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感謝することでより多くの感謝に気付く
昨日、感謝が足りなかったことに気付いて、悔い改めました。
感謝できない心を掘り下げていって分かったことは、「あることが自分の思い通りになることを願っていたから」でした。期待が外れて、それで不満だったのです。
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
ペテロの第二の手紙 3:9
わたしたちの期待は、各自が願った時に成されるのではありません。
必ず神様の時があります。
自分が考えていたより早い場合も遅い場合もあるかもしれません。
また、もしかすると、あることへの期待は永遠に成されない、ということもあるかもしれません。
神様の御心とはちがうことを願い、死と苦痛への道とも知らず、無知によって突き進んでしまっているならば、止めてくださり、成されないようにされるのが、神様と主の愛でしょう。
感謝し、不平不満から離れると、もっと感謝することが思い浮かびました。守られ、助けてもらい、死を避けさせ、また、実際に得ていることがたくさんあることに気付きました。そして、苦しい心が解かれるようになりました。
<愚かな人>は、自分を救った方と神様をそのように貴重に思わずに生きていきます。その方が自分の「命」です。
生を計算しないで生きていけば、神様が主と共にくれても分かりません。価値のない生を生きていきます。過ぎた日に天がしてくれたことを計算してみなさいということです。考えてみなさいということです。計算してはじめて答えが出てくるように、みなさんの人生を過ぎた日から現在まで一つ一つ考えてみてはじめて、神様が各自にくださったものを分かって喜び、感謝し、それによって力を受け、熱心に生きるようになります。
鄭明析牧師の御言葉
主にもどかしい思いをさせてしまったことを悔い改めます。
たくさんの感謝に目が開かれますように、わたし自身と、そして皆さまのためにも、心を込めてお祈りいたします。