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「大越史記」より ベトナムの皇帝が性的不能を姉で克服?


 現在のベトナム北部を1225年から1400年まで支配した陳朝大越(Trần triều)の第7代皇帝・陳裕宗(Trần Dụ Tông)はインポテンツだったそうです。

 彼は第5代皇帝・明宗の十男で、開祐13年(1341年)に長兄の憲宗が早世すると、わずか6歳で皇帝に擁立されましたが、いざ子供を作る年齢になると、インポテンツであることが発覚してしまいます。

 皇帝である以上、世継ぎを作らなければならないので、宮廷に出入りしていた医師・鄒庚(Trâu Canh ※中国の元朝にも遣えた中国人医師)が呼ばれました。鄒庚は彼に「(肝臓で作られる)胆汁を採取し、(鉱物の)陽起石と一緒に摂取し、近親相姦をすることでインポテンツは治る」と進言し、効果があったといいます。

 15世紀に呉士連(Ngô Sĩ Liên)によって編纂され、漢文で書かれた歴史書「大越史記全書 本紀巻之七」(大越の完全な歴史記録 第 7 巻)にこの一連のやりとりに関する記述が残っています。

原文
『時庚以帝陽痿,進藥方曰:「殺童男取膽,和陽起石服之,及與同胞女通滛驗。」帝然之,烝於嫡姊天寧公主,果效。庚由是寵益隆,得日夜於後宫,奉侍藥物,庚遂通宫人。』

訳:
『鄒庚は皇帝は(性的に)無力であると主張し、少年を殺して(肝臓で作られる)胆汁を採取し、(鉱物の)陽起石と一緒に摂取し、同胞(母を同じくする親族)の女性と性行為をすると効果があると進言した。皇帝はそれを実行し、姉の天寧と性行為をした。そしてその効果が出た。このため、鄒庚は皇帝に気に入られ、昼も夜も皇帝のハーレムに同行して薬を給仕することを許された。』

 姉の天寧(Thiên Ninh Công chúa)と姦淫をした当時、皇帝・陳裕宗は15歳だったそうです。インポテンツを克服したものの、その後結局子供は生まれず、34歳で亡くなってしまいました。ちなみに陳裕宗の皇帝としての評価ですが、2つの統治期間があったとされ、最初の期間は多くの有益な行いをしたが、その後、彼は政治に怠惰になり、快楽や娯楽に耽溺して、国を混乱させたとされています。

 ちなみにハーレムに帯同するようになった医師の鄒庚はその後、宮中の女性と姦通し、死罪を命じられます。ですが、皇帝・陳裕宗のインポテンツを治した功績から死罪を免れたという記述も残っています。

(了)

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