見出し画像

官能小説「不自然な母親」第1話


 JR長岡京駅を降りて、阪急バスに乗り、15分ほど揺られると、奥海印寺のバス停に着く。

 ポンポン山(旧加茂勢山)のちょうど麓にあるこの地域は、少しごみごみとして騒がしい駅前と違い、小泉川の清流があり、その川の下流に沿って、長閑な田園風景が広がっている。

 先にバスを降りると、僕は民家の庭に咲いていた馬酔木(アセビ)の花をぼんやりと見つめていた。料金を払い終え、バスから降りてきた母が、背中を向けた僕のリュックを手のひらでパンっと弾いて、前を歩き始める。

「ええとこやろ。おばあちゃんの友達が昔、ここに住んでててな、母さん、小さい頃、この辺よう来ててん」

 バス停から続く細長い坂道を上がると、母は立ち止まって僕を振り返り、山手に伸びる舗装のされていない砂利道を指差した。

「この道下ったら小泉川や。また連れて行ってあげるな。夏は泳げるし、近くの木探したら、カブトムシもおるで」

 穏やかな母の表情を見るとなんだかホッとした。僕に話しかける姿からは以前のようなとげとげしさがすっかりと消えていた。

「学校はどこにあるん?」
「家から10分くらいや。この辺な、登校班があって、近所の子が集まって、みんなで学校行くねんて。心配せんでも連れて行ってもらえるわ」
「帰りは?」
「一人で帰らなあかん。それとな、ここの小学校、土、日、少年野球のチームがグラウンド借りてるらしいで。あんた野球したいんやろ。入れてもうたらどうや」

 まだ4月の頭だというのに、日差しが強く、外は暑かった。目を細め、眩しそうに太陽を見上げると、母は差した日傘をそっと僕の頭の上に移動させた。
 
「あんたが来てくれて母さん嬉しいわ」

 小柄な体からほのかに甘い香りが漂っていた。肩出しのポロシャツを持ち上げた大きなおっぱいが目の前まで近付いて来ると、僕は急に恥ずかしくなって、母のそばを離れた。

「家どのへん?」
「もうそこ」

 バス停から5分も歩かない場所に古びた2階建ての木造アパートが見えた。

「今度、暮らす家、ちょっと狭いけど辛抱してな。母さん、今、保険の仕事してんねん。頑張って仕事して、そのうち、広いところ引っ越すからな」
 
 アパートのコンクリート塀に「コーポラス海印寺」と書かれていた。建物は縦長のマッチ箱を横に寝かせたような形をしていて、両脇に鉄骨の階段がついてる。階段を上ると、外廊下を歩き、3つ目のドアの前に連れて行かれた。
 母が鍵を開けながら、さりげなく僕を振り返った。

「そんな不安そうな顔しんとき」

 部屋のドアが開くと、目の前に格子のガラス戸が見えた。足を踏み入れると、古い木材や、畳の匂いがぷんと鼻をつく。

「ほら、入り」

 靴を脱いで家に上がると、ドアの脇にある2畳ほどの広さのキッチンに立った。先に入った母が、ガラス戸を開け、奥へ入って行く。

 引き戸の向こうに4畳半と6畳の和室があるのが見えた。部屋の間に青いビーズの暖簾が吊るされていた。大きな庭のあった河内松原の家と違い、中は薄暗く、閉塞的だ。

 母は奥の6畳間に入って、窓のカーテンを開けた。
 途端に畳に陽が差し、部屋の中が明るくなった。向かいに建物はなく、カーテンさえ開ければ日当たりが良い部屋だとわかった。窓の向こうに小さな物干し用のベランダも見える。

「送ってもうたあんたの荷物、真ん中の部屋に置いてあるからな。小さいけど、勉強用の机も買うてある。あと自転車やな。お母さんのしかないから、明日、一緒に買いに行こな」

 キッチンに隣接したトイレや浴室を覗くと、浴室は大人一人がやっと入れるくらいの広さで、足を延ばすスペースも取れなさそうな、正方形の小さな湯船がついていた。トイレは床も壁もタイル張りで、古いつくりのせいか、排水溝のなんともいえない匂いが漂っていた。

「こんな狭いお風呂、初めて見たわ」

 今でこそ、この地域の木造アパートは減ってしまったが、僕がここで暮らした時代は、まだ、コーポラスと銘打った木造アパートが近所にいくつもあった。

 奥の和室に行き、窓から外を覗くと、母は後ろからそっと腕を回し、僕の背中を抱いた。おっぱいが肩に押し付けられ、またあの甘い香りに包まれる。

「この部屋で寝るんか」
「そうや。隣の部屋があんたの勉強部屋や」

 4畳半間の壁際に小さな学習机が置かれていた。その脇に母の服がかかったカバー付きのハンガーラックが置かれていた。
 押入れの前には僕が事前に送った引越し荷物の段ボールが積み上がっていた。一番上の段ボールを開けると、中からグローブを取り出し、僕は机の上に置いた。

「バットも送ったやろ」
「傘立てにさしてあるわ」

 母はキッチンへ行き、お茶を用意し始めた。
 ベージュのスカートに包まれたお尻がシンクの前で揺れ始める。

「漫画置くとこもないやん。なんでこんな部屋にしたん」
「安いねん。それだけや」

 母はお茶を運んで来ると、僕の机の上の物を退け、お茶とお菓子を置いた。

「トイレもお風呂も別で、二つ、三つ部屋がある物件探したら、ここ見つけてな。見にきたら自然の多いええ場所やろ。母さん、しばらくここでええわって思ってん」

 数ヶ月前、母は父と離婚をして河内松原の家を出た。
 僕はしばらく父の家に残って暮らしていたが、5年の三学期が終わったタイミングで、母に引き取られることになり、この町に来ることになったのだ。

「狭いし、この部屋ちょっと暑ないか?母さん、汗掻いとるやん」

 母の胸元や脇に汗が滲んでいた。

「外歩いたからや。あんた暑いか?」
「暑いよ……。春でこんな暑いんやったら夏どうなるん」
「日当たり良すぎるんかもな。奥の部屋にクーラーついてるわ。古くてちょっと効きが悪いけどな」

 母は急に汗を気にし始め、ポロシャツの襟を引っ張って、服の匂いを嗅いだ。
 
「ほんまや。母さん、ちょっと汗臭いな」
 
 押し入れを開けると、母は衣装ラックからハンドタオルと真っ白なTシャツを取り出した。僕の目の前で、着ていたポロシャツをおもむろに脱ぎ始める。

 脱いだものを僕に渡すと、あっさりとブラも外して上半身裸になった。大きな乳房を右腕で隠すと、母はタオルを僕に渡し、「ちょっと背中拭いて」と声をかけた。

「う、うん……」

 母の背中に触れるとドキドキした。滲んだ汗を拭うと、母がちらりとこちらを振り返った。

「母さんの背中、なんかついてるか?」
「えらい日に焼けてる」
「仕事で外出ること多いからな」
「首と背中の色が全然違うで」
 
 腰のあたりまでタオルで拭き取ると、母は僕の手からタオルを取り、背中を向けたまま、胸元や脇の汗を自分で拭いた。
 
 部屋の押入れは上の段に布団が詰め込まれていて、下の段に衣装ラックが置かれていた。
 母は白いTシャツを頭からかぶると、首を出し、胸にかかった裾を引っ張った。生地が乳房を覆う瞬間、腕を解いたので、グミのように膨らんだ乳輪がちらりと顔を出した。腕を動かすたびに、真っ白な脂肪の膨らみが揺れている。

「洗濯せなあかん」

 浴室の前に置いた洗濯カゴに洗濯物が積み上がっていた。脱いだ服をその上に置くと、カゴを抱え、母は靴を履いて外へ出て行った。
 このアパートはどの家も外廊下に洗濯機を置いている。
 
 洗濯機の音が響き始めると、母はキッチンに戻って来た。
 晩ご飯の準備をし始める。
 僕はダンボールの前に座り込むと、箱の中のものを一つずつ床に出し、学習机についた引き出しに仕舞った。
 
 ぶうんと響く換気扇の音、低く唸るような洗濯機の音、蛇口をひねるたびに響く甲高い金属音……。
 耳に入る一つ一つの音が新鮮だった。変わらないのは台所を行き交う母の足音だけだ。

 ふと机の脇に目をやると、小さなダンボールの中に読み終えた新聞が積み上げられているのが目に入った。
 見慣れない新聞なので、さりげなく手にとって一面に目をやると、新聞には「赤旗」と書かれていた。

「新聞変えたんか?」
「前と一緒や。朝日や。なんで?」
「ここになんか違うの置いてあるから……」
「ああ、それな。付き合いでとってるやつや。共産党の新聞や」
「共産党?」
「職場でお世話になってる人がおってな。その人が共産党の活動してはんねん。新聞取ってくれへんかって言われたから、取ってあげてんねん」

 母は台所仕事を中断させると、僕のところにやって来て、開いた新聞を取り上げた。
 
「学校とか、よその家の人にはあんまり言わんときや」
「なんで……?」
「ちょっと政治の色が強い新聞やねん。人によってはすごく嫌う人おってな、あんまり人に知られん方がええ。友達連れて来る時も、この箱、押入れに隠しとくんやで」

 赤旗が何の新聞で、共産党が何なのか、この時の僕はまだよくわかっていなかった。急に表情を変えた母の圧に押されるように小さく頷いた。

 片付けを終えると、キッチンに立つ母の隣に行った。
 こんなに古ぼけた家に追いやられていたが、母はなぜか生き生きとしていた。
 父とここで暮らせと言われれば強い拒否反応が出たかもしれないが、母とここで暮らすとなると、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
 
 準備が終わる頃には外が薄暗くなっている。折りたたみの机を4畳半間に広げると、僕はそこで母と向かい合って、この家に来て最初の夕食を食べた。 

(2)

 翌週から京都の小学校に通い始める。

 河内松原の小学校とはまるで雰囲気が違っていたが、僕は新しい学校にすぐ溶け込むことができた。
 土、日は学校の校庭で少年野球の練習に参加するようになったが、同じクラスの子が3人も入っていて、学校でもその3人がいつも仲良くしてくれるようになったのだ。

 順調な学校生活とは裏腹に、母との新しい生活は思った以上に苦労が多かった。
 生命保険会社でセールスレディの仕事をしていた母は、朝、家を出ると、夜は8時、遅い時は10時ごろまで家に帰ってこなかった。
 学校から帰ると、僕は母の用意した軽食を口にし、一人で母の帰りを待たなくてはならなかった。

「そんな遅くまで働いとったら体壊すで」
「大丈夫や。平気や」

 独身の頃、母は子供用学習教材の訪問販売の営業をしていた。営業職が今も性に合うといい、朝早く起きると、時間をかけてキメキメの化粧を施し、嬉しそうに仕事に出かけていく。

「お母さんな、外回りの仕事の方が得意やねん。人と話すの好きやしな。勤めだしてから、今月まで、ずっとノルマもクリアしてんねん。夜遅いのも仕方ない。みんな仕事してはるやろ。仕事が終わった時間に来てくれ言わはるお客さんもおんねん」
「お客さん、男の人が多いんか?」
「いろいろや。でも、お母さんな、知り合いの人にちょっとお客さん紹介してもろたりしてるねん。だから、どっちかいうたら男の人の方が多いな」

 仕事の話をすると、いつも景気のいい話を並べ、気丈に振る舞う母だが、実は心労が多い仕事であることも透けて見えた。
 
「おかん、いつまで風呂入ってんねん」

 夜、お風呂に入ると、それっきり、一時間ほど出てこなくなることもあった。そっと浴室を覗くと、狭い正方形の湯船で膝を抱え、眠っているわけでも考え込んでいるわけでもなく、ぼんやりと宙を見つめている。

「どうしたん?」
「どうしたんって……調子悪いんか?」
「悪ない。なんでや?」
「もう一時間以上ここにおるやんか。いつもすぐ出てくんのにおかしい思うやろ」
「ごめんな」

 湯船から立ち上がると、母は用意していたバスタオルを手渡し、「母さんの体拭いて」と僕に声をかけた。
 親子であっても母の素っ裸の体を見ると、急に恥ずかしくなる。そういう年頃に僕も差し掛かっていた。慌てて目を背けると、母が僕を見て、不思議そうに笑った。
 僕の手からバスタオルを取り上げて、自分で体を拭き始める。

「あんたももう6年生やもんな。母さんの裸見て恥ずかしい思うようになってんな」

 タオルの下で押しつぶされるように形を変えるおっぱいを見ると、妙に興奮して、ズボンの下がムズムズとした。
 背中を向けて浴室を出ようとすると、母がそっと僕の背中を抱き、拭いていたおっぱいを僕の背中に密着させた。

「いろいろ心配してくれてありがとう。母さん嬉しいわ……」

 夜は奥の六畳間に布団を並べ、母と二人で眠る。
 母は少し気持ちが塞ぎ込んだりすると、時々、僕を自分の布団に誘う。

「起きてんのか……」
「え?」
「今日、こっちおいで。母さんの横おり……」

 布団に入ると、強い力で体を抱き寄せられる。

「なんか嫌なことあったんか?」
「なんで?」
「そんな顔しとるやん」
「別に何もない……」
「最近、疲れてんのちゃうか?」
「疲れてへん。でもな、小さいことがいろいろ積み重なってな。母さんもしんどなったり、考え込んだりすることあるねん」

 布団の中で向かい合うと、昼間の明るく、きりっとした母の表情が一変し、急に寂しい女の顔になっている。

「学校楽しいか?」
「うん……」
「仕事ばっかりでごめんな。あんたに寂しい思いばかりさせて、母さん、悪いなって思ってるからな」

 抱きしめられ、母の体を抱き返すと、突然頰や首に自分の髪を押し付け、母は深いため息をつく。

「会社で嫌なことないんか?」
「ないわ……。会社の人な、みんな自分のことで精一杯やし、あんまり母さんに構ってこうへん。保険売るのって結構たいへんな仕事やからな。お母さんの上司もな、契約取れてるうちは何も言うてこうへん。まだ、自由にさせてもうてる方や。でも契約取れんようになったら何言われるやろうって、時々不安になるわ」

 体を押さえつけられていると、だんだんと体が痺れて来る。母が眠ったのを確かめると、僕はそっと母のそばから逃げ出し、自分の布団に戻った。

 別々に寝ていると、母の方から布団に入ってくることもあった。
 夜中に急にトイレに行き、布団に戻ると、母はしばらく僕の顔を覗き込み、何度か髪を撫でた後、横を向いた僕の背中の後ろに自分の体を寝かせてくるのだ。
 しばらくすると、僕のお腹に腕を回し、後ろ髪に頰を押し付けて、息を吐く。ぶつぶつと独り言を言っている時もある。

「抱き枕買い。そんなぎゅっとされたら体痛いわ……」
「母さんにこうされるんの嫌か?」
「嫌ちゃうけど……」
「母さん、もうあんたしかおらへんねん。あんたが背中向けて寝てんの見たら、時々不安になるねん」

 朝、起きると母の手が僕のズボンに入っている時もあった。
 夜中にいつのまにか横に来て、手を入れているのだ。
 何をされるわけでもなかったが、母は僕のパンツの上に手を当て、僕のおちんちんを手のひらで包んでいた。毎日ではなかったが、朝方、自分の意に関係なく、おちんちんが膨らんだりする年齢になっていたので、そんな日に母の手がズボンの中にあると、僕は慌てて腰を引き、母の手をズボンの中から引っこ抜いた。
  
 朝が来ると、母はいつもの母の顔、働く女の顔に戻る。
 化粧台の前に座り、鏡越しに僕を見つめながら、急に説教がましい話を僕にふっかけて来たりする。

「もう学校やろ。ダラダラしてんちゃうわ。朝からテレビに張り付いとったらアホな子になるで」
 

 三ヶ月が過ぎた。
 梅雨を終えると、暑い夏が来る。
 
 母はその三ヶ月の間に古い軽自動車を買い、それで職場まで通うようになっていた。
 営業の際、生保レディには自転車の貸し出しが行われていたというが、訪問先が遠方まで広がるようになると、車が必要になったといい、母はなけなしの貯金を崩して車を買ったのだ。

「営業車もあるねんけどな。母さんには使わしてくれへんねん」
 
 京都の夏は思った以上に蒸し暑く、僕は学校や、土日の野球の練習から帰って来ると、部屋でクーラーと扇風機を回し、ぐったりとして寝てしまうことが多くなった。

 「ボク、おかえり。学校の帰りか?」

 ある日、下校し、いつものようにアパートに戻って来ると、登り階段の前で不意に声をかけられた。
 振り返ると、時々一階で顔を見かける茶髪の中年女性が後ろに立っていた。

「上の階の子やな。今日はバット持ってへんやん。野球してんのやろ、知ってんで」

 彼女は僕のそばまで来ると、袋入りのビスケットを僕に渡した。

「おばちゃんの子供もな、昔野球しとってん。お菓子食べ」

 彼女は少し腰を屈めて僕の顔を覗き込んだ。歳は40代半ばから50代の間くらい、母より10ほど年上に見えた。

「あんた、帽子も被らんと元気やな。日射病になるで。お母さんは?」
「……仕事に行ってます」
「これから家で留守番か?」
「はい」
「家おっても暇やろ。おばちゃんとこ遊びに来おへんか」

 切れ長の目がじっとこちらを見つめていた。彼女は後ろで結んだ長い髪を、右肩から垂らしていたが、時折、耳元で跳ねた浮き毛を指で触っていた。派手なマネキュアを見ると、何となく怪しい人のように思え、僕は背中を向けた。

「知らない人の家についていくなと言われてるんです。すいません……」
「知らない人ちゃうやんか。おばちゃんのこと、何回か見てるやろ。ほら、おばちゃんの部屋、あんたの部屋の真下やで。心配せんでもええわ。何するわけでもないねんから。ジュースくらい出してあげるわ」

 丸め込むように言葉を重ね、彼女は僕を押し切って、自分の部屋の前まで連れて行った。

「ほら、入り。靴脱ぎ」

 ポストに貼られた表札には「峯村久美子」と書かれていた。
 彼女は部屋のドアを開け、僕の背中を押して、家の中に招き入れた。

「お母さん、いつも何時に帰ってくんの?」
「8時とか9時とか……」
「仕事何してはんの」
「保険の仕事です」
「ああ。大変やな。営業してはんねんな。おばちゃんも夜出かけんねん。しばらくうちでテレビでも見とき。一人で暗いとこおるよりそっちの方がええやろ」

 彼女の部屋は間取りこそ僕の部屋と同じだったが、部屋の戸や襖がすべて取り払われ、同じアパートの部屋とは思えないほど、広々としていた。

 部屋の奥に見えるベランダも2階のベランダとは全く構造が違っていて、バルコニーというよりは小さな庭のような作りになっている。床はバルコニー床材でなく、地面がむき出しになっていた。芝や雑草が伸び放題に生えている。

 畳の上に座布団を置かれたので、恐る恐るそこに座った。
 彼女は冷蔵庫からコーラの瓶を取り出し、栓を開けて僕に渡した。

「あんた、可愛い顔してんな。学校でモテるやろ」

 髪を撫でると、彼女はベランダの方に歩いていく。

「ちょっと待っといてな。洗濯物片付けるわ」

 奥の部屋の壁際に大人用の二段ベッドが置かれていた。
 その二段ベッドの上の段の壁に女性の水着写真が何枚か貼られていた。

 部屋に入って気付いたが、家の中はまるで子供部屋のようだった。小さな本棚は漫画だらけで、その上に読み終えたジャンプが何号か積まれている。畳の上には直置きされたテレビがあり、その前にカセットが刺さったままのファミコン本体が置かれている。
 
 冷蔵庫を見ると、上のドアに南野陽子のブロマイドが貼られていた。キッチンの窓枠には綺麗に塗装されたズゴックのプラモデル、キャビネットには『北斗の拳』のマグカップもあった。 

 彼女は庭の物干し竿から洗濯物を取り込むと、網戸を閉め、部屋に戻ってきた。

「あんた、おとなしいな。いつもそんな感じなんか?」
「いや……」
「おばちゃんに緊張してんのか?」 

 畳に置いたテレビをつけると、彼女は腕に抱えた大量の洗濯物を僕のそばに置いた。
 山となった洗濯物を見ると、ワンピースやシャツに混じって、女性のものの下着も混じっていて、僕は慌てて目をそらした。母が絶対に着けないような派手な下着ばかりだった。

 彼女は洗濯物の山のそばで足を崩すと、一つずつ摘んで洗濯物を畳み始めた。 

「あんた、今何年や?」
「6年です」
「下の名前なんていうの?」
「陽平です……」
「中学入っても野球すんのか?」
「わかりません」
「うちのお兄ちゃんも高校まで野球やっとってん。あんたも続けるんやったら髪切らんとあかんな」

 後ろを振り返ると、うちと同じようなハンガーラックが二台並んでいた。片側のカバーはチャックが下りていて、中のものが丸見えだった。どぎつい色の派手なワンピースやブラウスが吊るされている。彼女が普段、何をしている人なのか、自然と好奇心をそそられた。

「おばちゃんは何してる人なんですか」
「水商売や」
「水商売?」
「スナックってわかるか。駅前に店があってな。今日も夜から仕事や。いつも7時にここ出るねん」
「ファミコンは誰のですか」 
「お兄ちゃんのや」
「お兄ちゃん……」
「大阪で美容師してんねん。今、22や。あんたよりだいぶ年上やけどな、昔はあんたみたいに野球少年やったんや」

 彼女は化粧台の方に手を伸ばし、小さな写真立てを僕に手渡した。

「コーラ、零さんときや。これがうちのお兄ちゃんや」

 写真に彼女と肩を組む若い男性が写っていた。
 まるで恋人同士のように体を寄せ合っている。

「かっこええやろ」
「はい……」
「今、高槻で一人暮らししてるけどな、時々うち帰ってくるねん。帰ってきやすいように、おばちゃん、この部屋、ずっとあの子がここにおった時のままにしてんねん」

 彼女は足が疲れたのか、片膝を立てて、手にしたブラウスを広げた。さりげなく襟の匂いを嗅ぎ、胸元で小さく折りたたむ。
 ふと足元に目をやると、捲れたワンピースの奥が丸見えになっていた。股間を気持ち程度に覆っただけの、見たこともないような破廉恥な黒いパンティが目に入ると、僕は慌てて目をそらした。

 むっちりとした母と違い、華奢で細長い脚をしていた。足の爪にもマニキュアが塗られていて、年の割に肌が綺麗だった。

「おばちゃん、怖ないってわかったやろ。これからも時々、遊びにおいで。おばちゃん子供好きやねん。特にあんたみたいな、野球してる子見たらな、なんかうちのお兄ちゃんの小さな頃思い出してな……」

(第2話に続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?