見出し画像

「不機嫌でいることは罪である」

「不機嫌でいることは罪である」と、齋藤孝が著書で書いていた。

現代では、TOEICや簿記と同様に、「ご機嫌でいること」も出世に必要なスキルの一つになっている。

その事に初めて気がついたのは、先輩から人気者の同期と一緒にゼミのプロジェクトを行った時だ。

人気者の彼女はメールの返信に、ありがとうという言葉を息をするように入れる習慣があった。
「ご確認ありがとうございます!」みたいに。

別の、仏頂面の同僚とも並行して連絡を取っていたから、彼女の感じの良さが際立った。

一方、仏頂面の同期はメールに「了解。」と一文のみを書いて返してくるタイプだった。
必要最低限のシンプルな返信だ。
しかし、ときどき寂しさを感じる事があった。

両者を比較すると、人気者の彼女の方が圧倒的に印象が良かった。

しかも彼女は、メールを書くのがめちゃくちゃ早かった。その理由は、一緒に作業していて、彼女が隣でメールを書くのを見る機会があったために、判明した。
iPhoneの辞書機能で文字をあらかじめ登録していたのだ。
「ご確認…」と打つと、予測変換で「ご確認ありがとうございます!」と出るように設定していた。

さらにスプレッドシートで、よく使うメールの返信の定型文を作成していて、ぽんぽんと貼り付ける事で一瞬で9割ほど書き終わった状態にしていた。

「メールを書く事自体は生産性のある作業ではないもの。」というのが彼女の座右の銘だった。

生産性のあるアイディアを考えたり、それを形にする作業に時間を惜しみなく投下するために、削減できる時間はガンガン削減する工夫をしていた。

その機能をフル活用して、彼女は30秒ほどで感じのいいメールを書いていたのだ。

しかも、その空いた時間でメールの冒頭か末尾に「この前はご馳走様でした!」や「先日のセーター似合ってた!」みたいに一言、にこっとするようなエピソードを挿入していた。

就活の時は彼女はその愛嬌を活かし、OB・OG訪問や、早期選考をガンガン活用し、あっという間に有名企業の総合職に内定を獲得した。

彼女の後ろ姿のポニーテールを拝みながら、私は「愛嬌とは、簿記やTOEICと並ぶような重要なスキルの一つなのだ」と学んだのだ。

***

「愛嬌」と聞くと、それは大学でも資格試験でも重要とは言われて言われていないのに、勝手に評価されてずるいという声が上がる。

実際に、サークルでも彼女に対して「媚を売っているだけ」などのやっかみの声が上がった。

ある時ふと、慶應義塾大学で学長を務めた人物が「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」と述べたエピソードを思い出した。

資格試験などは「こういうことを勉強すれば、社会で評価されますよ」と努力の方向性が定型化されている。

だから、大学に入学して何をすればいいのか分からない時も、脳死で資格試験予備校に通い始めれば、「何か頑張っている」つもりにはなれる。

資格試験に邁進する努力家を批判しているわけではない。
何もしないで大学の授業と自宅の行き帰りのみの生活を無為に4年間送るよりは、ずいぶん有意義にスキルを高められる。(私自身、簿記2級やTOEICを始めとして幾つかの資格を所有している)

しかし、間違いがちなのは「頑張っているから、他の人より認められるはずだ」というガンバリズムに傾倒してしまうことだ。

だが、
頑張っていない人はいない
派遣社員のアルバイトも、年収200万円台で仕事をしているブラック企業の社畜も、それぞれで友達がいるが死ぬほど働いているという点で「努力している」し、私は彼らのことを尊敬している。

しかし人生の悲哀は、頑張ったところで報われるとは限らない、と義務教育では教えてもらえる機会がないということだ。

だから「こんなに頑張っているのに、報われない」と怨嗟の声をあげることになる。だが、そこではないのだ。

ある作家が、
資格試験あったときに
①その資格試験を勉強する人
②その資格試験の人を雇う人
③新たな資格試験を作る人
下から順番に儲かる。

と述べていた。

例えば、資格は無秩序にとってもあまり面接で効力を発揮しない。
自分のキャリアが一本の線になるように構築した人が勝てる。

愛嬌のいい彼女しかり、資格試験のように言語化されていない範囲も、必要に応じて努力できる人が可愛がられるのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?