもないことやってやるぞっていうパワーがもっと露骨にあったので、ステージでめちゃめちゃ暴れまくってみたりとか、いきなりウィッグで出てきてそれで歌い出すかと思ったらいきなりをそれを客席に投げてみたりとかプロデュースでもなんでもないです。
ただサマソニは野外のステージで雨の中思いっきりやってみたりとか、深夜のフェスに出させていただいたときは深夜のちょうど1時の時間帯でみんなが会場でお客さんも疲れててこれからどうするみたいなところで思いっきりステージに上がってギター1本でワーッ!って叫んでお客さんがなんだこいつみたいな感じで見られたりとか、結構そういうのが認めてもらえた時期でありましたね。

WELCOMEMAN:へえ、素晴らしい。ご自身がデビューして、いろんなステージで素晴らしい会場でやることと、逆にそれが活動休止に至るきっかけになってるのが、今のお話に繋がっていくってことですよね。だからすごい登っていったところに大震災も踏まえてダーンと落ち込んでいくときが来た。

間々田:そうですね。

WELCOMEMAN:そのお話を改めてもう一回聞いていきたいんですけど、そのきっかけになるのはまず大震災と他は何でしたっけ?

間々田:あとは音楽業界の中でCDが売れなくなっていって、周りのアーティストさんも結構辞めていったりとか、それは建前でもあり事実でもあるんですけど、大きな舞台を踏ませてもらってる、いろんな経験をさせてもらってる反面、自分の中ではまだコードも何個かしか知らなくて、本当に何か思い立ったように理論も何も知らないで曲を何となく書いていて、それを周りのいいアーティストさんやプレイヤーさんに演奏してもらって、下駄を履かせてもらってるっていうのが中身の空洞っていうか、虚無感とずっと乖離してくんですよね。

WELCOMEMAN:なるほど。前半のときにもね、印象的だったんですけど、すごいご自身の中でパワーがあるんだけど、割と背中を押されてそうやっていったっていう経験がそのタイミングで露骨に実体験として出てくるんですね。

間々田:本当にそうだと思います。それで2009年アルバムを出した以降にやっぱり曲が書けなくなりました。

WELCOMEMAN:そうか。だから下駄が逆に言うと大きすぎたから大きすぎた分の反動がそこで来たわけですね。

間々田:だと思います。

WELCOMEMAN:それはもう精神的にもだいぶやっぱ疲れたんですか?

間々田:そうですね。自分が曲が書けないっていうのと、あとライブのやり方もそれまでは何となくあぐらをかいて座ってた女の子の物珍しさとか、押し切って受けていたのにやり方をじゃあもっと歌がうまくならなきゃとか、ギターが上手くならなきゃみたいな方向を求められたり、自分でもジレンマがあってそこでもうぐちゃぐちゃんなっていくんですよね。

WELCOMEMAN:その曲が書けないのって、ストレスになっていくんですか?
 それとも書けないから余計に書かなあかんみたいなことでどんどん悪いスパイラルに入っていくみたいなそんな感じなんですかね?

間々田:あのときの精神状態は今でも本当に自分が客観的に見れてない部分もあります。渦中にいたので。

WELCOMEMAN:なるほど。

間々田:もうその力が入らない。ただ虚無感がありました。

WELCOMEMAN:今思い出しても答えはあのときはまだ出てないんですか?

間々田:出てないと思います。なのであのときに、ただ事務所には毎日なるべく行って存在をアピールするぐらいしかできなかったりとか、一応、曲は書こうとしてたけど、笑っていいともとごきげんようを毎日見て、そのあと午後のロードショー見て、夕方のワイドショー見て何か鬱状態ではあったと思いますね。ただその4年間に終止符を自分打てたのは自分自身なんですよね。
 今まではいろんな方に背中を押してもらってタイミングやチャンスが実っていったっていうのがあったんですけど、自分自身の大きなターニングポイントが一つあるとしたら活動休止をやめたときですね。それが2014年なんですけど。

WELCOMEMAN:そのきっかけって何なんですかね?

間々田:もう4年間ライブをしていなかったので、ライブしたいなっていうモードになって背中を押してもらうとかじゃなくて、誰かに用意してもらうとかじゃなくてとにかくライブをしないと駄目だって思って。そこで大きな事務所を自分から辞めるって言いましたね。

WELCOMEMAN:すごい。だから今まで背中を押されたり、優柔不断だよって言っていた自分の性格はご自身で分かってて、とにかくトライして前向きにやっていくっていうところと時代とが上手いことはまって、デビューして、下駄をはかせてもらって、いろんなステージを見て、今度は逆に大震災もそうだし、そのCDが売れないっていう時代も踏まえて、人が去っていく、押してくれる人がいなくなっていくっていうことですよね。

間々田:そうです。まさに。

WELCOMEMAN:今まで押してもらってたからそのスピードでドーンと前に進んでたんだけど、自分で前に進まないといけいないということが、4年かかるってすごいな。でも一言やったんですね。

間々田:本当にそこだけでした。

WELCOMEMAN:その一歩がすごいですね。

間々田:そうですね。そこの勇気は本当にやってよかったって、あとにも先にも一番大きなターニングポイントだったと思います。

WELCOMEMAN:なるほど。いろんな葛藤が多分一直線にここでもまた繋がったタイミングやったんですね。

間々田:だと思います。それでもう自主制作の手売りのCDを作って、ライブハウスも本当に昔出ていたライブハウスに自分から電話して、またちょっとライブやりたいんですけどみたいなところからやっていたときに、今のプロデューサーだったり、環境レベルの所と出会ったので大きな決断をしてよかったなと思います。

WELCOMEMAN:すごい。そこからはもう間々田優は最強になったってことっすね。

間々田:最強になろうと思いました。

WELCOMEMAN:はい。そうか。なるほど。だから20階層から話をしていくっていう最初の切り口の話もそうですけど、経験をいろいろされた結果ですね。

間々田:だと思います。もしかしてずっとそのターニングポイントがないまま事務所にいて、CDも出せないライブもできないで何となくのらりくらりと今でも暮らしてたかもしれないし、それこそ音楽をやめちゃって、音楽なんてやってられないよねみたいな暮らしになることもできたので。

WELCOMEMAN:なるほど。活動再開するときに各ライブハウスに電話したり、いわゆるインディーズとか、自主制作が始まっていくきっかけだと思うんですけど、弾き語りをする、今までのお話だとギターを1回も弾いてる印象がなかったんですけど、コードが2個か3個がっていう。

間々田:ちょっとギリギリ抱えてたんですよ。

WELCOMEMAN:なるほど。じゃあ今まではバックミュージシャンが見てくれる環境があったり、プロデューサーがいたりっていう環境じゃなく、自分自身でやっていくぞていうことでインディーズアーティスト、要はDIYアーティストとしてやっていくんですね。

間々田:そうですね。そこでやっぱり歌声とか、ギターとか、やっと一アーティスト、一歌手の間々田優っていうものをどう作っていこうかっていうのはそこから自分でやっと向き合えたかも知れない。

WELCOMEMAN:そこを経て、2018年にフルアルバムをまた出して、ユニバーサルミュージックに復帰。

間々田:そうです。

WELCOMEMAN:素晴らしい。

間々田:出来ましたね。

WELCOMEMAN:USENのリクエストランキングでの1位!

間々田:そうなんですよ。たくさんリクエストいただきまして。

WELCOMEMAN:素晴らしい。もうそこからいろんな葛藤がある中で4年の活動休止を経て、よーし、ライブしてー!っていう一言でパンと跳ね返ってきて、かなり精力的に活動されてると思うんですけど。

間々田:そうですね。そこから2015年に初めての全国ツアーをさせていただいたりとか、そこからバンドのツアーだったり、いろいろ経て、あとはもう2年前のちょうどコロナが始まるときにも全国30ヶ所のツアーをコロナと同時期ぐらいに始めました。

WELCOMEMAN:もうコロナの前からスケジュールって決まってますもんね。これね資料を見させていただいてるんですけどなんと、1回目が2月18日から始まってるんですけど。

間々田:横浜の方で何か伝染病の話してないみたいな。隔離みたいなこと言ってないみたいなところからまさにもう並行して走るかのごとくやりました。

WELCOMEMAN:それは実際中止されずに実施されていったんですか?

間々田:最初の何ヶ所とコロナ禍のツアーの間にあった例えば地方のライブハウスとかはどんどん休業とか閉店もしていたので、最初はもう調整、調整で再開できるかどうかっていうところでした。

WELCOMEMAN:なるほど。行ったライブもあれば、ライブハウス側の都合もあって、ツアーするこっち側はやる気満々だよってことであって調整できなかったりとか。

間々田:そうです。

WELCOMEMAN:それはどういうふうなスケジュール感でって言ったんですか?

間々田:もうなるべくスケジュールの日程自体は崩さずにお客様方もやっぱりこの日は夏にここに行きたい、秋にここ行きたいっていうふうに年間のスケジュールを出していたので、なるべくそれとあと30ヶ所っていう数は崩さないで、なるべく初志貫徹でいきたいなって思ったときに生ライブ、もういろんな批判とか考え方もあったんですけども一番最初の緊急事態宣言の後ぐらいに生ライブと並行してあとは配信放送と掛け算で始めましたね。

WELCOMEMAN:なるほど。ここで時代に合わせたいわゆる今まではハイブリッドライブとかっていう言い方するかもしれませんがそれを実施しながらとにかくこのツアーをやめるのではなく、前に進めようっていう判断をしていたんですね。

間々田:しましたね。私1人じゃこういう判断できなかったんですけども、お客様のやっぱりいや、それでもツアーしてほしいっていう声や会いに来てほしいとか、あとは一緒に回っていた中村ピアノさんとあとビジュアル系演歌歌手の美良政次さんの3人で回っていたんですけども、その3人とプロデューサーの意向でエンタメ活動を止めないっていうのをキャッチフレーズを立てて、それで配信放送もまだまだ2年前は文化がなかったので、配信ってライブじゃないよねとか、生ライブの会場なんて周りの人の目があって行けないよとか、どっちも本当に少ないパイの中でどうにか始めましたね。

WELCOMEMAN:でも本当に賛否が出る状況で前に進むという判断は素晴らしいなと思いますし、よくできたと思いますね。やっぱり賛否で言うと、この批判的な意見はやっぱり多かったんですか?

間々田:結構、そうですね。生ライブに来てくれる方も職場や家族に内緒でこっそり来てたりとか、あとはライブハウス自体も開けるのは本当は嫌なんだけど、周りの店舗の目があったり、あと他県から来ることを推奨したみたいな目で見られるのが怖いんだけど、でもやっぱり来てほしいと思いました。
 実際、来てくれるお客さんだったり、ライブハウス自体は否定するところはあんまりなくて、こういう状況でも実は来てほしいんだよねっていう方は多かったですね。でもツイートとかSNS発信はしないでって言った時期もあります。実際は。

WELCOMEMAN:ご自身だけのチームで考える分だけだったら前に進むんだけど、その周りの人、お客さんのこと、みんなのことを考えると、一概にその判断がいいっていうわけでもない。

間々田:そうですね。

WELCOMEMAN:ルールが決まってないからね。前に進むからついてこいっていうわけでもないのですごい難しい。

間々田:声高らかにも言えなくて、何か私達もどこかでこっそり行くみたいなところもやっぱり気持ちはあったりしたんですけど、でも行ってみたり、開催してみたりすると、本当やってもらってよかったっていう方が多かったので。

WELCOMEMAN:そうですよね。なんか実際コロナもそうですがいわゆる心の病気にならないようにっていうか音楽はそういう意味では生きる力とか、パワーとかもらうためのライフワークの一つにされてる方も多いし、僕もやっぱりその1人だと思っているので、ライブを続けてくれたことはすごい僕は正義だと思っているし、これを続けていたからファンの方でも力をもらって生活していた人もすごいいっぱいいると思うので、素晴らしいなと思いました。

間々田:例えばWELCOMEMANさんのそのご自身の活動だったり、プロデュースしてるアーティストさんとかはその変容のときってどうしてたんですか?
 生ライブはこのアーティストは控えようとか、ツアーはやめておこうとか、判断とか。

WELCOMEMAN:そうですね。僕らの場合は僕の判断で一旦全部やめました。

間々田:でもそうですよね。アーティストにもやっぱりリスクも大きかったし。

WELCOMEMAN:そうですね。周りの声っていうこともそうなんですけど、もしかすると何かいろんな世の中が変わるチャンスかもしれないと思ってたので、長い時間音楽のことを考えるチャンスが来たみたいな僕はすごいポジティブだったんですよ。
 ライブをやめるっていうことがネガティブだとは思ってなかったんですよね。いい曲が書けるとかね。

間々田:できない時期だからこそ今の時期にできることがあるっていうことですね。

WELCOMEMAN:そうですね。それですごいわくわくずっとしっぱなしみたいな状態でした。

間々田:そういうふうに考えられた人ってやっぱり強かったりするから、力強く何か活動は再開じゃないけど、なんか機転を利かせて広げていってますよね。

WELCOMEMAN:ありがとうございます。間々田さんにMCをしていただいて。

間々田:やっぱり客観的にも聞きたいなっていうふうに思ったりして、自分たちは一緒に帯同したアーティストだったり、プロデューサーだったり、お客さんに助けられた部分あるんだけど、周りの方々ってどうしてただろうって逆に言うとそういう時間を経て、今こうして目の前で一緒に話をできてる音楽業界だったり、プロデュースしてる方々とかっていうのは、言い方が悪いですけど、生き残ってきた同志でもあるので、何かそれはお互いに喜びを分かち合いたいなっていうのは思ってます。

WELCOMEMAN:そうですね。何て言うかな、勝ち負けではもちろんないんですけど、コロナに勝ったという表現が正しいのであれば、間々田さんのチーム、今やられてるそのツアーで前に進んだ人たちは優しく勝ったんやなって思うんですよ。
 優しく周りに配慮してでも前に進むっていう選択肢を選んでるからベストアンサーだなって、音楽的に進んだなって思ってるんですよね。

間々田:なんか生ライブをやり続けていくっていうことと、あとは配信も一番最初もなんかスマホでできるらしいよってそういうところから三脚なんかこれグラグラだけど新しいの買おうとか、そういう手探りから始まって、でもそこから状況が変わってきて本当に地方の人とか家族の状況などで生ライブの会場に来れない人はいるよねっていうのが客観的に見えたときに配信放送もプラスアルファのおまけじゃなくて、配信に特化した本当にもう目の前で見てる、映画館で見てるかのような音質だったり、クオリティ、画質、映画にも勝るとも劣らずのようなライブ作品を作れないかと思ったときに私達はまずそれこそ皆様のお力添えもあって秘密基地ていう配信に特化したスタジオ作るんですけど、やっぱりそれも続けてきて、一番最初は手探りながら始まったんですけど、そこもやっと1年間続けてくることができましたね。

WELCOMEMAN:やっぱり止まるわけにはいかない。音楽で力をっていうことで、どんどん前に進んで新しいこともトライしながらやっていかれた?

間々田:そうです。

WELCOMEMAN:なるほど。2022年はもうアフターコロナという流れになってきてますが2022年はツアーを回られたんですよね。

間々田:そうです。1年間ツアーを回ってきました。

WELCOMEMAN:素晴らしい。中村ピアノさんと一緒に回られたんですよね。

間々田:そうです。中村ピアノさんと一緒に北は北海道、南は沖縄まで21ヶ所行ってきました。

WELCOMEMAN:すごい。すごいパワーだ。

間々田:20年のときのコロナ禍の同時のツアーのときはツアーなんてよく行けるねって言われたんですけど、去年のツアーのときもまだ周りのアーティストさんからツアーへ行けてうらやましいって言われましたね。
 まだなかなか踏み出さないアーティストさんだったりも多いみたいで羨ましがられたと同時にでも何か後押しになればいいなっていうのもありました。
 ただ収まってきたコロナの状況の中でも前日に会場が使えなくなったっていうのは2件ありました。

WELCOMEMAN:要はスタッフさんに体調不良の人が出たと。

間々田:ありましたね。やっぱりそれでも続けてどうにか他の会場借りたりとかして。

WELCOMEMAN:そうですか。探したんですか?急に。

間々田:本当にもう前日にどこか開けてくれますみたいなアナウンス出したりとかして。

WELCOMEMAN:素晴らしい。やめようかとかじゃなかったんですね。

間々田:やめようかにはできなかったです。最悪の場合、青空の下でもやろうって言ってましたね。

WELCOMEMAN:素晴らしい。

間々田:その強さってやっぱり勝ち残った人っていうのはそういう機転を持ってたんじゃないかなと思いますね。

WELCOMEMAN:その活動休止もあって、前半のね不登校の話もあって、やっぱり波の中で一つずつ越えられてる力だと思いますね。

間々田:それは嬉しいですね。だからもう私もアラフォーでこれからアラフィフに向かうんですけど、どんどん力を落としてる場合じゃないと。力強く行かねばと思います。

WELCOMEMAN:ファンの皆さんもそれで力をもらって。

間々田:でもそれはお互いにやっぱり交換し合ってるっていうのを思いますね。お客様にも力いただいてっていう。

WELCOMEMAN:なるほど。だから校庭を一緒に走れたんですね。

間々田:本当ですよね。もう20人ぐらいの大人がみんなゾロゾロ走っているわけですから。

WELCOMEMAN:それがミュージックビデオだったらめっちゃ感動する部分ですね。

間々田:本当ですね。

WELCOMEMAN:2023年はこういうことしたいみたいなことあるんですか?

間々田:そうですね。2月15日に新しいCDをリリースさせていただくんですけどもそれが中村ピアノさんとのユニットの燃えよギター!燃えよ鍵盤!っていうツアーの中で2人で名乗っていたユニット名でツアータイトルでもあるんです。
 ツアーのテーマソングがまさにリリースになるのでツアーで培ってきた縁の一つとしてのリリースでもあるんですけど、今年はまたいろんな地方の皆さんに会いに行きたいなていうのもあるんですけど、やっぱりもう一つは未来の種植えじゃないですけど、新しい曲だったり、新しい音をもっと作っていきたいなと思うんです。

WELCOMEMAN:なるほど。新しいことにまだまだ挑戦していくんですね。

間々田:挑戦します。

WELCOMEMAN:素晴らしいですね。ファンの方ももちろん背中を見て追っかけてると思いますが、リスナーの方もこの前半、後半聞いていただいて、間々田優はいろいろあったけどまだ前に進むのか、すげえぞっていうふうにね思っていただいてると思うんでぜひライブに足を運んでいただいていただきたいです。新曲もぜひ聞いていただければと思います。

間々田:20階層目をバーンと開けましょう。

WELCOMEMAN:ぜひ開けましょう。前半、後半本当にありがとうございました。

間々田:こちらこそありがとうございました。

WELCOMEMAN:すごい僕も楽しかったし、勉強なりましたし、パワーももらえました。

間々田:生き残った者同士で嬉しかったです。

WELCOMEMAN:また新しい音源が出たりしたら、ぜひお越しください。  

間々田:嬉しいです。お願いします。来ないでって言われても来ます。

WELCOMEMAN:わかりました。ぜひ来てください。最後に楽曲の紹介をお願いしてもいいでしょうか?

間々田:2月15日にリリースになるCDのカップリング曲です。実はこれは有線などではかけられないという、コンプラ上の問題になっている作品です。お聞きください。「夕暮れ、少女の記憶」

お送りしました。間々田優さんとのトークセッション。非常に盛り上がりましたね。自分の体験談もちょっと踏まえた補足でね、何か話ししておきたいなと思うんですけど非常にね、間々田優さんの不登校だったりとか、メジャーデビューをした後のなかなかうまくいかないかった4年間とかって、すごく共感できて、私事で申し訳ないんですけど、僕も20代の中盤ぐらいの時に非常に音楽活動で飯食っていくのが難しいときがあって、ミュージシャンとしてライブをして、パフォーマンスしてバンド活動やりつつ、実はトラックメーカーとして楽曲を作ったり、あとラッパーとしてライブしたりしてたんですよ。
 でもなかなかビジネスにならなくて、厳しくて、仕事もバイトを掛け持ちしながら四つも五つもしたり、とはいえいろんな音楽ビジネスの仕事もしたりみたいなことで本当隙間なく動いてたときがあって、寝る時間以外はもう音楽のことしかやってないみたいなときを数年続けたんですね。本当に厳しかったんですよ。
 お金もなかった上に僕の場合はなんとできちゃった婚で、奥さん、今の奥さんなんですけど、奥さんとの間に子供を授かりましてね。
 フリーターで音楽続けているし、社会的信用のないでも音楽やめる気なんてサラサラないのでいろんな人に罵倒されたり、本当に6畳1間のわかりやすい貧乏生活を送ってたんですね。その数年間があるので今があるっていうことなんですよ。
 僕がミュージシャンをやめて裏方になって音楽ビジネスをやろうって心に決めたときは新人発掘をしたり、僕自身がスカウトするような立場でビジネスやってたので、客観的に自分のやってる音楽を新人発掘として、自分がスカウトマンとして自分を見たときに、いやお前売れないなって自分で思うっていうね。
 もう今は笑い話でなってるけど、当時はしんどくてこれがね、自分で自分が売れないっていうことに気付くみたいな。
 社会的信用を全て失いながらも頑張ってやってきたけど、大人になっていろいろ知識がついて、スケールが上がれば上がるほど自分の才能のなさに気づいて自分で自分をスカウトしないっていうそんな出来事がありました。
 でも本当にそのおかげがあって今があってこういうポッドキャストをさせてもらって、やっぱり間々田優さんのアーティストとしてすごく評価されたタイミングとなかなかうまいこといかなかったときっていうのはもう心の底から共感できるんですよね。
 また復活を遂げ、中村ピアノさんとも一緒にツアーを回られたりとか、今回ちょっと体調の問題でお会いできなかった東郷さんっていう方に間に立っていただいていろいろやり取りをして、今回お会いできなかったんですけど。その辺のやり取りも踏まえて、ぜひまたこのプロジェクトとしてねお会いさせてもらいながら、復活していった間々田優さんの今のアーティストとしてのパワーとか、前回にも出演していただいた中村ピアノさんの豊かな発想で出てくる音楽とかいろんな個性を合わせたプロダクションとしていろいろやられてると思うのでその辺も全部追っかけてもらったら、すごい楽しいんじゃないかなと思います。本当に2回にわたりありがとうございました。またぜひお越しください。
 ということで最後にSHINKUKANから少しだけお知らせさせてください。この番組タイトルでもありますSHINKUKANとは日本の音楽コンテンツを世界へをモットーに掲げたサブスク型の音楽ストリーミングプラットフォームであり、ライブアーカイブやオリジナルコンテンツもう見放題、聞き放題でございます。
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