東洋大姫路とピンクレディー

 オーメンというホラー映画がヒット、東洋大姫路のエースはオーメン松本。左からの荒れ球が特徴だった。ひと夏で国民のアイドルとなった坂本佳一率いる東邦に、キャッチャー安井のバックスクリーンに飛び込むサヨナラホームランで劇的な優勝をしたと記憶している。 この大会は3年生になった原辰徳が同じ関東の宇都宮学園に1回戦で完敗を喫するなど、話題豊富な甲子園大会となった。
 そんななか準優勝は愛知の東邦、この年の選抜は左の東がエースの箕島が優勝、1回戦で名電に1対0で勝利すると、そのまま優勝まで突き進んだ。この1回戦の対戦相手の名電(現愛工大名電)ジャンボ鈴木を筆頭に大型チームで裏優勝候補だった。大型チームが左の好投手を全く打てず、敗退するという今にも続くパターン。今だと、広島新庄、二松学舎大付あたり。愛知大会決勝でその名電を破ったのが1年生坂本の伸びるストレート(フォーシーム)。ちなみに坂本は右投手。
 当時はメディアが少ないこともあり、人気が集中する傾向にあった、バンビ坂本佳一、ピンクレディーは今では考えられないくらい老若男女、皆が興味を持っていた。ピンクレディー出現までは「アイドルであっても歌がうまくないといけない」みたいな風潮があった、しかしピンクレディー出現により、ダンスや衣装といった歌以外の要素があることを知ることになる。プロダクトアウトからマーケットインへ時代の潮流は自由を求め流れを早めることとなる。

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