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ラジオと読書日記#2|8/25~8/28

8/25
コテンラジオのレヴィ=ストロースの回を聞いていて、構造主義がおもろいと思えた。で、ポスト構造主義について興味がわいたので、千葉さんの「現代思想入門」に戻ってきた。半年前くらいに読んだ時よりも、スッと入ってくる。アホなので、ゆーて3割くらいしか多分理解できてないけれど、十分収穫ありだった。現代思想の粋なところは「二項対立や他者を排除することで安定したいという思いに”介入”する。」っていう態度。「抵抗のファイティングポーズを構えた途端、既存のシステムに囚われている状態をむしろ強化して、なんの救いにもなっていない感覚」をなんとなく知ってる気がするんだけれど、それじゃあかんやん?っていうのがかっけぇ。千葉さん曰く、「世界は音楽的でノイジー。透明ではなく炭酸で泡立っている。」だと。おしゃれ〜🍺。「仮固定」の状態と脱構築を繰り返すイメージで過ごして、「まぁとはいえ安定性確保したいから仮固定作るためにいろいろやろや〜〜〜」って賢い哲学者に言われちゃうと、もう清々しい。「確かに、そうしてみるか?」ってなるし、何かが少々楽になった。

8/26
「境界線をはっきり定義してそれを貫くこと」がもはや野暮だと思ってる最中なので、コンセプト作ったり作品を目的起点でつくるのがいよいよしんどくなってきた。でも何かつくりたい。だからこんなnoteも書いたりしてる。「超相対性理論|人はなぜつくるのか〜形あるもの・ないものの秘密」のメモを読み返す。解釈を保留している最中、というかそこに解釈があるようでないものをつくりたい。水彩とか、粘土を混ぜたものとか。でも紙の上とかじゃなくて、ピアスぐらいの、なくても良いがあっても良いもの。大層な意味などないが、あっても別に良いもの。ニュアンスアクセサリー作ってみようかな?

8/27
ネトフリで「スクール・フォー・グッド・アンド・イービル」をみつけ、"善悪のバランス"を保っている世界に対して物申す感じが、最近のポスト構造主義的な感覚とリンクしておもろそうだった。みた。純粋に画がおそろしく美しや。二項対立批判的な姿勢が、やっぱり期待通りだった。ただ、元の世界に戻るっていうよりも、どっちも行き来できるくらいの脱構築具合にして欲しかった・・。でもとにかく美しかった。
コテンラジオで、善性を問う回がスタートしたので、コテンクルーのアーリー視聴特典を使って12話ぶっ通しで聞く。厳密には、最後しんどくなって10・11話は飛ばした。12話で、お三方が個々人の見解を話しているところが面白くて、メモ。特に、「善悪も、進化論と一緒で、結果論でしかないのでは。」という話が千葉さんの「現代思想入門」とリンクした。

この時代この瞬間に生きていて、瞬間の自我は、それに対するリアクションとして出てきている。過去の連続性から説明できない瞬間(外れ値)がある。全て過去の連続性として解釈しようとするのは、人間理解としては稚拙では。直線ではなく、点の集合体。

という趣旨のことを、話していた。いや〜良い〜。

8/28
「世界は音楽的でノイジー」で「仮固定」と「脱構築」を繰り返すしかねぇ、という考えがハマってる。一義的で短絡的な決めつけ(あの人は論理的な人だ、感情的な人だ、とか。)、ラベリングを自他ともにしてしまうのは、人としてそういう癖があるもんで仕方ないけど、意識的に脱せた方が健全だし楽になる場面はある。

  • 理想を掲げストーリーで納得する時もあれば、構造的に科学で納得する時もある。

  • ブリコラージュ的(無目的的)に動く時もあれば、プログラミング的(目的的)に動く時もある。

  • 熱狂的に没頭する時間もあれば、虚無な時間もある。

  • 完璧なものはない。完璧に見えるように切り抜かれているだけ。

ほんで、この感じを形にできたら楽しそうだなーと今思う。

枠で仮固定するんよ。その中で、ブリコラージュな時もあれば、プログラミング的な時もあるのよ。ストーリーがある時もあれば、科学的な時もあるの。それをやってる私が熱狂的な時もあれば、虚無な時もある。で、できたものが完璧に見える部分もあれば、引いてみると完璧じゃないことに気づく。

少なくとも、三次元的だな、これ。あと、組み合わせ色々ありそうだな。同じ階層の組み合わせもそうだし、階層の視点の組み合わせとか。おー。

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