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言葉への想いを、こはならむさん「涙の融点」にのせて。

こんにちは。桜小路いをりです。

YouTubeで「泣きながら歌ってみた」や、「感情を沢山こめて歌ってみた」などの動画を数多く公開している、歌い手のこはならむさん。顔出しはされていませんが、どの動画もどこかドラマチックな雰囲気となっており、耳に残る可愛らしい歌声が印象的です。

今回は、らむさんのオリジナル曲であり、ボカロPの40mPさんが楽曲提供をした、「涙の融点」について、綴っていきます。

最後まで読んでいただけると嬉しいです。

思考回路から切り離した言葉の欠片が
1秒後には誰かの手のひらへ
さっきまで私だったそれは
そうたしかに私だったそれは
新しい体温に触れて生まれ変わる

この歌詞は、主人公が自分の言葉をインターネット上にあげた瞬間の描写です。
自分の言葉が「1秒後には誰かの手のひらへ」渡っていく感じ、私は凄く分かります。

「投稿」のボタンを押す時に少し緊張するのは、それを押した瞬間、書いた言葉が「自分だけのもの」ではなくなるから。

言葉を発信した瞬間に、その解釈は読んだ人に委ねられます。
「新しい体温に触れて生まれ変わる」というのは、自分の言葉が誰かに受け取られることによって、新たな意味や形をもつ、という意味だと思います。

なんてことはない
悲しみを吐き出しただけ
16ビットの記号を並べただけ
でもさっきより私の胸は
そうたしかに私の胸は
痛みを忘れられたんだ
たとえ泡沫でも

「16ビットの記号」は、全角文字のことです。

こぼしたい愚痴、悲しかったこと、嫌だったこと、辛かったこと。
自分の胸の内に留めておくには重すぎるそれを、誰も見ることはない、と思っても、誰かが見てくれるかも、共感してくれるかも、と一縷の望みに賭けて発信する。
その瞬間、「痛みを忘れられた」ような気がする。

それは、泡のようにすぐに消え去ってしまう安心感かもしれません。でも、言葉を発信することで自分の心が救われることって、案外多いな、と私は思っています。
自分の中のモヤモヤが、言葉という「形」をもったものになる。それだけでも、「私が感じたものは、マイナスのものでもプラスのものでも、意味のあるものだったんだ」と感じるのではないでしょうか。

抱きしめる言葉でさえ
人を傷つけてしまうから
もういっそ静かな海に沈んで
眠ろうか
なんて思うけど

この部分は、言葉の難しさがよく表れている歌詞だと思います。
受け取り方によって、どんな善意も悪意に取られてしまう。ましてや、「16ビットの記号を並べただけ」のネット上ならば、なおさらです。

「静かな海に沈んで」というのは、ネットの中で、さざなみを立てないように当たり障りのないことを言ったり、何も言わずにいることだと思います。

一瞬だけ弱気になった主人公ですが、「なんて思うけど」という低く小さなつぶやきのような声から、感情を溢れさせます。

私の中にある小さな感情
誰かに伝わることで想いになる
響け 響け 
冷たい涙 融かせ

ついじっくり噛みしめてしまうような、深い歌詞。ここの部分では、あえて深い考察はせずに、私が「この歌詞を聴いて感じたこと」を書きます。

「感情」って、私の中では、瞬間的な、火花がぱちっと光って消え去るようなもの、というイメージでした。
でも、この歌詞を聴いてから、似たようなイメージだった「想い」は、「感情」とは違う、と感じるようになりました。
「想い」は、自分の中でも他者の中でも、ずっと心の中に残っているもの。

「感情」が「誰かに伝わること」によって「想いになる」ことは、きっと強い自信になり、心の支えになるはずだと思います。

そして、そうやって、誰かからの共感をもらったり、自分の言葉を吐き出すことで、「冷たい涙」が融けていく。
これは、自分が流していた悲しみや辛さの涙が、誰かの心の温もりや体温にあたためられたり、誰かの感動の涙に触れることで熱を帯び、「融ける」ということだと思います。

「融」という漢字は、固体から液体になる、というイメージです。「涙」って、液体であるはずなのに、瞳に溜まっている時は固体のように見えて、流れる瞬間に液体になる気がします。

涙が瞳から流れ出ないように必死にこらえる時、涙は固体。
瞳からこぼれ落ちたら、涙は液体。
すなわち、「涙の融点」というタイトルは、我慢し続けていた涙がこぼれ落ちるきっかけ、という意味だと思います。

承認欲とか何とか
そりゃ全然ないわけないけど
世界中に届かなくたって
暗い夜は何だか
ひとりじゃ怖いから
ただ同じ誰かを探してただけ

この歌詞は、初めて聴いた時に、私の気持ちにぴったり過ぎて鳥肌が立ちました。

私自身、言葉を、文章を、こうして発信することに対して「承認欲求はないの?」と訊かれたら、はっきりと「ない」とは言えません。

でも、眠れない夜や、先行きの見えない毎日や、漠然とした不安や、自分の過去は、一人で抱えるには重すぎて。
そして、それを必死に抱えて進んでいく人を見ているのは、胸が潰れそうなほどで。

「同じ誰かを探してただけ」というのは、決して、多数派からずれていないか、と怯えているわけではありません。
「私の想いに共感してくれる人が、もしいたらいいな」と。
「私と同じことで悩んで、立ち止まっている人を励ましてあげたいな」と。
そんな気持ちから、「私はここだよ」という合図の代わりに、言葉を発信しているのです。

背中を押したい、なんて、おこがましいことは言いません。
でも、一瞬でも、「私だけじゃない」と思ってもらえれば、あわよくば、迷っている背中を優しくさすって、寄り添えたら。
私は、そう思っています。

すべて分かり合うことなど到底
はじめから求めてないけど
午前1時
明日になれない
昨日のままの今日を分かち合う
名前も知らない君と
同じならいいな

この歌詞を、いつも私の記事を読んでくださる方々に、リボンをかけて届けたい、とつい思ってしまいました。

私の記事の全て、私の紡ぐ言葉全てに共感してもらえるなんて、ましてや、感動してもらえるなんて、思っていません。

でも、このネット上で、顔も名前も知らない方々でも、記事を通して、感情や想いを、一瞬でも分かち合えたなら。

私は、私の文章を読んでくださるあなたと、ほんの一瞬でいいから、「同じ想い」でいたいです。

もし、こんな文章でも、
「書いてくれてありがとう」
とおっしゃっていただけるのなら、それと同じくらい、いや、それ以上の
「読んでくださってありがとうございます」
を贈りたいです。

ネット上の言葉は、心が冷たくなるほどの悪意や中傷を含んでいることもあって、不意に、そんな言葉に触れてしまうこともあるから。

せめて、私の記事では、誰かの心をほんわか温められるような、そんな言葉を、綴っていきたいなと思っています。

幸せじゃなきゃ許されなくて
悲しみはまだ下書きのままで

40mPさんは、この言葉から歌詞を膨らませて、「涙の融点」を書いたそうです。

つい幸せな自分ばかりを発信してしまって、悲しみを書き出したはいいものの、それを発信する勇気はなくて。

私自身、まだ「私」としては言葉にできないことがあります。
だから、それを小説の中の登場人物に言わせてみたりして、少しずつ消費していこうと思ったりもしています。
過去の悲しみが、「消費」できるのか。
いつかは忘れ去り、失くなってしまうのか。
ずっと残り続けるのか、それは分かりません。
でも、できることなら、私の言葉で、それをいつか綴りたいと、そう考えています。

こはならむさんの「涙の融点」について書いていたはずなのに、気づいたら自分のことばかり書いていました。

ネットで文章を書いている方みなさんに聴いていただきたい歌詞が詰まっていますので、ぜひ聴いてみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

これからも、みなさんの心に触れるような言葉を綴っていきたいです。


今回お借りした見出し画像は、水中の泡の写真です。水の中ならば、流した涙は誰にも気づかれないのに。私自身、そんなふうに思ったこともありました。でも、きっと水中では、高い水圧に押しつぶされないようにするための、また別な苦労があって。結局、みんな自分がいる場所で息をするのに必死で。せめて、ネット上では、存分に息をして、涙を見せてもいいんじゃないか、と思います。


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桜小路いをり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。