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YOASOBI「ミスター」のこと。

こんにちは。桜小路いをりです。

今回は、YOASOBIさんの「ミスター」について、歌詞考察や私の考えたこと、感じたことを綴っていきます。

ちなみに、「ミスター」は原作小説のネタバレなくして深くは語れない楽曲No.1(桜小路いをり調べ)です。まだ原作を読んでいない、という方はご注意ください。

歌詞のこと

まず、歌詞について少しだけ。

歌い出しの「らららららーら」のコーラス、ライブでやったら絶対に楽しい。

そして、何と言ってもお伝えしたいのが、臨場感溢れる歌詞の「目線」です。

シングルサイズの部屋で
一人きり
思い出すのは あなたとの暮らし

ここで、ワンルームのシンプルで無機質な部屋が思い浮かびます。主人公の物憂げな表情まで、想像できるのではないでしょうか。

物語の舞台は
ビルが群れる大都会を
遠くに見る海辺の街

そして、「ビルが群れる大都会」というフレーズで、マッチ箱のように立ち並ぶ高層ビルの景色が鮮明に浮かぶのですが……。

直後、それを「遠くに見る」という言葉が。
その瞬間、ぐいっとカメラ(目線)がビルから離れ、やや霞がかかったようなビル群の姿が浮かんできます。

極めつけは、「海辺の街」というフレーズです。その瞬間、キラキラと輝く海の水面が見えるような気がします。(MVでは、本当にこのように目線が移動する映像になっていて、ひとりで嬉しくなっていました)

序盤から、この臨場感。
さすがはAyaseさん。

また、この曲の原作である、島本理生さんの「私だけの所有者」の舞台は、アンドロイドが人間と共に暮らす近未来です。

そんな近未来にも、海は雄大に広がっている。
この近未来の世界は、今と地続きである。
そんな当たり前すぎることを、再確認させてくれる気がします。

原作小説×楽曲のふくらみ

私が「ミスター」を聴いて最初に感じたのは「ん? なんか、違和感」でした。

この「違和感」の正体は、ずばり「一人称」です。

まず、この曲のいちばん最後のフレーズを引用します。

私のこと 叱ってよ
ミスター

「ミスター」と叫ぶ部分が非常に印象に残るこの部分。ポイントは、この曲の中で唯一、この箇所にしか出てこない一人称「私」になります。

では次に、最初に公開された、teaser映像でikuraさんが読み上げていた文の前半を引用します。

 はじめまして。
 そんな言葉を会ったこともない先生に使うのは、なんだか変な感じがしますね。
 そもそも僕は誰かに手紙を書いたことなんて、この国に保護(それとも保管というべきでしょうか)されるまで、一度もありませんでした。

ここ! ここです!

「違和感」の正体は、曲では「私」という一人称なのに対して、原作の冒頭では「僕」になっているところです。

ここから勢いよくネタバレして参りますので、ご注意ください。


この主人公のアンドロイド、本来の性別は「女の子」です。

「僕」という一人称を使っていたのは、主人公の持ち主である、Mr.ナルセ(ミスター)の指示でした。
少女のアンドロイドは危険に曝されることが多い、という理由から、Mr.ナルセは「『僕』という一人称を使え」と指示します。

原作では

「子供が、私、なんてませた言い方はしないでくれ」

という自分勝手とも捉えられる言葉で、彼は主人公の一人称を変えさせます。(私は、まんまと男の子だと思ってしまいました。まだまだですね……)

しかし、それには「少女であることが周りにバレるのは危険だから」という優しい理由が隠されていました。

また、主人公は、手違いでやって来たアンドロイドでした。Mr.ナルセは、本来なら少年のアンドロイドを希望していたのです。

しかし、彼は主人公を自分のアンドロイドにしました。

初めて会った、しかも機械であるアンドロイドの少女の行く末を案じる優しさが、ひしひしと伝わってきます。

言葉数は少なくて
いつも厳しくて
叱られてばかりで

また、この歌詞にもある通り、Mr.ナルセは言動に「優しさ」をそのまま表す人物ではありません。

しかし、彼が主人公を「叱る」ときには、きちんと理由があります。
全ては、「彼女」を守るため。

また、ひょっとしたら、この先「彼女」と暮らしていく中で、どうやっても人間である自分のほうが「彼女」よりも先に死んでしまうから。
せめて、その時がいつ来ても良いようにと、あえて「嫌われ役」を演じたのかもしれません。

あれは二人 最後の思い出
暗闇で
この手を握り返して
笑ってくれた
あなたはもう いない

歌詞ではかなりシンプルな表現になっている、原作小説のこのシーン。
これは、内戦の爆撃によって身動きがとれなくなった主人公と、瀕死の状態のMr.ナルセが会話をする場面です。

Mr.ナルセは、主人公に「自分が死んだら、一人称を『私』に戻していい」と告げ、さらに「出口を探しに行け」と命令をします。

アンドロイドは、持ち主の命令に「否」と答えられないようにプログラミングされています。主人公は、瀕死のMr.ナルセを独り置いていくことをとうとう拒めず、一人で歩き出します。

MVのこのシーンからラストにかけては、泣きそうになりました。

最後、風に煽られた主人公の帽子が飛んでいき、仕舞っていた長い髪がなびくシーンは、思わず息を止めてしまったほどです。

私は、帽子を飛ばしていった「風」は、Mr.ナルセの「魂」なのではないかと思います。

最後の最後、「もう男の子のフリはしなくていい」というのを暗に示すために、帽子を飛ばしていったのではないでしょうか。
(この考察をぱっと思いついた瞬間、私は「ミスター……!」と叫びそうになりました)

MVの構成も、歌詞に則したすごく素敵なものになっていて、「YOASOBIさん、流石!」の言葉しか出てきません。

ikuraさんの歌い方も、またいつもと少し違って「く~っ!」となりました。
特に、ラスサビはちょっと切なくも聞こえる歌い方で、「どんな名前なんですか」という部分は、アンドロイドながら絞り出すような感じで。

レトロな雰囲気の曲調も相まって、キーさえ合えばカラオケでも歌いやすいと思います。(あのMVを、カラオケの大きなテレビで見るのが楽しみです!)

「ミスター」の意味のこと

原作小説「私だけの所有者」は、「はじめて人を好きになったときに読む物語」というキャッチコピーでした。

優しくて不器用な
あなたの声を厳しい言葉を
なんて願うこの気持ちは
どんな名前なんですか

「人を好きになる」という気持ちは、どうしても「恋愛」のイメージが強いように思います。

しかし、主人公の彼女がMr.ナルセに抱いたのは、「家族愛」ではないでしょうか。

「叱る」という行為は、絶対的な愛情がなければできないもの。
「親と子供」という関係は、そんな揺るがない信頼があるものだと思います。

だからこそ、「私のこと 叱ってよ」という我儘が言える。
最後の「ミスター」という叫びは、「親」や「家族」としての呼び名(お父さん、など)がないMr.ナルセに対しての、精一杯の呼びかけなのだと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

みなさんは、「ミスター」にどんな考察を立てますか?

次の楽曲は、森絵都さんの小説を原作にした「好きだ」。また名曲の予感がするので、今からとても楽しみです!


今回お借りした見出し画像は、基盤とプログラミングの文字(?)の画像です。近未来的な雰囲気に惹かれて選ばせていただきました。つらつらとした考察記事になってしまったのですが、この記事で、楽曲新たな楽しみ方や見方を見つけていただけたら嬉しいです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。