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突然な犬の疾走を思うギターソロ

突然な犬の疾走を思うよあなたのカッティングギターソロ(岡野大嗣『音楽』)

好きな音楽や小説の話題になると、「辻村深月さんの作品だと、凍りのくじらが好き」「あのミュージシャンのプレイリストだと、〇〇が嫌い」という話題が、スカートを巻き上げる冬の突風のように、突然に現れる事がある。

僕は、そんな、「あの作品は好き」「あれはダメ」と評価する行いが苦手だ。誰かを批評できるほど詳しくないとできないと思っているからだろう。

何かを批評するときに、その批評は、批評者の知識の射程と世界を見る解像度の高さを超えることは出来ない。どうしても、いま、自分が世界を見ている狭く、歪んだ箱の枠組みに押し込めて評価する事になる。

しかし、音楽を聴き、詩を読む楽しみの一つは、そんな自分の狭量な枠組みをぐいぐいと引き伸ばしてくれる事だと感じる。少なくとも僕はそうだ。

なんか毎日つまらない、と嘯きながら、実は自分がつまらないだけの、世界を、ほんの少しだけ別の部分まで目が届くようにしてくれるものだ。まるで夕暮れに日が落ちるにつれて、部屋の隅の日陰にも光が届くように、普段は光が当たらないところをすっと照らしてくれる。

それは、全知全能の神になったように、あれがダメこれがダメと上から目線で批評する行為とは離れた次元にある感性だと思うのだ。

とはいいつつも、ゼロ年代の日本の批評の地平を切り拓いた、東浩紀さんの著者はとても好きです。それは、ダメ出しするのではなく、作品の可能性を押し広げるような批評を行うからだろう。

2021.12.18 コーンポタージュはやっぱり缶に入っていると美味しいと思いながら


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