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ロビンソン

 折れた桜の木がたくましくも一輪の花を咲かせている。気づかぬうちに晴はすぐそこまで来ていたらしく、ふと肌をなぞる風の温かさに季節を感じた。かつては家の窓を開けた途端に、春を感じたものだった。桜の花、風、花の匂いに芽吹く緑。今の荒廃した土地からはとても考えられない自然。新しい季節の訪れは、僕の心に切ない日々をもたらした。
 君がいなくなって、初めての春だ。

 夏のあの日、世界はたくさんの人を飲み込んだ。人と人とはなぜ争うのだろうか? そんな疑問を呈する人もいるが、僕にとってはどうでもよかった。君を連れ去ったそんな世界にどんな感情も抱くことはできず、なぜだか僕の心には、君に置いて行かれたという感情が消えずにいた。君は連れ去られたも同然なのに。この思いは何なのだろうか?
 干上がった河原、がれきの落ちたそこをひとりで歩く。頭の中の骨董品のフィルターを通すと、自転車で走る君と、それを追いかける僕。君と聞いた音楽は心の中でレコードとなって、今も回り続けているし、たわいもないエピソードは、大げさに変換されて記憶に残っている。そのエピソードのページがパラパラと開かれて、同じセリフが再生される。
 無意識にもう一度君の思い出をたどった。景色は全く違うけれど、思い出を再生すると、あの頃に戻ったみたいだ。そうやっていろんな場所を巡って君と会う。そんなありふれた魔法が今の僕を作り上げていた。
 だけど、魔法も使い続けると疲れてしまう。
 まぶしい思い出を見続けた僕は、前に進めない。

 世界中に人間が何人残っているのか、通信機器が壊れてしまった今ではもうわからない。ただ、あっさりと減ってしまった周りの人たちを見て、人間はやってはいけないことをしたのだなと漠然と考えるだけだった。周りの人たちは今を生きることに精いっぱいだけど、僕にとっては魔法を使うことが精いっぱいだった。

 ある日、瓦礫の道を歩いていた僕は、ひっそりと寝ている猫をみつけた。もともとは真っ白で、人に飼われていたであろう猫は、灰色に汚れ痩せ細り、真っ青な首輪が不釣り合いだった。この子の飼い主も不条理に殺されたのか、もしくはこんなになってしまった世界でこの子を手放すことを選んだのか。僕にはわからないけど、不思議と親近感がわいた。大切な人に置いて行かれたことは君も僕も変わらないんだ。そんな自分とどこか似ているこの猫にそっ近づき、そして抱き上げた。とても軽い猫。僕と君は分かり合えるかもしれない。そうして頬を寄せてみるが、猫は嫌がるかのように僕の手から離れていった。

 何度も何度も君との思い出を辿る。機能していない、けどもう見慣れてしまった交差点。傍らに建つビルの窓はまるで自分の心を見透かしているかのように汚れていた。窓をみるのが嫌になった僕はさらに上へと目線を映す。そこには消えそうなほど細くなった満月が僕を見ていた。今日会った、僕に似たあの猫みたいだと思った。

 違う。あの猫は僕とは違う。

 その時まるで啓示があったかのように僕ははっとした。
 猫と僕。どうして分かり合えなかったのかを。




「○○」
「びっくりした! どうしてこんなところに……」
「うーん、どうしてだろう」
「私に聞かないでよ」

 ふわりと彼女はスカートをたなびかせた。それとともにふんわりと柔軟剤のいい香りが広がった。
ドアを開けて、いつものように彼女は椅子に座る。僕は彼女にお茶を淹れるためにキッチンに向かった。ありきたりなアールグレイの茶葉をティーポットに入れて、お湯を沸かした。彼女はストレートティーを好まないので、丁寧に砂糖を溶かしてミルクを入れた。

「ありがとう」

 お茶うけに貰い物のクッキーを出して、僕も彼女の向かい側に座った。ティーカップの水玉が今日の彼女のワンピースと合っている。半分ほど飲むと、僕は少し開いた窓から外を眺めた。

「今日は何しようか?」

 僕が君に尋ねると、彼女は少し困ったような、憂いを帯びたような、そんな目をしながらうなずいた。
 

 僕はティーカップのそばにあった彼女の小さな手を、理由もわからず衝動的にそっと握った。

 窓の隙間からふわりと冷たい風が僕らを撫でた。
                    
                       Fin.

オトノトショカンシリーズ。

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