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MILGRAM 第一審/ハルカ「弱肉共食」考察

こんにちは。桜小路いをりです。

今回は、「MILGRAM」の第一審MV、ハルカの「弱肉共食」について考察していきたいと思います。

「MILGRAM」にハマったこと、「MILGRAM」がどんなプロジェクトかについては、こちらのnoteで詳しく書いていますので、「MILGRAMとは?」という方は、そちらを読んでから戻って来ていただけると嬉しいです。

本来なら第二審MVが出てから第一審MVも一緒に考察する予定だったのですが、「いや、やっぱり一本の記事にしたい!」と思い、こうしてキーを叩いています。

私の知識と想像力の限界があるかとは思いますが、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。

こちらが、ハルカの第一審MVです。
少々バイオレンスな表現があるため、苦手な方はご視聴の際にお気をつけください。
また、「MILGRAM」の考察は比較的ダークで暗い雰囲気になりそうなので、予めご了承のうえ、お読みいただけると幸いです。

ハルカについて

まずは、ハルカこと櫻井遥という囚人の人となりについて。

僕に関わらない方がいい。
生まれつき、他人を不幸にすることだけは得意なんです。

幼い頃から色んな場面で「自分のせいで周りの人が不幸になる」と、刷り込まれるような半生だったのかなと思います。

また、微妙に受け答えがズレていて噛み合わないことがある、とホームページの紹介にも記載されています。

ちなみに、ハルカの誕生日は6月22日。誕生花はガマズミで、花言葉は「私を無視しないで」です。このことから、周囲の人に無視されたり、存在をないものとして扱われることがあったのではないでしょうか。

歌詞について

まず、私がいちばん印象に残ったのは、歌詞の表記です。

どうして はなれてくの?
ねえどうして ぼくのせいなの?
言おうとした言葉が 
「ひきょうだね」ってぼくをわらう

これは、歌詞のいちばん最初の部分。明らかに漢字が少ないです。

私が調べた限りでは、この歌詞には中学生以上で習う漢字は使われていません。

これは、ハルカの精神年齢が小学生(おそらく高学年の11、12歳くらい)で止まっているからか。もしくは、ハルカの幼い頃の記憶であることを暗に示しているのか。
はたまた、それとは別に漢字が「書けない」「分からない」理由があるのか。

この後の歌詞やMVからも言えることですが、私は、ハルカは何かしらの精神障害を抱えているのだと思います。
ここでは、広い意味で捉えるためにも「精神障害」という表現を使わせてください。

だれでもできること
ぼくにもできたらな

いいよ ぼくのせいだ
もういいよ ハズレだから

スタート位置が
ちがうまま始まった

ハルカが抱えるハンデの存在が伺える歌詞を、いくつか抜粋してみました。

自分のことを「ハズレ」と称し、性格的にも大人しく自己肯定感の低いハルカ。

曲には、彼が「あっはっは」と笑う部分もありますが、その部分は棒読みで、場面によっては涙を流しています。

ままならない自分、強い劣等感、そんな負の感情が垣間見えます。また、そんなハンデを受け入れてもらえない、そんな環境も窺い知ることができます。

悲鳴をしていた 悲鳴をしていた
愛される弱者になりたかった
否定をしていた 否定をしていた
どうしても確かめてみたかった

ハルカは、ハンデを持っている時点で「弱者」と言うことができるでしょう。本来ならば、周囲のサポートを得て成長していく必要があります。

しかし、彼は「愛されなかった」のではないでしょうか。だからこそ、「愛される弱者になりたかった」と悲痛に叫ぶ。過去形であることには、「もう全て諦めたけれど」というニュアンスがあるように思います。

「否定をしていた」というのは、もしかしたら、わざと自分のことを「否定」していたのかもしれません。
その言葉を周囲の人にさらに「否定」してもらうことで、自分の存在意義を確認しようとしたのではないでしょうか。しかし、返って来る答えは、彼が望むものではなかったのだと思います。

ラスサビで、台詞と歌声が重なる部分があります。
私は、歌声は幼い頃のハルカで、台詞は現在のハルカではないかと推測しています。

MVについて

MVに出てくる幼い男の子。
私は、彼はハルカの幼い頃の姿ではないかと考えています。

幼いハルカは、表情が塗りつぶされている母親にとても懐いています。
そんな自分の姿を、未来のハルカは回想しているのではないでしょうか。
そして、本来は介入できないはずの過去の自分を、夢の中で母親から引き離している。
もしかしたら、母親はハルカのことを愛していなかったのかもしれません。これは、幼い頃の自分を守るための行動、という解釈もできるのではないでしょうか。

(今書いていて思ったのですが、ちょっと同情的すぎるかな……。恐らく中立な考察はできていないので、ご了承ください)

MVに3回出てくる犯行のシーンですが、最初の2回はその後にベッドで目を覚ます描写があります。恐らく、現実の出来事ではありません。

しかし、最後のそのシーン。
これは、現実に起こってしまった出来事だと思います。

問題なのは、被害者は誰か、ということ。
当初、私は「過去の自分を殺した」ということではないかと思っていました。

ただ、それだと「MILGRAM」っぽくはないのも事実……。

もしくは、ハルカの心のどこかにいた「自分はなんてダメな人間なのか」という負の感情の塊(大人のハルカ)が、自己肯定感が低いながらも生きてきたハルカ(子供のハルカ)を殺してしまう=自殺ではないかとも考えていました。

しかし、ちょっと想像を膨らませていたら、考えうる限りいちばん後味の悪い考察に想いが至ってしまったので、少し書いておきます。

それは、被害者が、ハルカがどこかで知り合った男の子であるという場合です。
それも、自分と似たハンデを背負っているのに愛されて育っている男の子に嫉妬した犯行、というもの。(穿ちすぎかな……)

互いに「弱者」でありながら、あまりの境遇の違いに感情が爆発してしまった。だから「弱肉『共食(=共に食い合う)』」なのではないか。

自分で言っておきながら、できればそうであって欲しくないですが……(「MILGRAM」というプロジェクトの深淵さを思い知らされます……)

また、MVの随所に出てくる黄色いお花ですが、これは黄色いバラだと思います。色んな花言葉がありますが、このMVにリンクしていそうなのは「薄らぐ愛」や「嫉妬」でしょうか。
また、黄色いバラは、父の日の贈る花としても知られています。MVに父親が出てきていないことにも関係があるのではないでしょうか。

まとめ

既に第一審の審判は下っているので後出しっぽさは否めませんが、私は、当初はハルカを「赦す」に一票でした。それは、過去の自分が被害者(犠牲者)であると考察した場合の判断です。

しかし、もし、私がひらめいてしまった「被害者は赤の他人の男の子」という説をとるのなら、「赦さない」に傾いてしまうと思います。

今さら、
「すべてを知った 僕(あなた)はちゃんと赦せるかな?」
という、エスの「アンダーカバー」の歌詞が重くのしかかってきています……。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

みなさんなら、どんな考察を立てますか?
そして、ハルカを赦すことができますか?

今回お借りした見出し画像は、アクリル画の写真です。絵の具の躍動感や唯一無二の混ざり合った色が印象的で、選ばせていただきました。「MILGRAM」の考察記事の見出しは、各キャラクターのイメージカラーにしていく予定です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。