【意訳】On Christmas Morning - Benny Sings & Clara Hill

2013年にベニー・シングスによってカバーされ、新たに生まれ変わった楽曲。クララ・ヒルという女性シンガーとのデュエットになっています。

オリジナルは、ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)。1989年という発表年もあいまってか、どちらかというと編曲も歌い方も中西保志さんみたいな雰囲気です(多分に主観)。男性ソロボーカルによる都会的ともいえるバラード。
対してカバー版は、粉雪が舞い落ちるのをあたたかな窓辺から眺めている時のような、おだやかな幸福を感じさせてくれるアレンジで、お二人の歌声には親しい人と暖炉のはぜる部屋で肩を寄せ語り合っているような打ち解けた親密さを感じます。
それゆえに、歌詞を紐解いていくことで現れる痛いほどの郷愁がいっそう胸に迫ってくるのです。

原曲もどちらかというとラブソングといって差し支えなさそうですが、ベニーのアレンジによって、たとえば同じ男性目線であっても愛娘に注がれるそれのような、「I believe」と曲中にある通りに、なにか透き通った信念に裏付けられ、激しさとは対極のある種張りつめた穏やかさをもった愛情と郷愁に溢れた曲に仕上がっています。

今回はそんな珠玉のクリスマスソングを意訳してみます。

On Christmas Morning - Benny Sings & Clara Hill

Ol' December's here at last
Time for celebration
Christmas present
Christmas past
Tumble down together like the snow
What a show

今年もいよいよ12月
昔ながらの祝福のシーズン
これまでのあらゆるクリスマスが
舞い落ち 降り積もって雪のよう
なんてみごとな光景

Now the snowman Karen* made
Is melting by the roadside
On the wind a serenade
Of children's voices singing I believe
I believe in us**
I believe

カレン*のつくった雪だるまも
道端で溶けている
風に乗るセレナーデ
あれはきっと子供たちの歌声
僕は信じる**
信じてるんだ

*ケニーが歌っている動画の、歌番組による字幕ではKarenではなく「サラ(カタカナ)」。他のカバーの歌詞では「someone」も散見される。結局誰が作った雪だるまなのかは、永遠の謎。路肩の雪だるまとは往々にしてそういうものである。
**多くは「love」となっている。どう聴いてもベニーは「アァ」と言っているので、loveと書いて愛と読むとかいう逆ヤンキーみたいなことかと思っていた。聞こえる音は「us」に近いので、今回はこちらを採用。

On Christmas morning
You awaken with a smile
You hold me in your arms
We watch the snowflakes fly

クリスマスの朝
君は微笑んで目を覚まし
その腕で僕を抱き締める
僕らは粉雪が舞うのを見つめて

And then you love me and I realize how sweet a life can be
All the memories
Coming back again this year

君に愛されてそして僕は思い知るんだ
人生がこれほどまでに愛おしく思えることを
今年はいろんなことを思い出すよ

Sentimental melodies
Surround me like an old friend
Spent a winter here with me
Silently we watched the seasons change
And they change so fast
Fade away

懐かしいメロディたちが
僕を取り囲む
あの冬をここで過ごした
懐かしい友のように
僕らは黙って季節がうつろうのを見ていた
時の流れは本当に速い
彼方へとやがて消えていく

(以下繰返し、後略)

*

遅き日のつもりて遠きむかしかな

与謝蕪村の句です。「遅き日」は春の季語。
暮れゆく空を眺めてふと、いつかの春にもこうして夕陽を眺めていたことを思い出す。甦り、重なる、あの頃の自分。その時の想い。幾重にも幾重にも、春の夕暮れは時を越えて、過去から今この瞬間の自分を貫いている。繋がっているという感覚。

クリスマスというイベントもまた、一年の最後に毎年必ず迎えるという点において特に、そうした性質が色濃い。セーブポイントとしてこの上ないほどで、うってつけとすら言える。
休暇を取り家族と過ごす文化圏の人びとにとって、かつて誰かにとっての孫だった自分、子供だった自分、友人や恋人だった自分、誰かの伴侶である自分、親である自分、今や誰かを失って在る自分、あの頃の自分のような孫を持つ自分──クリスマスとは、そのようにこれまでのすべてが「つもりて」、「Tumble down together like the snow(一緒くたになって、雪のように降りしきる)」魔法の時間なのだ。
それはまさに「show(走馬灯)」のようで、だからこそ「All the memories coming back again this year」に「遠きむかしかな」を重ねてしまうのは、私だけではないはずだ。