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なぜドストエフスキーは世界的名著なのに読むと眠くなってしまうのか

ドストエフスキーを読んだ。
気がつくとうたた寝して、本には寝ながら垂らしたよだれの跡がついていた。

なぜ、世界的名著にも関わらず眠くなってしまうのか。私の知性の低さ、という至極真っ当で、最も妥当性の高そうな仮説を一度棚に上げて考えてみたい。

 物語を読む意味について、博報堂出身の作家、北野唯我は次のように述べている。


 「なぜ、人は物語を必要とするのか。それは、人は他人の物語を借りて、ある程度の予測を行うために学習ができるからです。

私たちが、偉人伝や、他人の冒険ストーリーを楽しく聴けるのは、自分が選べなかった選択肢を、他人が経験しており、そして、それを(他人の経験から)学ぶことができるからです。

つまり、物語の価値とは、生き方のパターンを認識し、そこから自分の人生への学びに転化させることができることだと私は思っています。」


 つまり物語の意義とは、単なるエンターテイメントではなく、他者の物語を借りて未来予測を立てることである。


 さらに、ここで定義する物語とは製本された小説だけに限定されない。物語の起源は焚き火を囲んだ際の自然発生的な口伝だった、とは村上春樹も述べているが、噂話や体験談も、ある種の物語だろう。

 では、どんな物語からでも、我々は同じような密度で学ぶことができるのか。

答えは否だ。共感しやすい小説の主人公とは、普遍的な唯一無二の類型が存在する訳ではない。

なぜなら、読者の共感は、読み手との共通点の多さに依存するからだ。読み手の年齢や性別、悩みと似通っているほど、共感は強くなる。


 だからこそ、世界的名著のスタンダール『赤と黒』やドストエフスキー『悪霊』などに20代前後の学生の我々が感涙するほど共感することは難しい。

ページを捲ってみた人がいるとすれば、「有名らしいけれど、なんか眠くなってしまった」と率直な感想を抱く人が大半であろうことは、そういった理由だ。

キリスト教的思想や、結婚後の因習に日々どっぷりと浸かっている読者を対象としている上記の著書を血肉化するためには、それらの事項を日頃から考えていることが求められる。

(逆に言えば、これらの著書が発売されたキリスト教圏にて、主人公たちと同じような中年は強く惹きつけられて、これらの本が世界的名著となった。)

すなわち、私がドストエフスキーを睡眠導入剤してしか、活用出来なかったことには、登場人物との共通点の少なさが挙げられよう。

 


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