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ウィズコロナ時代における認知症のある人との対話  大石智

 連載第1回 大学病院の精神科の片隅で想うこと


精神医療とヒエラルキー

大学病院には様々な役割が求められています。求められている役割の1つが医師の育成です。大学病院の精神科には、今日の精神医療における課題を超えて、精神疾患のある人の暮らしに貢献することのできる医師を育成することが求められます。日本の精神医療には数々の課題があります。その課題の1つが精神医療の中に残るヒエラルキーです。
精神疾患のある人と精神医療に携わる人の関係は、対等であることが理想的です。そして精神医療に携わる人同士の関係も、資格や所属にかかわらず、相手を尊敬し対等であることが理想的です。
しかし現実はそうとは言えません。


指導する人、怠る人
精神医療に携わる人の中に、精神疾患のある人に対する、どこかさげすむような態度を感じることがあります。それは用いる言葉から感じることもあります。内服薬をご自身の判断で飲まなくなることを「怠薬」という言葉で診療録に記載する人がいます。さげすむつもりは毛頭ない、細かなことを気にしすぎだと言われてしまうかもしれません。しかし、そんなつもりはなくても、怠けるという表現を用いていては、「指導する人」「指導を怠る人」という関係性を知らぬ間に生み出してしまいそうです。


医師はそんなに偉いの?
精神医療に携わる人同士の中にも、ヒエラルキーが存在し続けています。病院の中には、相変わらず医師を頂点とし、医師に意見を述べることに遠慮しがちな雰囲気があります。病院を出てもヒエラルキーは存在しています。地域の訪問看護師さん、薬剤師さん、ケアマネージャーさん、訪問介護士さんたちは、大学病院の医師や看護師さんに遠慮しがちです。しかし、精神医療のなかで医師はそんなに偉いのでしょうか。


暮らしの専門家に教えてもらおう
精神疾患のある人の回復を支援するためには、その人の暮らしを知ることが大切です。症状が改善しても、暮らしの中に安心や張り合い、喜びが生まれなければ、回復を目指すことはできません。しかし、医師は暮らしを見て考えることが得意ではありません。得意なのは精神疾患のある人のすぐ近くにいる人であり、精神疾患のある人自身です。特に認知症のある人への支援では、認知症のある人自身、家族、訪問する介護士さん、ケアマネージャーさん、薬剤師さん、看護師さんが暮らしの専門家です。医師は彼らから認知症のある人の暮らしを教えてもらう立場と言えます。しかし大学病院や地域の中にあるヒエラルキーは、医師を偉ぶる人にしてしまい、精神疾患のある人、精神医療に携わる人から教えてもらおうとする謙虚さを失わせ、対等に話し合える関係性を損なってしまいそうです。


既存のヒエラルキーに毒されるな
精神科医には精神疾患のある人の診療に責任を持ち、高いプロフェッショナリズムと自律性を保つことが求められます。そしてそれだけではなく、既存のヒエラルキーに毒されず、精神疾患のある人、精神医療に携わる人との対等な関係性を意識することができる、そんな精神科医が育成される必要性を、自身の診療姿勢を省みながら、大学病院の精神科の片隅で想っています。

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