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巨漢のスプリンター ヒシアケボノ 〜名馬たちの記憶10〜

JRA史上最大(巨漢馬)のスプリンターをご存知だろうか。

イメージとしてだが、
馬体重が大きい馬よりも小さい馬の方が速い。
その速さを競う短距離戦で巨漢馬が勝った例は少ない。
しかし、
巨漢馬で短距離界の頂点に立った馬。それがヒシアケボノである。
今回は、史上最大のスプリンターと称賛された彼の記憶を振り返ろう。



父ウッドマンは、愛国で活躍した早熟スプリンター。
母はミステリーズ(父シアトルスルー)
父、母の父とも世界的大種牡馬。その良血を受け継いだ彼は、米国で産声を上げる。
その後、当時の米国経済が味方したのかセリ市価格5万ドルという超お買い得で落札された。
ちなみに海外(仏国と英国それぞれで1勝)G1馬となった半弟のアグネスワールド(父ダンチヒ)は、20倍の100万ドルで落札されている。

さて、超お買い得だった彼は、
「当歳馬だから顔つきこそ幼いが、悠揚迫らぬ雰囲気を持っていて、すぐさま横綱の曙を連想した。アメリカ生まれという点も共通している。日の出のイメージだし語呂もいいではないか」との由来から馬名をヒシアケボノと名付けられた。

そんな超お買い得だったことも知らず彼は、すくすくと成長を見せる。
そして、
デビュー前、オーナーが厩舎を訪れた時の談話が以下である。
「このままのペースで行ったら、ゲートに入るんだろうかって心配になった。体が大きすぎて競走馬になれなかった、なんてことになったら失笑を買うだろうからね。ただ、よくよく見ると顔も体も大きいが、脚も太くて全体のバランスは取れていた。自分が惚れて買った馬じゃないですか。そう思うとだんだん頼もしく映ってきたから不思議だね」

超大型馬で超お買い得な彼は、このようにオーナーからの愛情を受け過ぎたのか、すくすくと育ちすぎてしまう。
そして、
3歳(現2歳)の秋、東京競馬場でデビューした時の馬体重は552kgだった。

競走馬(牡馬)の平均体重は、470kg前後だと言われているが、彼の場合、平均して560kg前後もあった。
ちなみに彼が走った全30戦のうち最高馬体重での出走は、圧巻の582kgである。

巨漢馬としてデビューから話題を呼んだ彼は、その後、翌年の夏までに6戦を要し、ようやく初勝利。
そこから一気に1勝、2勝、3勝クラスと3連勝でオープン入りを果たした。

未勝利戦を含め、4連勝となったレースは、全て芝1200mである。

父親譲りの早熟スプリンターだった。
🐴画像はtospo-keiba.comより🐴

父ウッドマンの血を見事に受け継いだ彼の最大目標。それは、スプリンターズステークスG1である。
現在の秋開催ではなく、当時は暮れの開催だった当レースを目指す中、秋の重賞に挑戦。
1つは、芝1600mの京王杯AH。距離が長かったのか惜敗の3着。
2つ目は、地方競馬のダート1200m重賞に出走。1番人気だったが、6着と敗退。
これは、明らかにダートが巨漢のスプリンターに合わなかったのだろう。

そして、
迎えたマイルチャンピオンシップG1へのステップレース、芝1400mのスワンステークスG2。
暮れのスプリンターズステークスを最大の目標とするも、その前に行なわれるマイル王にも狙いを定めたローテーションである。

ここで2着のノーブルグラスに4馬身差を付けて圧勝する。
芝1200mだけではなく、芝1400mいや、マイルでも通用する脚を披露。
秋のマイル王に向けて大きく前進したレースとなった。
余談だが、このレースには、オグリキャップの初仔であるオグリワンも出走していたが、最下位に敗れている。

そして、
迎えた秋のマイル王決定戦、マイルチャンピオンシップでは、ビコーペガサスに次いでの2番人気に支持されるも上がり最速を魅せたトロットサンダーの3着に敗れた。

マイル戦では敗れたが、スプリント戦では負けられない。
次走は彼自身の最大目標であるスプリンターズステークス。

レース当日、ファンはある意味オッズよりも馬体重に興味を示した。
そして、
馬体重が発表されると競馬場や場外馬券売り場では、ざわめきや喚声が上がった。

馬体重は、驚愕の560kg。

電撃の6ハロン戦は、ビコーペガサスや海外の有力馬が参戦する中、鞍上の角田晃一元騎手が
「馬体全体にバランス良く筋肉が付いているだけで、別に太っているわけではない。普通に力を発揮すれば負けない」
と豪語した通り、力で捻じ伏せる形で1番人気に応えG1初制覇を達成した。

なお、彼がスプリンターズステークスを制した時の馬体重(560kg)は、現在もG1優勝馬の最重量記録である。

芝1200mを5戦5勝。
短距離戦で無類の強さを魅せた巨漢馬ヒシアケボノ。
しかし、
彼が魅せた勝利は、これが最後となった。
父親譲りの早熟ゆえか、6歳(現5歳)の暮れまでの2年間で16連敗。

ダイナミックな走りでファンを賑わせた巨漢馬は、ここでターフに別れを告げた。

早熟ゆえか、活躍した期間が短かった。残念で仕方ない。🐎画像sanspo.comより🐎


引退後は、16歳で亡くなるまで約150頭もの産駒を輩出。
これといった活躍馬はいないが、孫のクラウンロゼ(父ロサード)が祖父からの血を受け継いだ唯一の重賞勝ち馬として、僅かな血を繋げている。

最後に
競走成績よりも馬体重の方が何かと話題になった彼のエピソードを紹介したい。

●最低体重と最高体重が同じ
弟アグネスワールドも大型な競走馬で知られており、出走時の最高体重は518kg。
しかし、
その体重は、兄ヒシアケボノの持つ出走時の最低体重と同じだった。

●超健康馬
通常よりも特に大型馬は細い脚に負担がかかるため怪我が多い。
ところが、
彼は生涯で30戦を走り、脚の怪我など無縁だった超健康馬だった。
また、不思議と全30戦、全てが良馬場だったのも関係しているかもしれない。

●大型は、なかなか勝てない?
馬体重の大き過ぎる競走馬は、デビューしてもなかなか勝ち上がれない中、現在もG1勝利の記録を持つ馬は彼しか存在しない。

現在でも大型馬と言えば、
いの一番に彼の馬名が出るのは、それだけ彼が残したインパクトが強かったからだろう。

巨漢馬として、
一時代を疾風の如く駆け抜けたヒシアケボノ。
彼が残した雄大な馬格と馬名のインパクトは、我々ファンの中でいつまでも生き続けるに違いない。


ヒシアケボノ
父ウッドマン
母ミステリーズ
母の父シアトルスルー
30戦5勝
主な勝鞍 スプリンターズステークス


如何でしたでしょうか?
早いもので、このシリーズも10回目となりました。
ここまで続けることが出来たのもひとえに読んで頂いた皆さんのお陰です。
ありがとうございます!

今後は、このシリーズをまとめたkindle電子書籍の発刊も考えています。
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