見出し画像

私がSixTONESにハマったワケ

こんにちは。桜小路いをりです。

「six tones(=6つの音色)」と「stones(=原石たち)」を掛け合わせて、ジャニーさんからその名をもらった6人、「SixTONES」。

今回は、なぜ、私が彼らにハマったのかを、まったり綴っていきたいと思います。

少しでもお楽しみいただけたら嬉しいです。


私がSixTONESに出会ったきっかけは、毎週金曜日の夜の「ザ少年倶楽部」でした。
もともと、デビューしたてのキンプリを見たくてつけていたその番組に、当時まだジャニーズJr.だったSixTONESが出ていたのが最初です。

ご多分に漏れず、初めてグループ名を見た時には「シックストーンズ」と読みました(誰もが通る道ではないでしょうか……)

初めて聴いた曲は何だったか、もう思い出せませんが。
「Be Crazy」のメロディーが妙に中毒性があって、すごく耳に残ったことを覚えています。

そのすぐ後ぐらいに「JAPONICA STYLE」が解禁されました。


「このパフォーマンスで、まだJr.!?」と、とてもびっくりして、見つけてからは定期的にYouTubeで見ていました。

地上波の歌番組に出ていたり、バラエティー番組に出始めたりと露出が増えたのも、ちょうどこの頃だったと記憶しています。

すごく「気になる存在」だったSixTONES。
ですが、まだ「推し」までにはいかなくて、毎週少クラのパフォーマンスを見ていたものの、ファンと言えるほどではありませんでした。

それでも、デビューが決まった時は、長いJr.時代を経て夢を掴んだ6人が、ものすごく輝いて見えたし、同時に、これが夢の始まり、という彼らの強い想いも感じました。

ちょっと前置きが長くなりましたが、最終的にSixTONESを「推そう」と決めたのは、少クラで「光る、兆し」が披露された時のこと。

その頃をご存じの方は、知っている方もいるかもしれませんが、京ジェ(京本大我&ジェシー)が、思いっきり歌詞を間違えたんです。

その時のメンバーの、どこか微笑ましそうな表情と和やかな雰囲気に、「あ、やっぱりSixTONESっていいな」と思ったのが、ハマったきっかけです。

また、「光る、兆し」の歌詞にも、すごく元気をもらいました。

諦め悪い歴戦の勇者 
傷を誇り果敢に挑め

当時の私の状況が、人生最大に大変だったこともあり、力強く背中を押してくれて、本当に辛い時にはもたれかかれるような懐の深さを感じたのも、理由のひとつです。

デビューが決まってからは、さらにテレビなどメディアでの露出も増え、SixTONESは、辛い時に、すごく心の拠り所になりました。

その後、母も無事に沼落ちして、親子ともにスト担になりました。
その大きなきっかけは、デビュー曲をX JAPANのYOSHIKIさんがプロデュースしたことでした。
母がYOSHIKIさんが好きで、紅白歌合戦でもよく見ていた方だったので、衝撃と同時に、 「デビューが目標じゃない」というSixTONESの言葉が裏付けられたようにも思いました。

音楽に真っ直ぐ向き合う姿勢。
自分たちの魅せ方をよく分かっている、洗練されたカッコいいパフォーマンス。
トークの時の学生のようなわちゃわちゃ感。

魅力を挙げたらキリがありませんが、これが私がSixTONESにハマったワケでした。

一度SixTONESに関われば誰もが「team SixTONES」ですので、この記事を見てくださった方々も、漏れなく「team SixTONES」です!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。