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もし心が先に死んでしまいそうなら、カメラを持ち歩け。

「もし心が先に死んでしまいそうなら、カメラを持ち歩け。外の世界への内面の感度を強制的に上げろ」と教えてくれたのは職場の先輩でした。(F『20代で得た知見』)

アウトプットをすると解像度が上がる、と思う。できれば、見せる相手がいると良い。『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う』というタイトルの小説を読んだことがあるが、そのタイトルに倣うならば、「この人に見せたい」と思い出す人に向けて、アウトプットできると、なお良い。

写真にしても、文章にしても。

例えば、接客業をした事がある人は最も礼儀正しいお客さんになる、という都市伝説も少し構造が似ている。

接客業をするようになると、お客さんのクレームがいかにつらいか、冬にする皿洗いみたいにじくじくと、身にしみて分かっている。だから、自身が客になった時には礼儀正しく来店するようになると。例え料理を間違えられても、お水をこぼされても、戦友を見守る目で「何かと大変だよな。分かるよ」と温かく見つめられるのだろう。水こぼされたら流石に堪忍袋の緒が切れるしれないけれど。

アウトプットをするのも、それと構造的に同値とは、こういう事だ。アウトプットしようとする。書けない自分、できない自分に愕然とする。簡単そうにひょいっと目の前でこなされていた一挙手一投足にも血の滲むような努力があったのだと知る。鑑賞者になったときも、どうやってそのハードルを乗り越えているのだろうと、見極めようと、自ずと真剣に身を乗り出すようになる。と。

ところで、接客業経験者はお客さんとしては神様だ、と言われるが、あるデリヘル店の経営者はデリヘルを利用するときはとことんわがままを尽くすのだという。いわく、日ごろ溜まっているストレスを解消するために、遠慮していたら自分が壊れると思っているそうだ。接客業によっても異なるのかもしれない。

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