箕島高校と、薬師丸ひろ子

 石井毅-嶋田宗彦のバッテリーに天才上野、豪打の北野、上野山など投打にタレントを揃えた和歌山の県立高校か優勝。準優勝も徳島の県立高校池田高校、後に4番エースで優勝することとなる畠山はまだ入学前なので、蔦監督の優秀さがわかる。駅伝で言うなら、渡辺の入学前に市立船橋を強豪校にした小出監督と同じ匂いを感じる。
 最近は己の欲のために監督をする事が主流だが、この尾藤監督、蔦監督のひたむきに選手に向き合いながら、野球に取り組む姿勢に感銘を受けた。しかし、当時とはいえ田舎の県立高校で強いチームを作るのは並大抵の事ではなかったと思う、少年野球の指導者など地域の大人の情熱を今更ながらに感じる。
 この年は"能代の星飛雄馬"高松投手と宇治山田商の中村投手のストーレートに野球少年だった僕達は速い速いと騒ぎならテレビを観ていた。
 中学生となっていた自分は異性に興味を持ち始め、前の年のドラマ"敵か味方か3対3"での薬師丸ひろ子さんの、キュートさにやられ、愛読書が『ベースボール』から角川の『バラエティ』に変わっていった、当時の黄色い水着の薬師丸さんを今でも思い出す。自分がワンオブゼムになってしまった瞬間だったのかもしれない。

お詫びと訂正
なんとなく違う気がしたので調べてみたら、能代高松投手と宇治山田商中村投手は前年の夏と言う事が判明しましたので、お詫びして訂正させていただきます。

 この夏の記憶がない、センバツは東洋大姫路と池田の泥んこ試合、塾へ行く時間が来てしまい池田の猛追を観れなかったのが残念だった。 今思うと通ってたいた塾は公文だったかもしれない、真面目にやればよかったと40年前を反省。

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