公立小学校の先生のことばから学んだ「幸せ」についてのこと

私自体、フリースクールの高校生に英語を非常勤で教えていて、7人くらいのクラスで最高の環境だなと思いながらも、そのフリースクールの初等部や中等部の子どもたちも見ているが、必ずしもそのフリースクールのほうが公立の小学校よりもよいとは言い切れないなと思う。現に、うちの子は徒歩1分以内の公立の小学校に行かせていて、子どもはとっても楽しく通っていて、いまのところ問題がない。おとなになってからも帰ってきたい「ふるさと」を沖縄のこの場所に作ってほしいな、と思い、ふるさとのない遊牧民の私がふるさとにこだわったのもある。でもこの地域は小さくて最高だ。小学校3学年2クラスで1クラス19人。

最近近くにコストコができるのもあり、たくさん家やらアパートやらができたり、本土からの移住の人々が増えて来て上の学年は1学年、20人足らずだったのに、うちの子の学年は36人もいて、最初1クラスだったが、2クラスに。それで1クラスが20人以下になってラッキー。1年生のときに1クラスだったので、同じ学年の生徒は全員なんとなく知ってるし、近所の仲いい子は違うクラスだけども、今もよく遊びに来てくれる。

うちの近くは多分今後も価値の上がる場所でアパートは古くても家賃はだんだん高くなってきていて、まだまだ田舎なんだけども、価値が分かる人には価値がそうとうある場所で、1億円くらいの、海の見える絶景の豪邸も建っちゃったりすれば、金銭的価値でははかりきれないご先祖の土地やら聖地やら森やらが広大なエリアを占めていたりもして。ほんと不思議な場所なんですわ。夜に開いているレストランは皆無!昼はロケーションカフェがたくさん開いているが、夜はやる気なし。ほんと静かな田舎で最高。

私は若い頃大海原に向かって水平線を辿るように何日も航海をするような生活をしていたんだけども、そのときに感じた、地球を翔ける海の風と同じ風をここで感じることができて 私は懐かしかった。この風に世界を感じることもできたし、同時に懐かしさと「ふるさと」を感じたんだわ。

ところで今日、小学校の保護者面談とやらがあって、行ってきた。おりしも今日、朝早い出勤のために家に一人置いてきた息子が二度寝をしてほぼ遅刻し、先生が心配して電話をかけてきたという日で(かけ直したときには息子が涙ながらに教室に到着したらしく、一件落着)。
先生が面談のときに「今日はどうしたんですか?」
と聞くので
「朝起きてたんで、置いていったんですがそのあと、二度寝しちゃったみたいで」
と言うと、
「あーそうですか、二度寝じゃあ!起きられないですよね!」
みたいなわかる!的同情的な返しで
「よく来れたね!」と遅刻した息子をたいへんあたたかく迎えてくれたらしい。なんて優しい先生なんだ。
遅刻した生徒をバケツを持って立たせた時代って暗黒時代ですか??
くらいの新しい時代!

さらには、うちの子に対してのコメントも、何言われるか何聞かれるか、最初はびくびくしていていたが。なんて言おうかなあとも思っていて。
ゲームばかりしてだらしないし忘れ物は多いし、字は雑だし、逆上がりはほぼ一人できないし。。。。って。先生が言ったことは唯一つ。
「〇〇くんはいつもニコニコしていて、いつもニコニコしているんです。もうそれで大丈夫!なんにも問題ないです。それが一番いい!」みたいなことだけ。え、それだけですか、くらいの。こっちが拍子抜けするくらいのコメント。それで用意していた問題コメントはまったく出番なく。
そうですよね!にこにこが一番ですよね、ありがとうございます。先生が優しいから感謝です!で丸く収まってしまった。

子どもに対して厳しい見方をして、せっかくの「ニコニコ」という優れた美徳を忘れてしまっていた親としてのわたし。先生、素晴らしいことを思い出させてくれて、また息子のよさに気づいてくれて本当にありがとうございます。
大感謝ですわ。

まだ授業始まってから2週間位しか経っていないのに、そのポジティブコメント!最高だわこの学校、去年の先生もよかった、今回の先生もよい、うちの子、選び取ってるわ、最高の環境。

ちなみに、私が教えているフリースクールでも、私はそういうふうに生徒を見ているから、【生きてるだけで良い!】と。

それが返ってきたのかな。

いろんな問題があって公立の学校に行けない生徒たち。「問題」はネガティブとして捉えるのは一方的であって、本来は子どもはとても素直で、なにか心地よくない環境に反応して問題意識を持っただけにすぎない。そのフリースクールの子たちはそういう意味で、意識を持った賢い子達が多くて、うちの子はおっとり型であまりジャッジメント(あーだこーだ)に関心がなく、自己完結しているので問題意識がないんだと思う。

自分が出したものが帰ってくる法則だから。

私も子どもたちを応援できる先生でありたい。
親としてはどうしても厳しくなっちゃうんだけども!

逆上がりができなくたっていいじゃん!

って思うようにしよ。

私も小学校低学年のとき、いつもニコニコしていて褒められたなって思い出した。

だって幸せだったもん。

いつから「幸せ」が離れてしまって、頑張って【勝ち得るもの】と思うようになってしまったんだ!私の中の何が変わったんだ?ずっとずっと魂は成長しているはずなのに。
やっぱり、ニコニコして幸せを感じている純粋な状態、それが一番いいんだわ。幸せって頑張って得るものではないんだわ。

子どもは今のまま幸せを感じられる純粋な心をずっと大事にしてほしい。
それを失わないように、私は全力で応援しなければいけないな、
そのためには私も社会に生きる大人として、なりたい自分、ニコニコして幸せである自分でいないと、いけないんだな!

人を幸せにしようとして結果不幸になっていた私。。。
なんだかやり方が間違っていたよー 見つめてみよう。


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