【新城マガジン】両親から受け継いだ場所を兄弟で継ぐ -Moonglow Diner-
自己紹介をお願いします!
兄の肥後秀穂61歳です。
お店のシェフをしています。川崎の駅近くで生まれ、今から約50年ほど前、小学校3年生の時に武蔵新城へと引っ越してきました。趣味は、バイクとレコード。若い頃から長年にわたってバイクに乗り続けてきています。
弟の肥後達也57歳です。
お店ではホールを担当しています。
趣味はスポーツを観ること。昔はバスケットと草野球をしていたけど今はやってないですね。
お店を始める前はどんなことをしていたのですか?
肥後秀穂さんの経歴:イタリアンを目指し運命のシェフとの出会い
シェフを目指し始めたのは19歳の頃でした。都内のイタリアンレストランで修行を始めたことが、シェフとしてのキャリアのスタートになります。
料理の世界への興味は、意外にもあいまいなものでした。親が喫茶店を経営しており、長男としていずれ継ぐことになるだろうと思っていました。そして、喫茶店を継ぐこと自体には抵抗がなかったのですが、「どうせなら料理をした方がいいかな」という考えに至りました。そんな思いから料理の道に進むことを決めました。
当時、料理の世界ではフランス料理が主流であり、イタリア料理を専門にする人はほとんどいませんでした。イタリア料理に関しては、純粋なイタリアンを追求する者はごく少数でした。そこで、自分もイタリア料理の学びを深めることを決意しました。
修行で勤めた飲食店での環境はなかなか厳しいものでした。「1年間は駐車場の案内係、その後1年間ホールスタッフ。調理場に入れるかは私が決める」という親方の言葉に従い、しかし、長くは留まらずに辞めることにしました。
その後、求人雑誌を手に取ったところ、何ヶ月か前の求人が目に留まり、その店に電話したところ「すぐに来てほしい」との返事を得て、渋谷のレストランで働くことになりました。そこで、尊敬する「運命のシェフ」と出会いました。
そのシェフは、フランスで修行を積んだ約30歳の料理人で、完璧主義者であり、厳しさの中にも職人気質の魅力がありました。
彼の下で働く中で多くの困難に直面しましたが、彼から学んだことの価値は計り知れません。物事を完璧にこなす姿勢、休むことのない献身、品切れを許さない徹底ぶりなど、彼から学んだ教えは今も私の中で生き続けています。
肥後達也さんの経歴:忙しい環境で培った経験
社会人として最初に就職したのはホテルでした。約5年半勤めた後、兄の誘いがきっかけで現在のお店へ努めることになりました。
お店に入る前は、飲食店でホールスタッフとして2年間の修行を経験しました。最初に勤めた自由が丘の店では、1日に50万円の売上を記録するなど、非常に忙しい環境でした。
次に移った店では、ランチタイムだけで売上が50万円に達し、1日の営業で100万円を売り上げるほどで、その忙しさは1店舗目とは格段に違いました。当時はついていけるか不安でしたが、あの経験がなければ、今の忙しさに対応できる基盤ができていなかったと思います。
また、修行時代は試練の連続でした。オープンと同時に一気に満席になり、何十枚もの手書きの伝票を一瞬で処理しなければならない状況でした。当時は伝票も手書きで、電子化されていない時代。
伝票をシェフに正確に伝えるためには、声に出して読み上げる能力が求められました。親方は一瞬にして全てを記憶できていたのですが、当時の自分は正確に伝えることは難しかったです。でも、その状況で覚えたスキルは今も役立っています。
忙しい環境での修行は非常に貴重な経験でした。今も、どんなに忙しくとも、あの時の経験があるからこそ乗り越えられます。実際に経験してみないと分からないことが多いですね。
両親から受け継いだ場所で開業
秀穂さん:ムーングロウダイナーがある建物は、1972年に私たちの両親が喫茶店として開業した場所です。
当初、店は現在の3分の1程度の大きさで、残りのスペースは父が経営する紳士服の店や他の店舗が営んでいました。
紳士服の店は、時代の流れで大量生産の波には逆らえず、困難な時期を迎えて閉店することになりました。生計を立てるために改装を行い2軒分の壁を取り壊し、現在の店舗の広さに改築しました。
そして、約30年ほど前にムーングロウダイナーとして飲食店を開業することになりました。
2人でお店を営む経緯
秀穂さん:修行を通して、お店運営において、ホールスタッフは信頼できる人物に任せたいという考えに至りました。
その時、独身で自由な生活を送っていた達也に、共同で店を運営することを提案しました。「達也なら任せられる」という直感から、「お願いします」と彼に頼み込んだのです。達也も、ぼんやりとですが、二人で店を開く未来を想像していたようです。そして、達也が修行を終えた後、私たちは共同でお店を開業することになりました。
達也さん:当初のお店運営では、ホールスタッフとしてお客様からの特別な要望に対して一貫して「ノー」と答えていました。「少なくしてほしい」「味を変えてほしい」といったリクエストにも、一律に「できません」と回答していたのです。
しかし、現在ではシェフとの信頼が築かれたことで、お客様の要望に柔軟に応えることができるようになりました。
これは、私たちが兄弟であるからこそ成し得ることだと思っています。
名前の由来:Moon Glow
秀穂さん:ムーングロウダイナーの名前は、自分の好きな楽曲のひとつです。最初はイタリアンの響きを持つ名前を考えていたんですが、最終的に「Moon Glow」という曲に惹かれ、そこからインスピレーションを得てこの名前に決めました。
ドゥーワップという音楽ジャンルがあり、それは1950年代のアメリカ、ソウルミュージックが生まれる前の時代に黒人音楽として栄えたものです。ジャズコーラスからゴスペルコーラスを経てドゥーワップになり、それがソウルに進化していったんです。私はその時代のドゥーワップがたまたま好きになってしまい、店内ではその音楽を流しています。
メニューの豊富さの理由
秀穂さん:ご飯メニューの提供を始めたのは、最初は想定をしていませんでした。母が経営していた喫茶店の常連客から、「ご飯メニューを提供しないのは冗談ではない」と強く求められたことがきっかけです。当初の計画では、洋食やイタリアンの店を目指していましたが、彼らの「スパゲティだけでは昼食にならない」という意見を受け、渋々ながらもご飯メニューの提供を開始することにしました。
アジフライや生姜焼きなど、様々なメニューを取り入れていきました。生姜焼きをメニューに加えたのは、実は過去に叔母が店で提供していたのを引き継いだものです。
ランチタイムにおいては、「スパゲティだけでは満足できない」という声に応える形で、大盛りメニューにも挑戦しました。
こうした努力が実を結び、昔からの顧客が今もなお当店を訪れてくれるようになりました。
当初の想定とは異なり、この店は、イタリアンの店ではありません。私が個人的に好きなものを出している、いわば「何でも屋」なんです。
イタリアンって言ったら本場の人に怒られてしまうと思います
おすすめのメニュー:昔から変わらないガーリックトースト
達也さん:当店の一番の代名詞といえば、やはりガーリックトーストですね。開業当初からガーリックトーストが大爆発し、今は、それが進化してガーリックトーストのグラタンとして大人気になっています。
丸井やラゾーナなどの大型施設ができたことで、お客さんが減った時期もありました。でも、ガーリックトーストを食べたくて、わざわざ足を運んでくれる根強いファンがいるんです。それが私たちにとっては大きな支えになっています。
もちろん大皿のメニューも皆さん満足して食べてくれています。
思い出のお客さん:何歳になってもいきたい
達也さん:長い間やってると、本当にいろんなお客さんの思い出ができますね。引っ越ししたり、遠くに行ったお客さんが何十年ぶりに戻って来てくれたときは、「やっててよかった」と思えるし、何よりも嬉しいですね。
子供の頃に来ていたお客さんが、大人になって結婚し、自分の子供を連れて来てくれることもあります。そんな風に、店が人々の人生の一部になっている感じがします。
秀穂さん:特に印象にあって忘れられないのは、100歳のおばあちゃんの誕生日お祝いで来てくれたことです。おばあちゃんは孫やひ孫までいるんですが、その孫たちがここに来たいと言っているのかと思って、私が「孫さんが食べたいんじゃないの?」と尋ねたら、「違う、おばあちゃんが食べたいの」と返ってきたんですよ。
これには本当に感動しました。
年齢に関係なく、私たちの店を訪れてくれるお客さんがいること。それが私たちにとっては何よりの喜びです。
これからのムーングロウダイナー
秀穂さん:約30年の間に、変わらないものと変わったものがあります。一貫して変わらないのは、日々同じ仕事を淡々とこなし続けること、そして私と弟で店を切り盛りしていることです。
一方で、変わったこととして挙げられるのは、「ふらっと1000BERO in 武蔵新城」というイベントがきっかけで他の店舗との繋がりが生まれたことです。以前は外に出ることが少なく、他の店と積極的に関わることはほぼありませんでした。しかし、今ではお店同士が協力し合い、この繋がりが私たちの場所をより特別なものに変えています。
お客様同士が繋がることもあり、それは私たちにとって、そして武蔵新城にとって、素晴らしいことだと思っています。
変わらず続けたいという意志はありますが、昨年体調を崩したことをきっかけに営業時間や定休日に変更を加えました。これまでの激務に対して、これからは少し余裕を持って取り組みたいと思っています。
しかし、運命のシェフから学んだ厳しい教えを忘れることなく、いつ来ても同じ品質のものを提供し続けることに努めたいと考えています。
これからも引き続きのご支援、よろしくお願いします。
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