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妊娠中絶問題と「女性のストライキ」

ポーランドでは人工妊娠中絶がほぼ全面的に禁止となり、女性の権利と自由が奪われたことへの抗議デモが激化している。10月22日の憲法裁判の判決とはどういう内容だったのか。今回のみならず、これまでも何度か問題にあがっていた人工妊娠中絶の問題点は何なのか。激化とともに暴徒化している抗議デモ主導者の要求とは?そして政府はこの問題にどう対応すべきだったのだろうか。私見とともにまとめてみた。


憲法裁判所の判決内容

 10月22日に憲法裁判所は胎児の先天性異常を理由とした中絶を禁止する判決をくだした。
 過去の同様の案件としては、1997年に憲法法廷の事例がある。当時1993年1月7日付の法律は憲法38条に違反していると判決され、人工妊娠中絶は以下の3ケースにおいてのみ医師だけが行っても良いことになった。
 1)妊娠が妊婦または胎児に危険をもたらす場合
 2)胎児の検査または他の医学的状況で、胎児に重度で不可逆的な機能障害あるいは生命を脅かす不治の病の可能性が高いと示された場合
 3)禁止された行為の結果の妊娠という正当な疑いがある場合
 今回の憲法裁判所の決定で問題になったのは上記のうちの2番で、憲法裁判所は2番を削除する決定をくだした。これまではダウン症と認められた胎児の多くが「先天性異常」という理由のもとで人工中絶により生命を絶たれていた。その数については、データや情報ソースによって20〜40%とさまざまで、正確な判断は難しい。また、ダウン症以外の病気でも、障害を持ちながらも幸せに生きていける可能性を持った子どもが中絶の対象となることはあり、そのような命を断つことに対する批判や疑問視はこれまでもあった。だが、2番が完全に削除されることで、母親の体内では生命を維持できても、産後はそれが維持できないのがほぼ明らかな胎児も母親は出産を強いられることになる。
 またもうひとつ争点となっているのは、子どもの尊厳で、中絶により子どもの生きる権利が犯されるという問題だ。ここでさらに問題になるのは胎児は子ども、つまり守られるべき人間として捉えるべきかで、これについても意見が分かれている。この「胎児は人間か」という問題に関しては、すでに1997年の判決で「人間は生命が芽生えた時点から憲法により保護される価値となる。それは出生前の段階も含む」と明確になっている。
 今回の判決については「保守的右派で強権的な現政権PiS(法と正義)の影響によりこのような判決がくだされた」との報道が海外メディアでも散見されるが、それは事実なのだろうか。憲法裁判所の決定とはいえ、現政権の意向が反映されていることは明らかだ。だが、1997年に憲法裁判所が同様の判決を下したとき、政権をとっていたのはPiSではなく、民主左翼連合(SLD)のアレクサンデル・クファシニェフスキ大統領の時代だった。当時の判決には妥協はまったくなく、社会的な理由による中絶は憲法に反しているという判決が下された。
 もちろん時代は20年以上遡り世代もかわっているとはいえ、中絶の自由化や胎児を人間として捉えない、という考え方が現在強まっているとしたら、人命に対する価値が矮小化されるようになったと考えざるを得ない。


なぜ今?

 人工妊娠中絶に関する法律については以前から問題になっており、今始まったことではない。社会的論争を招くに違いないこの問題を、コロナ感染者数が上昇している今取りあげたことに反感を示す者も少なくない。
 なぜ今取り上げたかについては、さまざまな解釈があるが、そのひとつは遅かれ早かれ取り上げなくてはならない問題なので今取り上げたが、このような大規模な抗議運動になると政府は予想していなかった、という見方。コロナにより大人数の集会が規制されている現状で、大規模な運動や集会は起こり得ないだろうという楽観的な考えによるものだ。
 一方、より政治戦略的な見方としては、たとえ今、反対運動が起きたにしても次の選挙までには3年あるのでそれまでには鎮静化し、たとえ今、政権の支持率が下がったとしても、まだ持ち返すことができるだろうという考えによるもの。さらにそれに付随して、ポーランドではコロナ感染者が増え続けているが、政府が集会を禁止するも抗議運動で人々が集まり、今後コロナ感染者数が拡大したなら、政府の禁止に背いて活動した結果なので、国としては何もやりようがなかったという政府にとっては逃げ道ができるという考え方もある。
 このうちどれが正しいのか、さらに違う思惑があったのかはわからない。だが、この時期にこのような形でこの問題を取り上げることは、長期的視野で考えたとき、決して政府のためにも国民のためにもならないだろう。


曖昧なデモの趣旨

 人工中絶に関しては社会論争になることは誰もが予測できた。だが、ここまで大規模な抗議デモになると予測できた人はそれほど多くなかったのではないだろうか。では、なぜここまでデモが拡大したのか。デモに集まっている人々は抗議の趣旨を熟知しているのだろうか。重度の障害児を出産しなくてはならない女性を守りたいという意志を持ってみんな参加しているのだろうか。必ずしもそうとは言えないようだ。
 ここまでデモが大規模化したのは、コロナによる自粛が長期化し終息の見通しも立たない状態で、国民、特に若者の間でフラストレーションが溜まり、きっかけが何であれ過剰な行動に出る状況が社会に伏在していたからだとも言われている。実際、デモを主導する団体「女性のストライキ」のシンボル、赤い稲妻のマークがついたマスクをつけ、通りで音楽に合わせて踊っている若者も多く、抗議運動というより一見お祭りを楽しんでいるかのようにもとれる。多くのイベントが中止になるなか、ある意味このデモは大イベントとなったとも言えなくない。これだけの理由で参加している人ばかりではないと思うが、そういう人も少なからずいるのではないだろうか。
 それにデモの趣旨を理解しようにも非常に曖昧で焦点が定まっていない。掲げているバナーを見ても今回の判決に関連する争点は見えてこない。「これは戦争」「私の体は私が選ぶ」「PiSは失せろ!」「膣は私のもの」「女性の地獄」「LGBTを守れ」など何でもありという印象だ。
 デモが始まって1週間以上経ってようやく「女性のストライキ」のリーダー、マルタ・レンパルトが発表した要求も、やはり何でもありだった。人工妊娠中絶の自由化、LGBT支援、学校でのキリスト教教育の廃止(実際にはすでに生徒はキリスト教と道徳教育を選択できるようになっている)、地球温暖化を止める、国営テレビと教会への政府の資金補助反対(政府は教会へ資金補助はしていないが)をやめて医療費に充てる、身体障害者支援、教育大臣の辞任など。先天性異常を理由とした人工妊娠中絶廃止反対というのではなく、人工妊娠中絶権にかこつけた現政権批判が主目的のようにもとれる。


暴徒化するデモ

 急速に拡大していった「女性のストライキ」だが、今後もこのデモは長期化するのだろうか。そうとは考えにくい。なぜなら前述したようにデモの目的が明確ではなく、主導者の考えで要求が日を追う毎に拡大しており、デモ参加者の多くは主導者が要求していることを正確に把握できていないからだ。過去にも同様の理由で自然消滅した団体は多い。
 11月11日はポーランドの独立記念日で、愛国者を中心に大規模な行進が毎年行われる。行進の参加者は右派、保守派が多く、例年ドゥダ大統領やカチンスキPiS党首も参加する。今年はコロナの影響で政府関係者の参加はなく、行進そのものも小規模になる可能性はあるが、この日に女性ストライキと独立記念行進参加者が対立して暴動化する恐れは大いにある。その後はおそらく女性ストライキは自然に縮小していくだろう。政府もデモが自然消滅していくのを密かに期待しているように見える。今のところ警察の取締りも厳しくなく、挑発を避け慎重に行動しているようにとれる。
 それとは対照的にデモ参加者の行動や暴言は過激さを増している。教会を破壊、ミサの妨害、ヨハネ・パウロ2世教皇の銅像の手に赤いペンキを塗る、そしてデモ参加者は口汚い言葉で政府を罵るなど、その行動は過去に起きたデモとは一線を画す。過去にも市民運動は多々あったが、超えてはならない一線が誰の意識にも存在し一定の秩序は守られていた。国民を弾圧した共産党政権でさえ、教会を破壊したりミサを妨害することはなかった。それは介入してはならない領域だという意識を持っていたからだ。だからこそポーランドの民主化に教会が大きく貢献できたのだ。また、政府からどんな酷い弾圧を受けても、市民が今回のデモのように口汚く政府を罵倒することはなく、一定の品格は守られていた。だが、今回のデモは超えてはならない一線を超えてしまい、完全に秩序と理性を失い暴徒化してきているように見える。理性という境界線を超えた時点でもう話し合いで物事を解決する可能性は絶たれる。感情のみに動かされ、距離感を持って問題の本質と向き合うことができなくなってしまうからだ。
 このように社会的秩序を失っていくと、重度の障害児の出産を余儀なくされる母親の支援目的でデモに参加していた人たちの心は離れていくに違いない。また、単にコロナの自粛生活の気晴らしで参加していた人たちもじきに興醒めしていくのではないだろうか。そして政府の思惑通り、自然消滅または自然縮小していくのかもしれない。


政府はどう対処すべきか

 だが、デモが縮小化あるいは消滅したら人工妊娠中絶の問題も消滅するわけではない。また、本質的な問題が解決したわけでもない。長期にわたり議論の的となってきたこの問題を、無理やり政府の意向で法律化したなら、今後、政府にとってもポーランド社会にとってもマイナスになるだろう。そもそもこの問題はすぐに憲法裁判に持ち込むのではなく、国会で他政党の意向も踏まえて議論されるべきだった。そして、先天性異常についても多様な症例について精査されるべきだったのではないか。さらに、重度の障害児を産む決断をした母親と家族を精神的にも経済的にも支える制度をまず確立するのが先決ではないか。障害児と24時間向き合う家族の負担を軽減するためには、重度の障害児を一時的に預けられる施設と専門スタッフの養成も必要だろう。これらの政策がしっかりとしたうえであれば、人工妊娠中絶に関する政府の決断も受け入れられやすかったのではないだろうか。


野党と教会の要求から外れる民意

 この件に関して、アンジェイ・ドゥダ大統領は政府とは違う草案を下院議長に提出している。そこには「ポーランド共和国憲法に則り新たな条件として、出生前の検査で胎児はいわゆる致命的な欠陥がある場合、あるいは他の医学的見地から胎児は死産または不治の病や欠陥を抱えているためいかなる治療を施しても死が免れない場合に限り人工中絶を可能にする」とある。これは母親にとっても子どもにとっても真っ当な提案だと思う。だが、野党のPO(市民プラットフォーム)はこれを否定し、左派は人工中絶の完全自由化を主張している。一方、カトリック教会のゴンデツキ大司教はいかなる人工中絶も受け入れない考えを示した。
 人工中絶の完全自由化という左派や「女性のストライキ」の要求は、憲法改正をしない限り達成できない。そのためには国会で2/3の賛成を得なくてはならず、それだけの議席を獲得できる政権を取らなくては実現できないため、現時点では非現実的だ。たとえ国民投票を行ったとしても、アンケート調査では中絶自由化に賛同しているのは国民の24%しかいないため「女性のストライキ」や左派の要求は民意とは言えない。一方で75%の国民はドゥダ大統領の提案を支持している。
 つまり人工中絶については、今回、憲法裁判で第2番が無条件で削除されたことへの批判が大半で、人工妊娠中絶の完全自由化または完全否定ではなく、むしろ状況を配慮した対応を望んでいる国民が最も多いことになる。となると、このまま今回の決定を法律文書化するのは、民意に沿っていないだけでなく、今後は政府の支持率も下がり、それが政権運営にも影響しかねない。


解決に向けて

 今回のデモは反教会的要素が非常に大きい。それはカトリック教会が人工妊娠中絶を禁止しているためだけでなく、まだ記憶に新しい神父の幼児性的虐待問題などの不祥事も影響しているのだろう。ポーランドで教会の信頼を取り戻すに必要なのは、教会にとって不利な情報を隠すのではなく、よりオープンにして信者が納得のいくまで突き詰め、公表することではないか。理解を得るための開かれた対話を根気よく続けていくしかないだろう。
 今回「女性のストライキ」のメンバーからミサの妨害や教会の破壊をされても、教会側は特に抵抗をしてこなかったが、もう少し毅然とした態度をとり、教会としての要求や声明を発表しても良かったのではないだろうか。それとともに、抗議する側の意見にも耳を傾け何を求めているのかを知ろうとする。だが、それをするにはやはり教会にとって後ろめたい問題にも目を逸らさず、人々と向き合う姿勢が求められる。それをしなければ、今後も信者は減少していくだろう。それどころか、ポーランドはキリスト教の精神に基づいた社会から西欧諸国と同様に世俗化することになる。もうすでにそれが若者を中心に急速に進んでいると言える。
 中絶問題については、多くの人にとって納得のいく結論を導くには話し合いが必要で、それ以外の方法はない。現在「女性のストライキ」が行なっているような暴言で相手を罵倒するような運動は、ストレス発散には役立つかもしれないが、良識のある妥協点を見出すことにはつながらない。一方、中絶はエゴであるという視点からしか考えることができず、家族が抱える多様な問題に対して客観的な判断ができないなら、やはり妥協点を見出すのは難しいだろう。子どもは男女関係の結果で生まれてくるもので、女性の「モノ」ではない。「女性のストライキ」が掲げている要求はそもそも趣旨が今回の問題の論点から外れている。そこを履き違えると、子どもの生命と人権をいかに守りつつ、子どもの親の健康と生活も保障するか、という重要な問題がないがしろにされるだけでなく、この重要な問題がうまく利用されるだけになりかねない。


写真はGazeta Wyborczaより


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